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無駄にだって、価値があるんだ 2021/10/11の日記

 今はサブスク全盛で、スマホ一つで最新曲を聴くことができる。非常に便利にな世の中である。

 世間一般から「若者」と見なされる僕だけど、小・中学校時代はSONYのウォークマンで音楽を聴いていた。新しい曲を入れる際にはCDを購入、もしくはレンタルし、パソコンを通して機器に取り込む必要があった。それが面倒臭くて仕方がなかった。

 ただ、その過程には面倒臭さ以上の「何か」があった気がする。

 「聴きたい」という気持ちを整理して、限られた予算のなかでやり繰りをする。一定の枚数を借りると割引になったりするので、別に大して興味の無いアルバムを借りてみたら、意外にそれが良かったりする。

 帰宅してから起動の遅いPCの電源を付け、借りる際の倍の時間でCDからウォークマンに取り込む。その間はせっせと働くPCの前で歌詞を読んだりして、取込完了の吉報を待つ。

 そして、期限までにお店にCDを返しに行く。最悪の場合は、お店から電話がかかってきて、1枚CDを返し忘れていたりする。そんなこんなでようやくすべての工程が終わるのだ。

 今は、スマホで音楽アプリを起動して検索すれば終わり。

 一行で終わってしまった。

 こうして僕らはサブスクの恩恵を受けているわけだが、そんな時代のなかでも頑なにサブスクにならないコンテンツは幾つかあるので、僕は今でも定期的にCDを購入して、面倒な工程を踏んで楽曲を入れている。

 面倒で仕方がないけれど、その時間が僕はなぜか愛おしい。面倒なのが愛おしいなんて矛盾した感情だ。

 無駄を省くことが、世の中では良いこととされている。しかし、無駄にだって価値があると、僕はPCに楽曲を取り込みながら思う。たった2曲を聴くために、今回かけた時間はざっと2時間くらい。でも、その時間がいまイヤホンを通して流れている音楽の価値を高めているような気がする。

 もちろん、全てがこうなったら頭を抱えてしまうのだけど、少しくらいは残っていてほしいなと思うのだ。


 

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