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図書館にありがとう、そしてごめんなさい。

いつの間にか図書館から遠いところで生きるようになっていた。

小学生のときは2日に1冊本を借りてまるで遊園地に行くかのような気持ちで学校図書館へ行っていたけれど、中学生で使ったのは部活の着替え部屋としてぐらい。

高校卒業間際、大学の2次試験対策で使う新聞をコピーするため司書さんによくお世話になっていたけれど、それ以前は清掃係として図書館を綺麗にするぐらいでしか訪れていなかった。

それ以来、再び図書館に向き合うきっかけになったのは、大学の司書教諭の授業。

「採用試験のとき、少し有利になるらしいよ」

初めはそんな嘘か本当か分からない噂が理由だった。5つ授業を受けるだけで資格がもらえる。しかも3年生で授業を取り切ることができることは、必修だらけの日々に追いつくのが必死だった私にとってとても魅力的な資格だった。

そんな出来心で履修した司書教諭の授業だったが、図書館が抱える機能の多さに軽い気持ちで受け始めた自分が恥ずかしくなることもしばしばあった。


例えば、学校図書館は教科や学校内外を繋げるハブ的な機能を持っているし、学校図書館でできないことも街の公立図書館と連携すればできることは無限に広がっていく。

また図書館は居場所でもある。学校なら教室に入りづらい子の安心・安全を保つ場所であり、街の図書館ならば家、職場・学校に次ぐ第3の居場所でもある。

さらに、司書さんが果たす役割の大きさにも驚いた。

レファレンスは本に関わるプロだからできるすごい技で、書籍の名前や著者を正しく覚えていなくても「表紙が青色のこういう内容が書いてある小説で〜」くらい大まかなキーワードから「あ!これこれ!」と利用者のモヤモヤをすっきりさせることができる。

「図書館って、ただ本がたくさんある場所じゃないんだな」

司書教諭の授業を取り終えた大学3年には、そんな感動に包まれていた。


それから2年経ち、司書教諭の資格どころか教員免許さえしばらく使う予定もないのだが、時々あの冬の感動が忘れられなくていっそ司書の資格を取ってしまおうかと思う瞬間がやってくる。

それはいつと決まっている訳ではないのだが、ちょうどTwitterで流れてきたこの記事を見て取っちゃおうかな〜〜〜のそわそわが今、再燃した。

不明資料のことを光、と表現する不思議さを覚えつつ、やっぱり図書館を守るプロだからこその感覚があるのだなと改めて尊敬した記事。

読みながら、あることを思い出した。

私が住んでいる街の図書館は、利用者カードを持っている人ならば誰でも資料の予約ができる。そしてなんと現地だけでなく、ネットから予約することもできる。

本当に便利でありがたいことだ。

ちなみに実家がある街の図書館は、ネットで予約ができないことはないが、あまり使い心地がよくない。そして私が住んでいる街に比べて蔵書数もバリエーションも限られているので、こうした段差が少なくなっていったらいいなと思ったりもしている。どうしたらいいんだろうは別の話だが…。

少々話が逸れたが、その予約した資料を取りに行き忘れることが今までよくあった。

予約をするときに、【準備ができたら電話を差し上げますか?】というお知らせサービスの案内があるのだが、それに時間を使わせるのも申し訳ないなと感じてしまって、いつもお知らせ機能にお世話ならず資料を予約しているのだ。

が、予約を覚えて取りにいけた試しがほとんどない。

いつも駅近くの市民サービスセンターを受け取り窓口に指定しているのだが、きっと各図書館から資料を運搬する手間もかかっているだろう。運搬する前に、先述した記事のような「引き当て」作業も発生する。

それだけの人と時間をかけて準備をしていただいているにも関わらず、予約資料を取りに行かなかったのは、とても申し訳ない。これからは予約したらちゃんと取りに行こう。もしくは、忘れるくらいなら予約をしたときに電話お知らせサービスをお願いした方がかえってスタッフさんの負担は減るのかもしれない。

そんなことを記事を読みながら反省していた。

同時に、普段見えないストーリーを知るほど場所も仕事も好きになれる。やっぱり司書の資格を取ろうかどうかは置いておいても、図書館という人、場所、モノ、情報を繋げる場所への愛着は何十倍も大きくなった


ゆっくり利用は難しいかもしれないけれど、この記事をきっかけに少しづつ図書館を感じる日々を増やしていきたい。

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