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生きづらさについて

寒くなってきたね。冬だね。

先日の満月のゆるゆるお話会、始まる前に簡単な打ち合わせはしたものの、テーマに沿った話ができていたのかどうか自分でもよくわからず…。
どこでどのように配信されていたかも、自分がどのように画面に写っているのかも全く把握できておらず…。オロオロしているうちに終わっていた。笑

配信中に、生きづらさを経験したことがあるかという質問をもらい、生きづらさについて話をしたのだけれど、うまく話ができたかはわからない。

生きづらさは、実は赤ちゃんというか、お腹の中にいるときから感じていてね。
この世に出てくるのがとても怖かったんだよね。
これに気づいたというか、思い出したのは、23歳のとき。

わたしの背中の後ろにある黒い膜をまとった物体に気づいた人がいたのね。
その人は、いわゆる見えないものが見える人。
お母さんからの遺伝?で、14歳から見えないものが見える人になった人だった。
当時その人はおそらく19歳くらいだっただろう。

その人から背中の後ろにある黒い膜をまとった物体を指摘されたとき、わたしは「これは一生わたしが背負って行くものなので大丈夫だよ」と答えた。

それは、生まれる前の胎児のわたしだった。

ということを、わたしは知っていた。
なぜ黒い膜をまとっているかというと、さまざまな大人の思惑とか悲しみ、戸惑い、憎しみ、恨み、怒りをすべて吸収していたから。

黒い膜をまとってしまったわたしは、小さい頃から、どこにいても不安と恐怖と戦っていたように思う。


3歳くらいのときかな。
母に連れられて行った母の友人の家にもあがることができず、玄関先に突っ立っているのがやっと。母が帰るまで一言も言葉を発しないままだった。
なぜかというと、周りの人達の視線でその人達が何を思ってわたしを見ているかが伝わってくるのが怖かったのだった。

3歳になってすぐ、祖父が死に、祖父と別居していた祖母と母とわたしが祖父の家に引っ越してきて、2人の幼馴染ができた。
楽しく遊んでいたはずだったのだけれど、突然、2人が遊んでくれなくなった。
それからはひとりでずっと遊んでいた。

小学3年生くらいの頃も、隣の家にいた同級生が突然遊んでくれなくなった。
おばあちゃんからうちの家と付き合うなと言われていたらしい(後から知った)。

5年生のときも、昨日まですごく仲良くしていた子や同じグループの子がわたしを無視するようになっていた。

中1のときも、ある日突然、クラス全員から無視されるようになった。
どれくらい続いたのかもう覚えてないけれど、やっとの思いで母に話しても、「負けるな戦ってこい」ときつく言われて学校に行かされた。

他にもいろいろあってこれはほんの一部なんだけどね。
そういうときは、ほんとに孤独なんだよね。

誰ひとりとして、味方はいない。


わたしの場合は、誰かが仲の良い子に「あいつを無視しよう」「あの子と遊ぶな」と言って、仲の良い子が言うことを聞いてしまって関係を切られるというパターンが多かったように思う。

そうなった理由を言ってくれる人はもちろんいないから、「わたしがなにか悪いことをしたのだろう」とか「わたしに原因があるんだろう」と、自分に原因を探して責めるしかなかった。

これが一番しんどい。
なんとなく気に入らないから無視しよう、嫌がらせしようと話して、それをやっている人たちは、自分が悪いなんて微塵も思ってない。

ひとりでもいい。
友だちなんて最初からいなかったんだ。

そう思って、ひとりで学校に行き、ひとりで帰ってきてとりあえず眠り、親が寝静まった後の夜中に、ひとりで散歩にでかけていた。

近所の目もない、親にも何も言われない。ちいさな自由を手に入れた気がしてうれしかった。

夜中にラジオを聴いて、放送が終わってからも隣の国のわけわからない電波にチューニングしてわけわからない言葉を聴いたり、テレビの砂嵐を見て過ごした。

高校生になってからは、目指す道があったので周りのことにかまっている場合ではなかったのだけれど、同級生とというよりは教師からの圧力との戦いだった。

そんなこともあり、高校時代はちっとも楽しくなかったのもあって、卒業式には出なかった。何か別の予定、おそらく受験の日程の都合かなんかで、その日に地元にいなかったのもあったのだろうけれど、同級生の誰とも卒業を悲しんで泣くなんてことをしなかった。やっと解放される!せいせいする!という思いの方が強かったのを覚えている。


ひきこもっていたわけでもないし、途絶ないじめを体験したわけでもないので、そういう経験をした人たちからしたら、たいしたことないのかもしれない。
けれど、いわゆる普通の生まれ方をしてこなかったので、世間の差別の目にさらされてきた分、普通(この「普通」って何?と思うけど)だったら感じなくていいことを感じて、ずっと生きづらさを抱えて生きてきた。

今も、生きづらさは抱えている。

もしかしたら、死ぬまで抱えていくのかもしれない。

最近、会う人たちが、自分の生きづらさについて話してくれる。
(中には、さっきわたしが言ったみたいに「お腹の中にいるときに感じたこと」を話してくれる人もいる)

話を聞いていると、年齢を重ねて自分の生きづらさの原因に気づき、何らかのきっかけでそれを受け入れて生きているのだなということが伝わってくる。

みんな生きてるね!生きようぜ!

と思う。


みんな、それぞれ生きづらさは抱えているのだから、
どちらのほうが辛いとかマシだとか、そういうのはない。

生きづらさを抱えていても、それを無理に解消しようとしなくていいとわたしは思っている。
どこかに解消されるきっかけがあるかもしれない。
でも、解消されなくても、生きづらさを感じた経験は強さになるし、生きづらさを抱えているからといって生きられないわけじゃない。

だから、生きてこ!

みんなで乗り越えよう。この世を。

変わらなきゃ!!!って思うのもひとつの方法だけれど、
変わらなきゃ!って何かをしなくても、変わってるから。

そこは安心していいよ!


お話し会の終わりの頃、みちこさんが「恭世さんは3年前だったら顔出して話すなんてことしなかったよね?」と言っていたんだけど。
今でも積極的に写真にはうつらないようにしているし、顔出ししたいわけじゃないのよね。

なんでなんだろ?と自分でも思い返してみたんだけど、小さい頃、仲間はずれされたときなんかに、ブス!ブサイク!って言われていたからだと思う。
今考えると、そういうこと言う人の方がブ…(以下略)って感じだったんだけど。

些細なことが思い込みにつながっちゃってるよね。


まあ、そんなわけで、久しぶりの雑談noteを書いたよ。

次は冬至の日にやろうかって言われたので、冬至にやると思うよ。
次は夜じゃなくて昼になるかも。

じゃ、またね。

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