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幸福が楽しいとは限らない:『不安は魂を食いつくす』(1974)によせて

 本作は「幸福が楽しいとは限らない」という印象的な一節から幕を開ける。初老の未亡人エミと若いモロッコ人の出稼ぎ労働者アリの結婚生活を表すのに、これ以上の言葉は見当たらない。(これは、ゴダール『女と男のいる舗道』からの引用だとファスビンダーは述べているが、元はマックス・オフュルスの『快楽』に登場する台詞である)。孤独な者同士であるふたりの結婚は互いの魂を慰め合うが、周囲の人々は彼らに激しい嫌悪を示し、嫌がらせを繰り返す。

 ファスビンダーは差別・抑圧というテーマを物語や台詞から説明するのでなく、映画的な空間や人物の配置、それを捉えるアングルによって視覚的に語る。本作では、階段やドアの枠、窓枠などで空間を区切る構図が頻出する。例えば、エミとアリがヒトラーお気に入りのレストランで食事をするシークエンスでは、フレーム・イン・フレームの構図が閉塞感を演出している。(エミは外国人の夫を伴ってこのレストランで食事をするというアイロニーに無頓着である)。また、本作では視線による暴力や疎外が描かれる。前述したレストランの場面や、屋外の黄色いベンチでエミがアリに対して辛い気持ちを吐露する場面など、本作では「実は第三者が見ている」というシチュエーションが繰り返される。

 エミとアリが新婚旅行から帰ってくると、周囲の人々の態度は一変し欺瞞的な笑みを浮かべてふたりを「受け入れる」。彼らは他者への攻撃をやめることが生活にとって大きな支障をもたらさないことに気がついたうえ、エミの不在が身にしみてより打算的になったようである。エミの息子は育児のために母親の手を借りたがっている。また、食料品店のオーナーは上客であるエミを失うことを惜しむ。さらに、掃除婦として働くエミの職場の同僚たちは賃上げ交渉のための頭数を必要としているのだ。本作では古典的ハリウッド映画に特徴的な反復と差異を前景化した編集と物語構造がみられるが、同僚たちの差別の矛先がエミからユーゴスラビア出身の新人へと移り変わったことは、エミがひとり昼食をとる様子を階段の手すり越しに捉えたのと同様の構図で、今度は新人の女性を捉えることで示される。

 これまでは外部からの圧力が不釣り合いなふたりの絆を強めていたのだが、その圧力が収まると、今度はふたりの関係の内部から問題が発生する。エミは、アリの故郷の料理クスクスを作ることを厳しい口調で拒否する。孤独感を募らせたアリは酒場の女主人の家に入り浸り、エミを裏切る。ファスビンダーが呈示するのは、人と人との関係が感情のレベルでいかに力関係によって成り立っているかという問題である。その力関係は社会的階級や人種、ジェンダーによるものではなく、常に愛する者が愛される者よりも力を持たないことから必然的に発生してしまい、些細なきっかけでイニシアチヴが移ろう様子が繰り返し描かれる。
 ラスト・シークエンスにおいて、エミとアリは痛ましく寄り添い合うが、今後ふたりが幸せに暮らしていける保証もなければ、破局してしまう確証もない。この結末を悲観的なものと捉えるか、あるいは僅かでも希望を見出しうるかは、観客に委ねられている。


作品情報

『不安は魂を食いつくす』
原題:ANGST ESSEN SEELE AUF
製作国:西ドイツ
製作年:1974年
監督・脚本:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
撮影:ユルゲン・ユルゲス
出演:ブリギッテ・ミラ(エミ)、エル・ヘディ・ベン・サレム(アリ)

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