見出し画像

人生会議:ACP

おはこんばんちわ❗
やっぱり勝負事ってのはいかに勝ちにいくか?
より
いかに負けないようにするか?
の方が大切で
何よりも
いかにミスを少なくしミスがあったとしてもリカバリーを早くする事
がとっても大事なんだなぁ
と日本戦を見て思った事です
(当たり前のことを長くいってるだけ)
(自分が知ってて出来ることをすれば勝手に相手が負けてくれる)
(OWNDAYSの社長が言ってた)

今日は人生会議についてです

人生会議とは?

人生会議ってなに?
と思う人は少なくないと思います

ザックリ説明すると
「自分の最期を話し合う会議」です
つまり
どんな感じで人生を終えたいか?です

エンディングノートも
その1つのツールです

具体的には
延命の処置はどこまでするか?
とか
口から物を食べられなくなったらどうするか?
とか
晩年は施設で暮らすか?なるべく家で暮らすか?
とかです

一口に
どうやって自分の最期を迎えるか?
とは言えそれまでのルートは様々です

死が遠くて考えられない

私は今、34歳で
特に持病も無いので何もなければ
順調に年を取っていくハズです

その段階で
どんな最期を迎えたい?みたいな話は
正直ピンと着ません

それは多分
今70歳でバリバリに現役で働いている人とかも
同じだと思います

病気や事故などで身体が不自由になったとき
自分の最期というものが
見えてくるのだと思います

じゃあ
見えないから考えないと言うわけにはいかず
生まれたからには
必ず死にます

そして厄介なことに
医療が発達してしまったせいで
なかなか死ぬことが出来ません

つまり
医療の発達は
自分達の最期の選択肢を増やしてしまったんです

死の選択肢

自分の最期の選択肢が増えたとなると
厄介なことが起こります

それは
生きているけど意志が伝えられない場合
周りがその人の死を選択しなくてはならなくなる
と言うこと

もし貴方の親が意志が伝えられない状態になり
延命しますか?家で看とりますか?
それとも施設で看てもらいますか?
と選択を迫られたとき
貴方は答えを出せますか?

それまで
何もその事について話し合ってこないと
突然やって来たその日に
戸惑わない人はいないと思います

たとえ
話し合っていたとしても戸惑わない事は
無いと思います

「どう死ぬか?」は「どう生きるか?」

エンディングノートとか人生会議って奴は
ぶっちゃけ
コロッと死んじゃえば必要ないと思います
選択の余地なく呆気なく死ぬ

それなら
死の選択を迫られることはないです
しかし
今の時代そう易々と死なせてくれません
生かされてしまいます
なので
どうやって自分の最期を迎えるか?
を考える事は
どうやって生きていくか?を考えることと
同義だと思いました

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?