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ノンキなショートストーリー『バレンタインデーのUFO』

『バレンタインデーのUFO』

 
私はバレンタインデーのチョコレートを家に忘れてしまった。
朝起きたら「あんな大事件」が起きていたからだ。
「あんな大事件」とは?
東京上空にUFOが現れたのである。それは昔のSF映画に出てくるような円盤型だった。
キラ、キラ。
ピカ、ピカ。
眩しく光っている。
そのUFOは東京上空を飛び回って、新国立競技場の上空に止まり、ゆっくりとグランドに着陸した。UFOは静止したまま、特に危害を加える様子はなかった。
UFOは、一体何の目的で地球に来たのか。政府関係者が新国立競技場の中に入り交渉を始めようとしたが、UFOから全く反応はなかった。科学者はUFOを分析しようとしたが、どうやって飛んでいるのか、どこから飛んできたのか全く手がかりが掴めなかった。環境保護団体が新国立競技場の前に現れて、チャネリング(昔流行ったUFO用語らしい)で交信したと集まった報道陣に言ってきた。彼らの言い分では、地球の環境破壊を警告するために来たと言っている。
しかし、いつまでたってもUFOからは何もメッセージはなかった。
突然のUFOの出現で、最初は盛り上がりを見せたが、何もメッセージを発しないので、人々の関心は急速に冷めてしまい、いつもと同じような朝に戻っていた。
 
私はテレビやスマートフォンでUFOのニュースを見ていたら出勤時間を過ぎてしまい、いつもより遅い電車に飛び乗った。しかし、慌てて家を出たから、バレンタインデーのチョコレートを家に忘れてしまった。
会社に着くとテレビのUFO中継をみんなで見ていた。私は少し遅刻してしまったが、誰にも気づかれずにテレビを見る社員の中に紛れ込んだ。これで遅刻は誰に気づかないだろう。
テレビ局がヘリコプターを飛ばして、空から新国立競技場を映しているが、UFOからまだ何もメッセージがなく、アナウンサーもどう時間を繋いだら良いか迷っている。中継は完全にグダグダになっていた。何も危害は加えないようだけど、何となく不安なので、みんなテレビを見続けていた。
そして、部長がフロアに入ってきて、社員全員に呼びかけた。
「まずはいつも通りに仕事をしよう」
何の動きのないUFO中継に飽きていた事もあるが、部長の「力強いけど穏やか声」は、みんなを安心させる力がある。社員全員がいつもと同じように、各自の席に戻って仕事を始めた。この部長がいるだけで、会社全体の雰囲気が良くなる。
前の部長は、最悪だった。
パワハラのような恫喝を繰り返し、モラハラのように陰湿に人を追い詰める人だった。「給料泥棒は誰だ。お前たちの変わりは幾らでもいる。次のリストラ候補はお前だ」が口癖だった。ターゲットになった社員は次々と追い詰められてボロボロになり、退職者が続出した。業績も悪化の一途だった。会社の雰囲気は最悪になり、まるで地獄のような日々だった。
次は自分がターゲットにならないか不安になり、私はいつの間にか全身に蕁麻疹が出てきて、毎日トイレで戻しながら仕事をするようになっていた。
「いつ倒れてもおかしくない」そう思った時にはすでに遅く、私は自宅療養する事になった。
自宅療養中に「部長が異動になった」と連絡が入った。完全な左遷人事だ。これは後で聞いた話になるが、部長にボロボロにされて退職した社員達が集団で会社に訴えると言ってきたらしい。結局示談になったが、取引先からのクレームも相次いだため、前の部長は、いつの間にか会社から姿を消していた。
私は自宅療養を終えて、久しぶりに出社した。
驚いた事に、会社の雰囲気が一変している。お通夜のような表情でパソコン画面だけを見つめていた社員たちが、お互いに冗談を言い合って、大声で笑い合っている。会社全体の空気が穏やかで活気に満ちている。これが私の会社なのかと思い、外に出て確認したが、間違いなく私の会社だ。
私に最初に声をかけてきたのは、新しい部長だった。
新しい部長の力強いけど穏やかな声で、自己紹介をして「これからよろしく」と言って席に戻っていった。会社の雰囲気が(良い意味で)一変していた理由がわかった。この新しい部長のおかげなのだ
新しい部長は、仕事で困っている事があれば誰よりも親身になり、仕事を頑張れば誰よりも喜んでくれ、どの社員に対しても(自宅療養明けの私に対しても)、平等に優しく接してくれた。
私は初めて会社に行くのが、楽しいと思えるようになった。仕事も前向きに取り組めるようになった。
そして、私は部長に対して、頼りになる上司以上の特別な感情を持つようになっていた。
今年の新年会は、凄く盛り上がった。
部長が紹介した店は料理も美味しくて、値段もお手頃、何よりもお店全体の雰囲気が温かった。そして、部長が中心になって楽しく盛り上げてくれた。会社の飲み会が楽しいと思えたのも、私にとっては初めての事だった。
新年会は、盛り上がったままお開きになった。
帰りの駅に着くと、会社の人たちは違うホームに向かい、私と部長だけが、同じホームで電車を待つことになった。ホームには、私と部長しかいない。さらに、幸運な事に電車が遅れている。
これは、部長とゆっくり話せるチャンスだと思った。
しかし、会社では私は部長と話す機会はほとんどなく、いざ二人だけになっても何を話せば良いかわからず、黙り込んでしまった。
「間もなく電車が到着します。しばらくお待ち下さい」
アナウンスは繰り返されるが、電車はなかなか来ない。
私は部長と二人で、電車を待ち続けていた。
「電車…来ないですね」
私は思い切って話しかけてみたが、次の言葉が続かなかった。部長は、そんな私を気遣うように話し出した。
「さっきのカラオケで歌った『異邦人』とても上手かったよ。昔の歌だけど良く知っていたね」
新年会のカラオケで、私が『異邦人』を歌った事を部長は覚えていた。
「母が好きで良く聴いていたから、自然に歌えるようになりました」
私が年齢に合わない古い歌を歌っていた事が、部長は気になっていたようだ。
「僕の姉も好きで、良く聴かされていたよ」
私と部長は、年齢が一回り以上離れている。どちらかと言えば、母の方が部長と年齢が近いと思うから、部長の姉と聴いている曲は似ていたのだろう。
「部長は何を歌うつもりだったんですか」
もうすぐ部長の順番と思ったら時間が来てしまって、部長の歌を聴く事はできなかった。部長が何を歌うのか答えようとした時に、電車が到着した。私は次に来る各駅停車に乗るけど、部長はこの快速電車に乗る。
「今日はお疲れ様。帰り道に気をつけて」と言って、部長は電車に乗り込んだ。
ドアが閉まったが、急にまた開いた。
無理な駆け込み乗車があったようだ。
ドアの前に部長が立っていた。
私は思い切って、部長に手を振ってみた。
部長は少し照れた様子で、小さく手を振り返してくれた。
またドアが閉まった。今度はドアが開く事はなかった。
私は部長が見えなくなるまで手を振り続けた。
部長は手を振るのをやめていた。
これが私と部長の数少ない二人だけの思い出だった。
 
三月から部長が異動になると発表があった。
経営陣は会社を立て直した部長の手腕を高く評価して、出世のための異動だ。出世だからめでたい事だけど、異動したら部長に会えなくなってしまう。部長に会えなくなると思ったら、私は自分の気持ちを抑えきれなくなっていた。
それで、バレンタインデーのチョコレートなのだ。
もう大人になっているし、それに今時バレンタインデーのチョコレートを渡すのはどうかと思ったが、とにかく渡してみようと思った。まるで中学生みたいだが、これしか自分の気持ちを伝える方法はないと思った。友人たちに相談したら、口を揃えて渡した方が良いと言われた。
友人たちの意見をまとめてみた。
①部長の年代なら、バレンタインデーは特別な日と意識している。
②最近は義理チョコも貰っていないと思うから、貰えれば嬉しいと思う。
③でも明らかに、義理チョコっぽいのはやめた方が良い。
④手作りチョコレートは、重い女と思われるからやめた方が良い。
⑤部長は若くない(私より一回り以上年上)から、量より質で選んだ方が良い。
⑥でも高価すぎると気を使わせるから、高すぎず安過ぎず…などと色々とアドバイスをくれた。
私はそのアドバイスを参考に、何軒もお店を回って必死に選んで、バレンタインデーのチョコレートを買った。しかし、今朝UFO騒ぎのせいで、家に忘れて来てしまったのである。
もう取りに帰る時間はない。だけど、最近部長は引継ぎで残業続きのため、帰りが遅くなっている。仕事が終わってから、急いでチョコレートを買いに行っても、帰りの駅で会えれば渡す事ができる。私も同じ駅の同じホームから帰る事は、新年会で知っているから、会ったとしてもおかしくない。少しストーカーっぽいが、待ち伏せて(でも偶然を装って)会えれば渡せると思った。それに、もうすぐ部長に会えなくなるのだから、余計な事を考えずに行動するしかない。
私は定時(部長のおかげで無駄な残業がなくなった)に退社すると大急ぎで近くのデパートまで走って、バレンタインデーのチョコレート売り場に向かった。
バレンタインデー当日の夜だから、すでに売り切れている物も多かった。それでも、残っている物の中から、何とか良い物を選ぼうと見て回っていたら、急に売り場の店員やお客さん達がざわつき出した。
みんな同じ方向を見ている。私も店員やお客さん達の視線の先を見た。
そこには、とんでもなく美しい人が立っていた。まるでハリウッドスターかパリコレのモデルのような現実離れした美しさだった。売り場にいた誰もが、ウットリした表情で彼女を見ている。私は何かの撮影かと思ったが、近くにカメラマンやスタッフらしい人はいなかった。どうやら本当に一人で来ているようだ。
彼女は売り場のチョコレートを見ながら、どれを買うか迷っているようだ。店員やお客さんに近づいて何か尋ねようとするが、みんな彼女が近づくと緊張して動けなくなって会話にならない。それほど彼女の美しさは現実離れしている。
彼女が、私のほうに向かって来た。私も他の人と同じように、緊張して動けなくなった。
「アナタも、どのチョコレートにするかナヤんでいるのですか」
彼女は片言の日本語で、私に話しかけてきた。彼女が真剣な眼差しで私の方を見ている。
「はひ」と私は裏返った声で答えてしまった。
そんな事は気にせず、彼女は私に話し始めた。
「ワタシはバレンタインデーのチョコレートを選ぶのはハジメテです」
「どんなチョコレートがヨイですか」
「どんなチョコレートを渡したらヨロコビますか」
私は彼女の頬が、ほんのり赤く染まっている事に気がついた。
こんな美しくても恋する乙女なのだと思った。緊張が一気に解けた。私は声が裏返らないように、大きく深呼吸をしてから彼女の質問に答えた。
「渡す相手にもよるけど、余り高い物だと貰った方が気を遣いますよ」
「でも安すぎるのも良くないですね」
私は友人たちのアドバイスを思い出して答えてみた。でも、答えになっているかな。
「タカイって、どれくらいですか?コレで足ります」
彼女は凄くお洒落なバックから財布(これも凄くお洒落だ)を取り出した。
財布を開くとお札が何十枚…もしかしたら百枚ぐらい入っているかもしれない。とにかく財布の中には、ギッシリお札が入っている。
「絶対足りますよ。危ないからその財布はしまった方が良いですよ」
「アブナイですか。ナンでしまうのですか」
私が危ないと言っている意味を、彼女は全く理解していないようだ。
「そんな大金が入っている財布を持っていると危ないです。ひったくりに合っちゃいますよ」
「ヒッタクリ。それはナンですか」
ひったくりの意味が解らないのかな。
「悪い人が、あなたの財布を無理矢理持って行く事です。凄く危ない事です」
「これをモッテいるのは、そんなにアブナイですか」
彼女は片言な日本語で話しているから、言葉の意味が解らないかもしれないが、それだけじゃなく、あんな大金を持ち歩く事の危険性も解っていないようだ。
店員も他のお客さん達も彼女を見ている。今度は彼女の美しさでなく、彼女が持つお札の方を見ている。
「危ないですよ。早くしまって下さい」
少し強い口調になったが、私の雰囲気で彼女もわかってくれたようだ。彼女は財布をバッグの中にしまってくれた。
「あなたは、私の事をシンパイしてくれていたのですね」
「あなたはとてもヤサシイです。あなたはとてもヨイひとですね」
彼女は真剣な眼差しで私を見て、こう言ってきた。
「私とイッショに、チョコレートを選んでくれませんか」
「はい」(今度は裏返らなかった)と私が答えると、彼女はとても喜んだ。そして、二人で一緒にチョコレートを選ぶ事になった。
彼女の真剣な眼差しで断れなかった事もあったが、もしかしたら彼女は凄くセレブなお嬢様で、好きな人に渡すチョコレートをお忍びで買いに来たのでないかと思った。もしそうなら応援したいとも思った。
それに、私も一人で選ぶのが不安になっていた。いざ部長に渡すとなるとどれを選んでも、喜んでもらえるのか不安になっていた。忘れてきたチョコレートも必死に選んだ物だが、今は渡しても喜んでもらえるとは思えなかった。
 
「これはカワイイ絵が描いてあるから、ヨイですか」
彼女は、アニメのキャラクターが書いてあるチョコレートを持っている。
「子供にあげるなら良いけど、大人だと義理チョコだと思われますよ」
「ギリチョコ」
彼女は、義理チョコの意味を知らないようだ。
「好きでもない人に、義務的に渡すチョコレートの事ですよ」と私は説明した。
「なぜ、スキでもない人に渡すのですか。バレンタインデーは、スキな人にチョコレートを渡す日ですよね」
彼女は、不思議そうな表情で私に聞いてきた。
「だから、私はムリしてココまで来ました」
無理して来たと言うぐらいだから、彼女は本当にお忍びで来たのかもしれない。
「世間体というか、礼儀みたいな物だけど、最近は廃れてしまったね」
「私の会社も、私が入社する前に義理チョコ禁止令が出て、今は誰も渡していないです」
「でも、大人にアニメのキャラクターが描いてあるチョコレートを渡したら、義理チョコと思われますよ」
彼女は納得していない様子だったが、そのチョコレートを棚に戻した。
次に、彼女はチョコレートの塊を手に持っていた。
「コレは何ですか」と聞いてきた。
「これは手作りチョコレートの材料ですよ」
「でも手作りチョコレートはやめた方が良いと思いますよ」
彼女は、また不思議そうな表情を浮かべて、私に聞いてきた。
「テヅクリなら私のキモチも込められて、ヨイのではないですか」
「悪くはないけど、いきなり手作りチョコレートだと重い女と思われますよ」
「オモイ女」
「フシギですね。スキな人に気持ちを伝えるのに、オモイとかカルイとかあるのですか」
彼女は、真剣な表情で、私の返事を待っている。
「何て説明したらいいのかな。でも距離感って大切だと思いますすよ」
「それに、これからチョコレートを手作りする時間なんて無いですよね」
彼女はまた納得していない様子だったが、私の意見を聞き入れてチョコレートの塊をそっと棚に戻した。
私も彼女の質問に答えながら、真剣にチョコレートを選ぶがなかなか決まらなかった。
「ワタシは、アナタと同じチョコレートにします」
突然、彼女が私に言ってきた。
「どうしたんですか。自分で選んだ方が良いと思いますよ」
彼女は私の方を見つめながら言ってきた。
「アナタは、とてもシンケンにチョコレートを選んでいます」
「そんなアナタが選んだチョコレートなら、マチガイないと思います」
私は答えに困ってしまった。
「私はとてもスキな人がいます」
「どうやってキモチを伝えたら良いかマヨッテいたら、このバレンタインデーの事を知りました」
「本当はキンシされているけど、コッソリ来る事にしました」
 やっぱり彼女は、お忍びで来た凄くセレブなお嬢様なようだ。
「でも、ダレもシンケンにチョコレートを選んでいるように見えなくて、とてもフシギでした」
「なぜ、スキな人に渡すチョコレートをシンケンに選ばないのか。とてもフシギでした」
「しかし、あなたはシンケンにチョコレートを選んでいます」
「そんなあなたが、選ぶチョコレートなら、私はマチガイナイと思いました」
「どうして、あなたはシンケンにチョコレートを選んでいたのですか」
私は少し時間がかかってしまったが、こう答えた。
「私も…とても好きな人に…渡したいと思ったから」
彼女は、とても安心したような笑顔で私を見て
「ヤッパリ、そうだと思いました」
「さあ、またイッショにチョコレートを選びましょう」
彼女は私の手を掴んで、嬉しそうに言ってきた。
それから、私と彼女は閉店時間ギリギリまで、チョコレートを選んだ。
私は彼女に、部長の事を話していた。彼女に話しながら、こんなにも部長の事が好きだったのかと自分でも驚いている。
彼女も好きな人の事を話してくれた。彼女の話には、「宇宙連合」とか「遺伝子操作」とか不思議な言葉が混じっていたが、どうやら彼女の好きな人も素晴らしい人のようだ。そして、その人を本当に好きな事が伝わってきた。
さっき会ったばかりの私達だが、「好きな人に渡すチョコレートを選ぶ」という共通の目的から、気持ちが通じ合えたと思った。
 
私達は、小さなチョコレートが五個入っている物を選んだ。五個のうち一つだけハート型になっているのが、さり気ないけど気持ちをしっかり伝えているような感じがして、私も彼女もこれが良いと思ったのだ。しかし、そのチョコレートは一つしかなかった。
私は「どうぞ」と言って、彼女にそのチョコレートを勧めた。
彼女も「ドウゾ」と言って、私にそのチョコレートを勧めてきた。
お互いに欲しけど、自分だけが買うのはどうかと思った。二人で「どうぞ」「ドウゾ」と譲り合いが終わらなくて、店員も呆れてしまい、売り場を片付け始めた。
その時、一人の女性が私達に近づいてきた。
「良かったら、これ譲りますよ」
それは、私達が「どうぞ」「ドウゾ」と譲り合っていたチョコレートだ。
「本当に譲ってくれるのですか」私はその女性に聞いた。
「あなたたち二人が本当に真剣に、でもとても楽しそうに、チョコレートを選んでいるのをずっと見ていました」「やっと選んだチョコレートが一つしかなくて、譲り合っているのも見ていました。本当に、仲が良いのですね」その女性の言葉に、私と彼女は照れてしまった。
「それに、このチョコレートは奇跡のチョコレートなんですよ」
「なんで奇跡のチョコレートなんですか」
私と彼女が聞くと、その女性は理由を話してくれた。
「私は去年このチョコレートを渡して、彼と結ばれたからです」
「今年は三人で食べようと思って、買いに来たの」
私はその女性が、フワッとして包み込むような服を着ている事に気がついた。
「おめでとうございます」私の言葉に、とても幸せそうな表情で「ありがとう」と答えてくれた。
彼女は、まだ理解していないようだったので、小声で説明した。
「新しいイノチをサズカッテいるのですか」彼女はとても驚いている。
「ハジメテ会いました。本当に新しいイノチが、アナタの中にいるのですね」
彼女は本当に、妊婦と初めて会うように驚いている。まさか、今まで妊婦と会った事がないのかな。
「私は病気のために無理だと言われていたから、とても嬉しくて、あとは無事に生まれてくれれば」
「医者からは五分五分だと言われているから…不安なんですけどね」
「ブジにウマレナイ事があるのですか」彼女は私に聞いてきた。
私の表情を見て、彼女は理解したようだ。
すると彼女は、その女性の少し膨らんだお腹に向かって祈り始めた。
キラ、キラ。
ピカ、ピカ。
彼女が一瞬だけど眩しく光った気がした。そして、彼女は不思議な事を言った。
「アナタのイデンシジョウホウを少しだけ書き換えました。コレでダイジョウブです」
その女性は不思議そうな表情を浮かべたが、「ありがとう」と言って、奇跡のチョコレートを私達に渡して、男性が待つ方に戻っていった。二人が並んで歩く姿は、とても幸せそうだった。
「これは本当に奇跡のチョコレートなのかしれないね」
私の言葉に、彼女もゆっくり頷いた。
 
蛍の光が流れ始めて、警備員が回ってきた。私と彼女は大急ぎで、レジへ向かった。彼女の財布の中にギッシリ入っていたあのお札が消えていて、ピッタリの金額だけが、財布の中に入っていた。私は不思議に思ったが、とりあえず会計をすまして彼女と一緒に外に出る事にした。
「でも、どうやってチョコレートを渡すの。もう夜遅いし、これから会う約束でもしているの」
私は部長を駅で待ち伏せ…じゃなくて偶然会うから良いけど、彼女はどうするんだろう。
「ここからならイッシュンでトンデ行けます」
「それにジカンの流れが、チガイますから大丈夫です」
一瞬で飛んで行ける? 時間の流れ? また、不思議な事を言うと思った。
「これヨロコンデくれますか。とてもフアンです」
「いきなりチョコレートを渡したらイヤがらないですか。とてもフアンです」
「ワタシが渡してもヨロコンデくれますか。とてもフアンです」
彼女は、何度も不安だと言ってきた。
「大丈夫だよ。私も応援するから勇気を出しなよ」
「勇気を出して、チョコレートを渡せば気持ちは伝わるよ。大丈夫だよ」
「奇跡のチョコレートなら、絶対に大丈夫だよ」
私は何度も大丈夫と言って、彼女を励ましたが、本当は自分に言っているのかもしれない。私だって不安なのだ。
「そんなに何度もダイジョウブとオウエンされると、ホントウにダイジョウブな気がしますね」
時計を見ると、かなり時間が過ぎていた。急いで駅に向かわないと部長が帰ってしまう。
「ごめん。急がないと間に合わなくなるから帰るね」
「そうだ連絡先教えてよ。また会おうよ」
彼女の浮世離れした感じからSNSはしてないと思ったので、私はさっき買った奇跡のチョコレートのレシートを取り出して、自分のメールアドレスを書いた。メールぐらいは、彼女も知っているだろう。
「私のメールアドレスだから。必ず返事を送ってね。絶対だよ」
彼女は受け取ってくれたが、思いもしない言葉が帰って来た。
「ありがとう。でも、そういう事はできません」
それに彼女は、凄く怯えているように見えた。急にどうしたのだろう。
「本当はこんなふうに話す事も、絶対にしてはいけない事なのです」
「それに、この星に来る事もいけない事なのです」
彼女が、また不思議な事を言い始めた。
「私は好きな人がいます」
「自分の気持ちを伝えたいと思っていました」
「でも勇気が出せなくて、自分の気持ちを伝えられなかった」
「何か良い方法はないかと思って、この星へ来ました」
「そして、この星、この国のバレンタインデーの事を知りました」
彼女は何を言っているのだ。
「宇宙連合から、今すぐ帰って来いと通信がありました」
「地球はまだ宇宙連合に加盟していないから、地球人と関わる事は禁止されています」
「これ以上地球人のあなたと関わるなと言っています」
「あなたの記憶を消去しろとも言っています」
宇宙連合? 記憶を消去?
私は彼女が何を言っているのか、全く解らない。でも、冗談とは思えない真剣さがある。そう言えば、いつの間にか片言だった彼女の日本語が、随分流暢になっている。
「今すぐ帰らなければ、とても重い処分を下すと言われました」
彼女の全身から、恐怖に怯えているのが伝わってくる。
「大丈夫。重い処分って、そんなに恐ろしい事なの」
私は彼女が心配になり近づいたが、そんな私を振り切るように彼女は話しを続けた。
「これから、あなたの記憶を消去します」
「あなたは私と別れると、私に会った事さえも忘れます」
記憶の消去なんてできるのか?
さっき会ったばかりの私達だが、好きな人に渡すチョコレートを選ぶという共通の目的で、気持ちが通じ合えたはずだ。
「私は、絶対忘れないよ」
私はそう言って、彼女と別れた。
正確に言うと、彼女が私の前からいなくなっていた。
 
「なんでチョコレートを買うのに、一人であんなに迷ったのかな」
私は、予定よりも随分遅れてしまったので、大急ぎで駅に向かっていた。もう部長は帰ったのかもしれない。私は必死に駅まで走った。何度も諦めようと思ったが、この奇跡のチョコレートを見ると不思議と大丈夫に思えた。
奇跡のチョコレート?
これはデパートで買った普通のチョコレートなのに、何でそう思えるのだろう。
私は駅の階段を駆け上がり、ホームを見渡した。ホームには人がまばらに立っていて、電車を待っている。ホームの一番端の方に部長を見つけた。もう少しで、部長が乗る電車がやってくる。私は急いで部長の方へ走った。部長は、急に走って近づいてきた私に驚いている。
「走ってきたみたいだけど、何か用があるのかい」
部長は力強いけど穏やかな声で聞いてきた。
良く考えたら、駅まで追いかけて来て(それも走って)、いきなりバレンタインデーのチョコレートを渡したら、どう思うだろうか。そう思ったら、とても不安になってきた。
私はバレンタインデーのチョコレートを渡せず、時間だけが過ぎていく。
部長はそんな私を心配そうに見ている。
部長が乗る電車が、ホームに到着した。
「また明日」と言って、部長が電車に乗り込んだ。これで終わりだ。そう思った。
しかし、電車のドアがなかなか閉まらない。電車は止まったままだ。
何でこんなに発車まで、時間がかかるのだろう。
キラ、キラ。
ピカ、ピカ。
ホームの向こう側が、とても眩しく光っている。
その光の中心に見える物は間違いないUFOだ。今朝、東京上空に現れたUFOだ。
UFOが電車の前に現れたため、電車は発車できない。
なぜ、こんな所にUFOが現れたのだ。
キラ、キラ。
ピカ、ピカ。
UFOから、何もメッセージはない。
ただ眩しく光っているだけだ。
でも、UFOのおかけで、電車は止まったままだ。
「こんな事をして、大丈夫なの」私は何を言っているんだ。
「これ以上地球人の私と関わったら、あなたは重い処分を受けるんでしょ」私は誰に向かって言っているんだ。
UFOから、何もメッセージはない。
ただ眩しく光っているだけだ。
その時、大きな着信メロディーが鳴り出した。このメロディーは『異邦人』だ。誰の着信メロディーかと思ったが、部長が私のバッグの方を指差している。どうやら私のスマートフォンから流れているようだ。普段はマナーモードだし、『異邦人』の着信メロディーなんて初めて聞いた。私は不思議に思いながら確認してみた。
どうやらメールが届いているようだ。差出人の名前もアドレスもなかった。迷惑メールかもしれないと思い、私がスマートフォンの画面から目を離そうとしたら、そのメールが勝手に開いた。ただ一言だけ、こう書いてある。
『応援している』
また『異邦人』の着信メロディーが鳴りだした。次々とメールが送られてくる。
同じように、差出人の名前もアドレスなく、そして勝手に開いた。
『勇気を出して渡せたよ』
『気持ちも伝わったと思います』
『凄く嬉しい気持ちになったので、すぐにでも伝えたくなりました』
このメールは何なんだ。誰だがわからないが、「幸せになった」と報告されているみたいだ。
そして、なぜだろう私も幸せな気持ちになってきた。
『奇跡のチョコレートがあるから、あなたも大丈夫だよ』
このメッセージが、私に勇気をくれた。
私の目の前には、部長がいる。私の好きな人だ。
これが最後のチャンス。
私は部長に奇跡のチョコレートを渡した。
部長は驚いているが「ありがとう」と力強いけど穏やか声で言って、奇跡のチョコレートを受け取ってくれた。
まるで私が部長にチョコレートを渡すのを待っていたかのように、UFOは星空の彼方へ飛んで行っていた。
間もなく電車が発車するとアナウンスが流れてきた。
ドアが閉まり、電車が走り出した。
私は部長に向かって、手を振った。
部長も私に向かって、手を振っている。
私は部長が見えなくなるまで、手を振り続けた。
そして、部長も私が見えなくなるまで、手を振り続けている。
私の気持ちが、どこまで伝わったかわからない。
でも、絶対に伝わったと思う。
 
 
私はホームのベンチに座って、帰りの電車を待つ事にした。
スマートフォンを取り出して、さっきのメールを確認しようと思ったが、差出人の名前もアドレスもなかったあのメールは一通もなかった。『異邦人』の着信メロディーも見つからなかった。あのメールは、本当に送られてきたのか。私に勇気をくれたあの幸せな気持ちは一体なんだったのか。
SNSを確認すると、UFOの話題で持ち切りになっている。
UFOは、何が目的で地球に来たのか?
なぜ最後に、あんな所へ飛んで行ったのか?
政府は全く反応がなかったので、何の声明も出せないままだ。科学者達は何も分析できなかったので、全く手がかりが掴めないままだ。環境保護団体はチャネリング(UFOのおかげでまた流行ってきたらしい)で交信したと言って、地球の環境破壊を警告するために来たと言い続けている。
なぜだろう。UFOは、凄く純粋な気持ちで来たのではないか…全く根拠はないけど、私はそう思っていた。
駅ビルの灯かりが眩しくて、星空なんて見えやしない。
それでも、私は星空に向かって、メッセージを送ってみたいと思った。
「ありがとう。私も勇気を出して渡せたよ」
「私の気持ちも伝わったと思います」
私のメッセージは、UFOに届いているはずだ。

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