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「霧」は何のメタファーだったのか?『ミスト』(フランク・ダラボン,2007)2021/7/13の日記

・今日は久しぶりに一日休みだった。

・朝から大谷翔平を拝めるのは最高。MLBのホームランダービーはパワーはもちろん、雰囲気ともに世界一という感じがする。大谷は、J・ソト選手に敗れてしまったが、両者ともに素晴らしい戦いを披露してくれた。延長戦に次ぐ延長戦、スーパースター大谷翔平のあれほどに疲れた表情は滅多に見ることができないだろう。良いものを見れた感がある。

・ホームランダービーは、お祭り感が本当にすごい。グラウンド上にソファが用意されて、そこに選手の家族たちが観戦する。報道陣、観客の数、球場内の演出、すべてがすごくて、死ぬまでに現地に行ってみたいと心の底から思う。

・午前中はホームランダービーに費やし、午後は映画を観た。

『ミスト』(フランク・ダラボン,2007)
田舎町で家族と共に暮らすデヴィッドは、ある日息子と共にスーパーマーケットへ出かけるが、街全体が突如濃い霧に包まれ、店内で缶詰め状態に。やがて霧から逃れてきた人々から「霧の向こうに怪物がいる」と聞かされたデヴィッド達は、次第に混乱し始め…(U-NEXTより)

・言わずと知れたスティーヴン・キングの『霧』を、『ショーシャンクの空に』を手がけたフランク・ダラボン監督が映画化した作品。霧という視界が遮られた状況下から、得体のしれない怪物に襲われる恐怖というものは想像を絶する。絶望の最中、スーパーマーケットに立て込んだ人々は分断し、そして狂信化する。そして、ラストシーンは、バッドエンドofバッドエンド。今まで観た作品のなかで最も最悪と言っても過言ではない結末だった。

「霧」はなんのメタファーなのかを考える

・本作の肝は、やはり「霧」だ。見えない恐怖を見事に演出している。霧の中から出てくるモンスターが恐ろしいのだが、真の恐怖の対象は霧そのものではないか

・結局、人は見えないことが一番怖い。もし、霧がなくて怪物が見えていたら、明確な対策を立てて戦うことができる。だが、「何が何だか分からない」と、人は混乱し、終わりの見えなさに絶望する。

・いま、世界に蔓延る感染症の脅威も霧に似たところがある。感染症そのものは見えないから、個人として明確な対策を打てないし、ワクチンが広がる今でもその脅威に対して100%対処できるわけではない。人々は混乱に陥り、終わりが見えないから絶望する。あのスーパーマーケットは一つの世界の縮図であるように見えた

・もっと言えば、霧とは社会であるのかもしれない。世の中の声や雰囲気というものも目には見えない。そうした社会に対して、もしくはその中で、人々はグループを作り、分断し、抗争し、ある者は勝利し、ある者は敗れる。そうした勝敗を決める要素になるのが権力であり、その象徴が作中に1つだけ出てきただった。

・結局、一番恐ろしいのは人間である。なんて、ありきたりな結論になってしまうが、人は恐怖に対して自らをさらに追い込んでいくことに長けている生物だと思った。

・ホラー映画としても最恐で(目を逸らしたくなるような気持ち悪さはすごい)、そして解釈の余地が非常に大きな素晴らしい作品であった。

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