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意志のあるところに道は拓ける

久しぶりですが、ちょっと前回の続きから書いていこうかなと思います。
前回は『挫折』をテーマに書いたのですが、皆さんはどうですか?
挫折味わったことないよって言う人、挫折ばっかりって言う人、人によって様々だと思います。
ただ人生は進んでいくので、それをいかにして次に進めていくのかが大事なんですよね!

でも失敗したら自信なくなるし、うまくいかないことばかり想像してしまうしとなかなかいいスパイラルに入っていけませんよね?
そんな時僕はどうしてるかって…

ポジティブでいること。

今ね僕はすごいポジティブだねって言われるんですよ。

『人生楽しそうだね!!』

って。
いや、待てと。
みんな楽しくないんかって言いたいです笑笑
でもきっと楽しめてない人って僕が思うに少し思考の変換が下手だと思うんですよね。

ただこう思えたのは僕が大学の頃なんですよ。
それまでって言ってしまえば相当メンヘラでした笑
シュート外したらなかなか切り替えられないし、うまくいかないとすぐ悪いスパイラル入っちゃうしで大変でした…

だからこそなんでそういう風に考えられるようになったのかを僕の経験を踏まえて書ければなと思います!

ということで、今日は

『大人の階段』をテーマに書いていきたいと思います!

(高校も大学も書こうと思ったのですが、長すぎることになったので今回は高校編です)

中学のユースに上がれないというところからどうしたかというと、『千葉県立八千代高校』に入学しました。(3年間一緒のクラスで共にした体育科のみんな)

サッカー以外でもめちゃくちゃ書くことがあるのですが、ちょっとサッカー中心に書いていきましょう!

まずは1年の頃。
当時の砂金先生に目をつけられて幸いなことに1年生からトップチームに入ることができました。

中学の時とはまるで違うパワーやスピードに慣れていくのが、そして付いていくのが必死だった僕に、チャンスが訪れたのは、初めて呼ばれたトップチームの練習試合のvs矢板中央でした。

その試合は45分くらいの出場でハットトリック(3得点)決めることができ、かなりインパクトを残せました。
パワーやスピードは違えど、僕の得点力は通用するんだなと思った瞬間でした。

それと同時に、今でもそうですが『仲間に生かされて初めて生きる』ことを実感しました。

そこから夏にインターハイが始まり、初戦のvs敬愛学園の同点で迎えたラストに武藤からのクロスにヘディングで合わせて勝ち越し弾を決め勝つことができました。(レイソルで一緒だった武藤友樹。当時の1年生コンビ)

公式戦初出場、初ゴールを取ることができました!

その時はとても嬉しかったのを今でも鮮明に覚えています!

ただその辺からきっと俺ならやれると過信してたのでしょうか?
夏に1年生の近隣の高校が集まる選抜に落とされました。
当時はそのセレクションで1番得点も取っていたし、まさか落ちることはないだろうと思っていましたが…
その時に言われた言葉は今でも覚えています。

『お前には武器がない』

正直なところ、はっ?って思いました。笑
ゴールを取る得点能力って武器じゃないのかと。

でも、その時に初めて得点がなければ何もできない選手なんだなと気づかされました。
自分が思っていることと、人からの評価って同じならいいんですけど、違うことが多い。
だから耳を傾けないといけないんですよね。

そこから他の武器もつけようと1vs1の練習をしたり、沢山のシュートパターンの練習をしたりと、試行錯誤しながら自主練をしていました。

八千代では夕方の練習の2時間しかやらない。
だからこそ、それ以外の時間の使い方をすごい学んだ3年間だったかなと思います。

そして2年になる頃、成長期もある程度終わり、体的にもできてきて、今年1年は常にスタメンで出れるような存在になってやると思ってました。
ただやっぱり思うようにいかないですよね笑
得点は取るものの使われ方としては、

『スーパーサブ』

でしたね…
悔しかったけど、その仕事を全うしないといけなかった。
チームのために。

そして夏のインターハイも選手権も全国に出場することができました!

八千代にとっては3年ぶりの全国出場。
しかも前年度に市船(千葉県)が優勝したこともあり、国立まで全てフクアリ(ジェフ千葉のホームスタジアム)でできることになりました!
完全にホームです。

久しぶりの八千代。
フクアリでやる初戦。
注目がすごかったと思います。
だってスタジアム全体がオレンジで染まってたんですから!

ただそこで悪夢を見ました。

初戦で1-7の大敗。

この景色は一生忘れないと思います。
流経が出てたほうが良かったんじゃないか。
千葉の恥。
市船と流経だけでいい。
たくさん言われました。
でもそれほどみなさんの期待が大きかったってことだと思います。
それに対して結果を出すことができなかった。
改めて結果という重要性を気づくことができました。

試合が終わった後走って宿舎まで帰ったのですが、この時に来年は『全国の借りを全国で返す』を目標に取り組みました。

そこから最上級生になり僕はキャプテンとなりチームを引っ張りたいと思いました。
そして部員の賛同を経て監督に伝えに行きました。
ただ返ってきた言葉は…

『お前はキャプテンじゃない方がいいんじゃないか?もう一度はなしてこい』

そしてもう一度はなした結果キャプテンは僕でいいとなりました。
しかし結局キャプテンに任命されたのは違う人でした。

この時多分、僕は考えすぎると自分を出せないことを見透かされていたと思います。

そして僕はキャプテンを支え、背中でチームを引っ張る絶対的な選手になろうと決めました。

そこから渡された番号が

『11』

これは僕の憧れである佐藤寿人選手と同じ背番号です。(なんで寿人さんが好きなのかはまた別で書こうと思います。)

僕にとっては特別な番号。
だから嬉しかった。
ただそれも長くは続かなかった。

夏のインターハイから背番号が変わり『10』になった。
僕はもらった時に、僕にとっては11番以外同じ番号なので気負いすぎないで行きますとはなした。(プレッシャーに負けないように気負いすぎませんというニュアンスで言ったつもりだった。)

すると

八千代の伝統の『10』に誇りを持て。

とゲキを飛ばされました。
たしかにあれだけ伝統のある高校の『10』を任されたのですから本当に光栄なことです。

そしてそこから八千代高校150人の部員の代表としての自覚と責任が芽生えました。

チームを代表しての行動言動はもちろん。
10番として見られるパフォーマンスの向上。
そして…

『人に感動を与えるサッカー』

をすること。

もちろん個人としてプロになる為に八千代に行ったし、その為の練習をしてきた。
ただ、この150人で全国に行き、借りを返したかった。

ただ結果、インターハイも選手権も千葉県でベスト4止まり。
リーグ戦では最下位で降格。
なんも達成できない代になってしまった…
ただ救われたのはこの一言。

そしてなんとか10番としての役割は果たせたかなと思います。

武器がなかった。
考えすぎて空回りすることばかり。
でも最後はチームを引っ張れた。
それは全て周りが教えてくれて、僕を支えてくれたからこそ。
それが出来たのは1つ

『傾聴力』

があったからなのかもしれない。
そして文武両道の八千代高校だからこそ学べた

『考える力』

この2つの力は高校で大きく成長したところ。
そしてプロになった今、かなり重要になってるピースの1つでもある。
これはきっとサッカーだけでなく他の仕事でも役に立つはずだ!
力を付けようとして付くものでもないかもしれないが、少し意識してみて欲しい。

(関東リーグ1部vs FC東京U-18戦で1試合4得点決めた時の渾身のガッツポーズ)

僕はジェフユースに行けなかった。
最初はプロになる為に回り道になってしまうかもしれないと思った。
でもそれは結果が出てみないとわからない。
だからこそ与えられた環境で結果を出せるように日々頑張るしかない。
そして今だから言える。

八千代に行って良かった。

八千代の経験があるからこそプロになれた。

そして今の自分がいる。

だからどんな状況に置かれても目的だけ見失わずにそのルートだけ考え進んでいけたら自ずと道は開けるはず。
ここで高校の先生の好きな言葉をお借りしましょう。

『意志のあるところに道は拓ける』

どんなに辛くても絶対こうなってやるという信念を持って突き進んでみてくださいね!!

最後まで読んでくださりありがとうございました!
次は

大人の階段〜大学編〜

です。
ここにはかなりの心境の変化。
そして今の浅川隼人の大部分がギュッと詰まってます!
次回もお楽しみに!
バイバイ!

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