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わたしのマチオモイ帖作品

2019年から毎年、マチオモイ帖を作ることにしている。まだ参加して2年だけど、そう心に決めたから、言い切る。
マチオモイ帖とは何か。公式HPをどうぞ。

全国のクリエイターが自分にとって大切な町、ふるさとの町、学生時代を過ごした町や、今暮らす町など、各地の町で育まれた「わたしだけの思い」を小冊子や映像作品にして紹介する展覧会活動です。

作ろう、と思ったきっかけは展覧会。小冊子やポストカードなどの作品を直に見て、そのオモイにとても感動したからだ。しかし自分で作り始めたら、カタチにするのは難しかった…!オモイは沢山、見つかるから。
だけどこの過程が、自分にとっての大切な棚卸になっているんだ、という話。

今まで描いた作品を紹介する

これは松本市の正月行事、「三九郎」
2019年、初めて提出したイラストがこちら。

私は長野県松本市で生まれ育った。これは松本の正月行事、三九郎である。
「どんど焼き」という言葉なら、全国的だろうか。これが松本では「さんくろう」と呼ばれる。

正月飾りをこのように集めて焼き、その火であぶった繭玉(色のついた餅)を食べて、一年の無病息災を願う。この火で書初めの書き損じを燃やすと、文字が美しくなる、頭がよくなるとも。

見つけられるだろうか、ひとりだけ角餅を持たされ、浮かない表情をしているのが私だ。
だって。一回でいいから、皆のようにカラフルで、飾りなんかもついている、柳の枝がよかった。私の枝は、父が川べりで切ってきたゴツい棒だったし。
ちなみに右端にいるおっちゃんが、私の父だ。


これは松本市の盆行事、「ぼんぼん」

これは今年提出したもの。これも松本ならではの行事を描いた。
女の子だけが、浴衣を着せてもらい、ほおずき提灯を持って歌を(これが子ども心にも暗いな…と感じる歌だった)歌いながら、練り歩くというもの。

制作環境はデジタルなのだが(まだ水彩の混色に慣れなくて、宵闇の薄紫が出せなかったから)、前年の三九郎と比べ、だいぶ表現が柔らかく変わったのがお分かりいただけるだろうか。ひとは成長するんだなぁ。


2020年は自分の中を掘り下げた

2020年は上のような一枚絵の他に、小冊子にも取り組もうと決めていた。
最初、自分が表現したいのは子どもの頃大好きで、足しげく通った『図書館での思い出』だと思っていたのだが、オモイを掘り下げていくうちに、ちょっと違うなと思い出して。

本も図書館も好きだったけど、その図書館に行くまでの「道行き」の中に、私のマチオモイがある、と思うに至った。

よくできた泥団子を隠してあった、他所の家の塀。
どじょうやザリガニが出てこないか、いつもツンツンつついた水路。

綺麗な実が落ちていないか、探し回ったクルミ、栗の木。


私が好んで歩いていたのは、めったに人に会わない、細い裏道だった。



こんなエピソードを、すごく喜んで聞いてくれたお方がいる。
マチオモイラジオDJのあつしさんだ。照れくさいが、よろしければ。


ささやかで、他の人にとっては何でもないことだけど

あつしさんに『よくできた泥団子を隠してあった、他所の家の塀があって』という話をしたら、とても共感していただいたのだ。嬉しかった。

マチを想うということは、そこにいた自分が何を感じたり、考えていたのかということに想いを馳せるということだ。
ささやかで、他の人にとっては何でもないことだけど、自分が大事にしていたこと。これをカタチにして、ひとに話したり、見せたりすると、不思議と共感でつながれるんだなぁ、と思う。

ささやかで、他の人にとっては何でもないことだけど、自分が大事にしていたこと
これを掘り起こし、マチオモイ帖というカタチにして、ひとに話したり、見せたりするまでのプロセスが、私にとっての大切な棚卸し。

ところで、2020年のマチオモイ帖展は、頭に「where am I_どこにいても」というフレーズがついた。コロナで大きく変わった、私たちの日常。どこにいても自分らしく立っていられるように、足元を見つめなおし、自らを物語る。今こそ、その時なのだと。

where am I=わたしはどこにいる?
私の心はあの図書館に行くまでの「道行き」、誰もいない風景の中にいるのだった。


Where am I_あなたはどこにいますか?



ありがとうございます!自分も楽しく、見る人も楽しませる、よい絵を描く糧にさせていただきます!