687円の幸せ
週5で働くようになって、改めて2日の休暇で5日分の労働による疲労を回復するのは無理があると確信した。
平日にできないことを休日にはしたい。
例えば部屋の片付け、洗濯、買い物。一人暮らしをしていると、日常生活を円滑に回すことすらままならない。毎日朝から満員電車に揺られ、高ストレスな環境でブルーライトを浴びせられ続け、帰る頃にはスーパーが閉まっている時間で、食欲もなくゼリーを飲んでシャワーを浴びて、睡眠薬を飲んで寝る日々。
土日はせめて人間らしい生活がしたいと思って、金曜日の夜は張り切って眠るのだけれど、結局1/2くらいの確率で起きた時には昼を過ぎている。仮に午前に起きられる1/2を引いたとしても、ベッドでゴロゴロしていると、家事をするにはもう遅い時間になっている。
本当は毎日こまめにゴミを捨てたり、物を定位置に戻したり、洗濯機を回したり、食料を買いに行ったりするのが理想なのに、社会はそれを許してくれなかった。否、私が甘まえているだけなのかもしれない。夜遅くまで空いているスーパーを探したり、コインランドリーで洗濯をしたり、人間を維持する手段は残されてはいた。でも、それは所詮対症療法であり、根本的な原因へのアプローチではないから、死へのカウントを少し緩やかにしてくれているに過ぎない。そして私はそんなものに興味がない。
考えているうちに日曜日の夜が来る。基本的な栄養摂取をサプリとゼリーでしているため、あまり普段から空腹を感じないが、珍しく小腹が空いた。ゼリーのストックはもうない。仕方なくボサボサの髪をゴムで雑にまとめて部屋を出る。
夏の終わりを告げるように、まだじめっとしてはいるものの、肌で感じる風のぬるさは幾分かマシになってきた。
不健康な生活をしている私の唯一の健康ポイントは、おそらく散歩にある。食事も睡眠も底辺だが、毎日15分くらいは散歩をしている。
コンビニに入ると、人工的な冷気が出迎えてくれる。適当にお菓子とアイス、ジュースをカゴに放り込み、しばらく店内を徘徊する。また外に出るのは面倒だなと思い、買い忘れを警戒して隅々まで店内を観察するが、大抵追加でカゴに物が入ることはない。コンビニで好きな物を好きに買うと、600円から1,000円くらいになることが多い。私の中ではとても贅沢なのだが、客観的に考えると普通の外食と変わらないか、むしろ安いくらいなので、私の贅沢はハードルがやや低いのだろう。中くらいの袋がいっぱいになるくらいの買い物で満たされた気持ちになれる。
重くなった手荷物と反比例するように軽くなった足取りで来た道を辿る。こういう単純な幸せを味わえている私の休日が、毎日複雑な不幸を感じている私を現世に繋ぎ止めてくれているのかもしれない。
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