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個人的なことは政治的なこと:『マリア・ブラウンの結婚』(1979)によせて

 本作は、ヒトラーの肖像画が爆撃で吹き飛ぶ象徴的なシークエンスに始まり、ドイツ連邦共和国の歴代首相の顔写真…アデナウアー、エアハルト、キージンガーをネガで、そしてシュミットがネガからポジにフェードオーバーしたところで幕を閉じる。(ただし、その中にヴィリー・ブラントの写真はない。これは、発展が続くことに懐疑的な態度をとっていたファスビンダーが、ブラントに関してはその限りではなかったことを示そうとしたためと考えられる)。その間に本作の舞台である、不在の男たちに代わって女たちが主体的に生きた戦後ドイツという特殊な時空間がある。終戦の年に生まれた、ニュー・シネマ出身監督であるファスビンダーは映画で戦後ドイツ史の批判的再検証を試みたのだが、それはハンナ・シグラ演じるヒロインのマリア・ブラウンを主役に据え、メロドラマという通俗的なジャンル映画のかたちをとることで成し遂げられた。つまり、本作はカウンター・カルチャーと娯楽が巧みに融合した映画なのだ。

 マリアは自身の性的な魅力を駆使し次々と愛人関係を結ぶことで、戦後の困窮する社会を生き延び、ビジネスの世界で成功をおさめて自ら復興を経験する。黒人GIビルとの情事で英会話を習得し、その能力を見込まれてドイツに繊維工場を持つフランス人実業家オズワルドの愛人兼秘書となる。性的モラルや〈女性らしさ〉を超越したマリアの生き様は、一見すると先鋭的なフェミニズムを体現しているかのようにも思えるが、彼女の行動原理は一貫して戦地から帰らぬ夫ヘルマンとのたった「半日と丸一晩」の結婚生活の再開することにある。マリアが手段を選ぶことなく自立を強く求める女性でありながら、古いしきたりとしての婚姻関係にこだわり続けるという保守的な一面も持ち合わせていることは見過ごせない。だからこそマリアは、愛人が生きている間は夫は彼女のもとへは戻らず、その見返りとして遺産の半分を受け取るという密約が交わされていたことにショックを受ける。マリアとヘルマン、オズワルドの三角関係において愛とお金は等価であり、結婚生活を担保するものである。

 ファスビンダーはこうしたマリアの個人史に、音声を効果的に用いることで背景をなす社会の動きを暗示的に重ねてゆく。例えば、西ドイツ最初の首相となったアデナウアーの演説や、廃墟と化した街で行なわれる建設作業の音、当時の流行歌《Capri Fischer》の調べなどだ。ラスト・シークエンスでラジオから流れるのは、1954年のサッカー・ワールドカップ決勝戦の実況中継である。この日、敗戦国ドイツは強豪ハンガリーを打ち破った。つまり、男たちが威信を取り戻した日にヘルマンはマリアのもとへ帰還したのである。(また、1954年はドイツが再軍備をした年でもある)。だが、故意か事故か。マリアがガスの元栓を閉め忘れたことで、ドイツが優勝するまでの秒読みは、マリアが購入したふたりの新居にガスが充満し結婚生活が終わるまでの不吉な秒読みへと変わる。皮肉なことに、マリアが己の全てを犠牲にしてまで切望したあらゆるものを手に入れたとき、彼女にはそれを享受する力が残されてはいなかったのである。本作を締めくくる二度目の爆発は、観客にカタルシスを与えると同時にやるせなさを感じさせるものである。


作品情報

『マリア・ブラウンの結婚』
原題:DIE EHE DER MARIA BRAUN
製作国:西ドイツ
製作年:1979年
製作:ミハエル・フェングラー、フォルカー・カナリス、ヴォルフ=ディートリッヒ・ブルッカー
監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
脚本:ペーター・メルテスハイマー、ペア・フレーリヒ
撮影:ミヒャエル・バルハウス
音楽:ペーア・ラーベン
出演:ハンナ・シグラ(マリア・ブラウン)、クラウス・レーヴィッチェ(ヘルマン・ブラウン)、イヴァン・デニ(カール・オズワルド)

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