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芸術教育は無駄なのか

小学生の頃、週に1度油絵を習いに車で片道1時間半かけて通っていた。

午前10時から12時半までは小学生向けのクラス、午後13時から18時までは油絵のクラス。

休憩時間を抜くと大体7時間くらいレッスンを受けてまた1時間半かけて帰宅する。しかし、ちびまる子ちゃんの時間帯の国道246号線は激混みだった。だから大体2時間くらいかかったかな。帰ったらビフォーアフターを見ながらご飯を食べていた。


レッスン費もきっとバカにならない。油絵具だって安くない。たまに先生の推薦で展覧会にだって絵を出していたからその費用もかかる。

小学生ながらに、芸術ってお金がかかるな、と思った。

時間も、お金もかけて何年も通わせてくれた親には本当に感謝しかない。教室に通わせてもらったからこそ今のわたしがいるから。


絵があったから、精神的に救われた場面が今も多いし、自分自身できちんと答えを出して一歩ずつ進む、という事ができるようになった。
わたしはあまり絵が得意ではないかもしれない、と今は思うけど、心の支えであることは間違いない。


絵で何ができるのか

絵を通して無意識にやっていたのは、「無い答えを形にする実験を繰り返す」ということだった。

こんな世界だったらどんな人間がいるのだろうか、わたしはどうなるのだろうか。常にわたしの頭はそんな考え事でいっぱい。

言葉にできない事を、色や形に戻して答えの一つとして生み出せる。
そして、生み出したものを使ってさらに新しい答えを出す。数え切れないくらいたくさん。


個性を求められる世の中だけど、見た目が奇抜だとか、行動がおかしいとか、そう言う事じゃなくて、
どう考えて何をもってアウトプットするのかの軸なんじゃないかな、って答えが絵を通じて出てきた。

絵だけではなくて、音楽やダンス、演劇でも同じような可能性が十分にあって、物によっては絵以外の芸術の方が向いてたりするかもしれない。

芸術を専門にする人はもちろんだけど、それ以外の道を進む人も(つまりみんな!)芸術教育による自分を見つける行為って意味のあるものなんじゃないかなと最近漠然と考えるようになった、という話。

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