母と私。
「ママちん、喜んでくれるかな…」
そんなことを呟いた昨日の夕方。
いつだって、母の評価を気にする娘こと私。
評価というと堅苦しいけど、母が喜んでくれるかどうかが、私の全てだった。
過去、たくさん反発しあった。
私は反抗期がなかった。
反発というのは、「分かり合えない」と言ったほうが良いかもしれない。
「どうしてわかってくれないの?」
「なんでそんな言い方するの?」
私は自分の気持ちを言語化して、「きちんと」伝えることが苦手だ。
でも勇気を出して言った時もある。
昔リストカットをして、思いの外深く切れてしまった時、パニックになった。
母が仕事から帰った時、「怒られる」と思った。
でも血が止まらない。
勇気を出して言ってみた。
「腕を切ったら、深く切れちゃって、血が止まらないの。病院に行かせてください」
本当は心配して欲しかった。
こんなことをするまで追い詰められていたことをわかって欲しかった。
(辛い、と言っても「ママだって辛いよ」と返ってくる)
「は?どうすんのそれ。そんなことして悲劇のヒロインぶりたいわけ?そんなことやるのキ⚪︎ガイだよ」
こんな言葉が、確か返ってきた。
それでも保険証をもらい、次の日整形外科で「料理をしてたら切ってしまった」と嘘をついて縫ってもらった。(バレバレの嘘)
母1人娘2人。(+時どき母の彼氏)
生きてきた。
母の苦労を知っているから、何も言えなかったし、「ここまで育ててくれたんだから、犯行するのは間違っている」と自然と思っていた。
テストで80点を取っても私は泣いた。
100点じゃないと認められない。と勝手に思っていた。
(実際は何点取っても褒められることはなく、100点以外だと呆れられてた)
生徒会長になったのも、「良い子」でいたかったから。
社会福祉の大学に進学したのも、「良い子」でいたかったから。
そのうち、私は家で孤立した。
姉と喧嘩をしたからだ。
「まよの話はつまらない。何言ってんのかわからない」
「口くさい」
そう母に言われていたので、あまり家に帰らなくなった。
大学生の頃、バイト先が居場所だった。
飲み会が楽しかった。
みんなが構ってくれる。
みんな可愛がってくれる。
朝まで飲んでそのまま大学へ、なんてしょっちゅうだった。
社会人になってからも続いた。
仕事帰りには必ず飲んで帰る。
家に帰ったらすぐ部屋に篭る。
いつしか、大好きだった母のことを「大好き」と言えなくなっていた。
(私は小さい頃から甘えん坊で、母にべったりだった)
そんなある日、私は職場で倒れた。
食事が摂れなくなったことと、毎日の嘔吐、過労のせいで。
そこから休職することになり退職。入院。
ここまで書いといてアレですけど、母のことを批判したいわけではないんです。
はい。
入院先の主治医のおかげで、母は私の病気のことを理解してくれた。
ただ受け入れてはくれなかった。(病気のせいにするから何もできなくなる、と)
度重なる入院。
その度に「母に怒られる」ことが怖かった。
親不孝なことをしていることがわかっているから。
でも自分ではコントロールできないのだ。
昨年半年間入院した。
カウンセリングも受けて、「母と離れて暮らしたほうがお互いのためになる」という答えが出た。
私は「病気の私」を母に見せたくないし、母もそれにイライラすることも無くなるだろうと。
結局は自分を守ることにしたのだ。
自分の人生なんだから、責任は自分で負わなくては。
過去のいざこざも、全部手放した。
「もういいや」ってなった。
母をまっすぐ見ることができるようになった気がする。
1人暮らしをして、お互いに優しくなれた気がする。
でもまた私は入院したし、この前も救急搬送されたし。
その度に「母が怖い」となる。
精神的自立ができていない。
でもね、今は母のことを心から大好きだと思えるし、親孝行してから死にたいと思ってる。(矛盾するようなことしてるけど)
今は実家で療養中だけど、母は仕事で疲れて帰ってくる。
何かしら母が喜んでくれることをしたいと考える。
今でも私は母の娘で、母の子どもなんだなって思う。
摂食障害で、頭に浮かんだものや目にうつったものをかたっぱし食べて掃いてしまうのだけれども、それも怒られるのでビクビクしてる。
お金なくてパニックになってたのに、お金使ってることも、怒られたのでバレないように、すぐ隠してる。
なんで我慢ができないんだろう。
家に帰ったらしばらくひとりぼっちだ。(猫はしばらく実家で暮らしてもらうことになった。寂しい)
生きていけるかな。
いつも病院まで駆けつけてくれてありがとう。
私が苦手なことを手伝ってくれてありがとう。
お家に居させてくれてありがとう。
あなたの優しさに救われます。いつもありがとうございます☺