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幸せだとか、不幸だとかの話 2021/12/5の日記

 久しぶりに家にいることができた。最近の忙しさのせいか、右膝が痛みはじめ、歩くのが困難になった。手が腫れたり、膝が痛んだり、何となく不幸が重なっているような気がして、もっと大変なことが起きるのではないかと不安になっている。

 そういえば、自分のことを「運が良い」と語る社員さんがいる。本当にそうなのか、分からないけど自分はずっと運が良い感覚があるとのことだ。

 「運が良い」とか、そういう類の話は自分で思い込むことが大切なのかもしれないと思った。結局、主観的なものであり、何をもって良いのか悪いのかなんて個人によって変わりうる。

「雛菜は雛菜がしあわせ〜って思うことだけで良いの」

 幸せとか不幸とか、そういう話をすると市川雛菜さんの声が聞こえてくる。この言葉は、もちろん雛菜が好きなことをやるって意味もあるけれど、自分でしあわせ〜の状況に運んでいる。つまり、どこまでも主観的な世界なんだ。

 いま、僕は不幸だとか、運が悪いだとか思うことが多い。そう思った瞬間、そうなる。自ら「しあわせ〜」の状況を作り、運が良いと思い込む。そうして、過ごしていきたいものだ。

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