見出し画像

ぼくが水について真剣に考えることができなかった理由。

まいど、ニートブロガーの黒井です。

つい先ほど「水について真剣に考えてみようと思う」というnoteを書き、そのままコレを書いてます。よーするに続編です。もし前回のnoteをまだ読んでないなら、さきに前回のを読んだほうがいいかもしれません。


でさぁ、ぼくはずっと水について真剣に考えてこなかったんですよ。

水は生きる上でまず最初に必要なものじゃないですか。すごく大事ですよね。口に入れるものだしさ。でも考えたことなかった。

どうして水について考えずに25歳まで生きてきたんだろうなぁ……と考えてみたら、まっさきに思い当たるところがありました。

それは……

自分のことをまったく評価していない、ということ。

幼いころから「長男だからガマンしなさい」と言われ、後回しにされていました。学校に通うようになるとすぐにイジメられるようになり、クラスメートからは「無視」をされていました。

ず〜っとそんな生活を送っていたからなんでしょう、ぼくはいつしか「自分自身のことを粗末に扱う」ようになってしまったんです。

何かイヤなことがあったとき、ぼくはそれを「言えない」どころか「自分の意見なんてどうでもいい。みんなが楽しければそれでいいんだ」と考えて、率先して「耐える」子どもでした。


水についても、深く考えることこそありませんでしたが「ぼくなんか泥水でも飲んでいればいいんだ」と感じていたのかもしれません。


これはけして冗談ではなく、ほんとうにそういう人間だったんです。

でもそれは「ぼくがたまたまそういう人間だった」のではありません。環境によって「誰でもそういう心理状態におちいる可能性がある」んですよ。


自分の評価がめちゃくちゃ低いという問題は、つい最近まで気づいてすらいませんでした。学校に通っているときなんて「殴られるのが当たり前なんだ」と思ってましたから、そのころと比べれば、これでも進歩したほうです。

心理学の実験でね……


2匹の犬に電気ショックを与えるんだけど、片方には「スイッチを押すと電気ショックが止まる仕掛け」をほどこし、もう片方には「どうしても電気ショックを止めることがない」状態にして犬の反応を見る、というものがありました。


どちらの犬も最初は電気ショックを受けて暴れるんですけど、片方はそのとき偶然に「スイッチ」を押すんですよ。すると電気ショックはピタッと止まる。

で、何度か電気ショックを与えていると、スイッチのあるほうの犬は、冷静にスイッチを押すようになります。スイッチを押せば電気ショックが止まることを学習したんです。

これに対し、スイッチのないほうの犬は、どうなったかというと、こちらも「あること」を学習しました。

それは……

自分にはどうすることもできないんだ、ということです。

電気ショックをコントロールすることができないと学習した犬は、暴れもせず、ただ電気ショックの苦痛に怯え、耐えるようになりました。

これを「学習性無力感」といいます。

学習性無力感は人間にもあり、長い期間ずっとイジメられていたせいで、ぼくも「自分にはどうすることもできないんだ」ということを学習してしまったんでしょう。

その状況下で生きていくために「あえて自分に低い評価を与え」て、自分は評価が低いのだから、悪口を言われたり、叩かれたりしてもしょうがないんだ……と、なんとか自分を納得させようとしていたんですね。

それが分かったとき、もう少し自分に優しくしてやろう、と思いました。


著者

・Twitter:黒井@ニートブロガー

・ブログ:あしたの!@明日を楽しくするブログ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?