まるかいてちょん

hope it is some what authentic

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最近の記事

また1年ほどが経った映画雑記②

 昨年は、平均すると月に3本も観られたかどうか。インプットが足りていないと理解しながら、アウトプットだけ続けるというのはつまり、収入がないのに貯金を崩しておびえているということで、心がとても貧しい。   『JUNK HEAD』  最近しばしば会うようになった中高時代の友人と観に行った。  良いとか悪いとかではなく、ただ確実にやばいものを見てしまったぁという感覚。終盤にさしかかるにつれ「絶対に収集がつかないぞ」と不安になっていたら見事に収集がつかないままエンドロールに突入した。

    • 推しが燃えたとて

      宇佐見りん『推し、燃ゆ』(河出書房新社)  絶妙な風合いのピンクに浮かぶ女の子が可愛い。こういう可愛い本が文学賞を獲り、立派な賞名を冠して、なおも可愛い姿で書店に並ぶのは本当に良い。私の思春期を、ドストエフスキーの名訳(『罪と罰』の解説は本当に面白くてそれだけでも読みたい)で支えて下さった亀山郁夫氏の推薦にも心が躍った。氏いわく、ドストエフスキーが20代半ばで書いた初期作品のハチャメチャさとも重なり合う――そうかそうか、はちゃめちゃな人間の話はいつ読んだって素敵なものだから

      • 眠れない夜に、少しだけ解けた呪いのこと

         今日は早く起きて、掃除と洗濯をして、クッキーを焼いて、明るいうちに外で運動したし、美味しいものを食べて、友達とお喋りした。仕事だってほとんどしなかった。さぞかしよく眠れるだろうとわくわくしてベッドにはいったのに、すっかり目が冴えて寝つけない。  悶々とすること3時間超、朝チュンがきこえて時計をみると午前5時すぎ。普段ならもっとはやくに寝るのを諦めて、シャワーを浴びたり、朝する予定だった仕事をかたづけちゃったりするんだけど、今日はなまじっか寝つきに自信があっただけに往生際わ

        • 1年ほどの映画雑記①

           ここ最近読んでばっかり(仕事)なので書きたい欲求がすさまじく、しかし考えているあれこれを並べて整理して編む余裕がないので雑文で心を宥める。 『マリッジ・ストーリー』  どんなに怒っていたとしても絶対に言っちゃいけないことを口にしてしまった時の、言葉が口からすべり落ちたその瞬間から後悔する感じが脳天に来た。自分すらその言葉の被害者に思えるような、空々しい他人ごと感。自分や相手の感情とは離れたところでの、容赦ない「取り返しがつかない」感覚がめちゃくちゃリアル。長くもない人生が

        また1年ほどが経った映画雑記②

          世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい

          中高生の時、何回自分に言い聞かせたかわからないこの言葉を、書いたその人は近年なぜか語彙にトゲがあって、なぜか断罪的で、彼の本を読むのはもう数年辞めていた。 縁があって久しぶりに読んだ著作。年末に文庫版が出版された『FAKEな日本』――――「文庫本のためのあとがき」まで読み進めたところで、めちゃくちゃ泣いていた。別に特に感動する話ではないし(どちらかといえばただ世の中に幻滅する話)、彼はいつも同じことを言っているから驚きもない。中高生の頃、著作も映画もトークも追いかけていたか

          世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい

          誰のために愛するか

          曽野綾子『誰のために愛するかーすべてを賭けて生きる才覚ー』角川書店(1979) ★「愛」について。夫・三浦朱門や息子との関係性を軸に書かれる、筆者のぞんざいかつ、命を賭した愛し方。  著者いわく、「愛」の評価基準は自己犠牲にある。火事の家に子どもが取り残されたとき、迷わず火の中に飛び込んでいけるか、愛している男のために、女のために死ねるのか。それが私たちにとって一つの愛の指標であり、踏み絵であるのだと。  言葉にそこそこ神経質なので、今まで誰かに愛してると言ったことはすご

          誰のために愛するか

          残像に口紅を

          筒井康隆『残像に口紅を』(1995, 中公文庫)  少しずつ音が消え、消えた音でしか言えない言葉は概念ごと消失する世界。さっきまで当然のように使えた言葉が出てこない、そこに存在したものが思い出せないという奇怪な状況に、その世界を書いている張本人の佐治までが戸惑っている。言葉が出ないもどかしさや、しっくりくるものが見つからない苛立ちに感じたのは、懐かしさと、少しずれた共感めいたもの。  高校2年生の時、さして英語をしゃべれるわけでもないのにひとまず外国に飛び込んでしまった。

          貰いものじゃない羊羹

           在宅ワークをするようになってから、時々、家の周りを散歩している。だいたい同じ道を、だいたい同じ時間に歩いていると、そこそこな割合で同じ人に会う。今日はその「同じ人」たちの一人であるところの、商店街のおばあちゃん(ちょっとだけ知り合い)に、栗羊羹をもらった。  おばあちゃんは「貰いものなんだけど食べきれなくて」と言って、私に羊羹を3つくれて、左手にスマホと鍵だけ持って歩いていた私は、羊羹3つ、右手に握りしめて帰った。「おばあちゃんがくれる貰いものの羊羹」みたいな典型的なこと

          貰いものじゃない羊羹