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文字を書く、記事をつくる

noteで記事をアップするようになってから、早4か月。
まともに(定期的に)書くようになったのは9月頃からなのだが、そこから2か月以上ずっと、週に3~4回のペースで記事を上げ続けている。
しかも、1つの記事あたりの文字数は大体4000~5000字くらいだ(多分平均より多い、そしておそらく読みづらい)。

書き始めた当初は「何を書けばいいんだろう?」と思ったし、今でもふと「何を書けばいいんだ?」と思うことはあるのだが、何故か、気が付けばまた記事が生まれている。
大抵はとりとめのないようなことで、しょうもないことで、たまに「言いたいことがあります」みたいなテンションで、けれどもいわゆる「ネタ切れ」に直面したことはない。

私は元より話すことが好きだというものあるが、それよりも何よりも、「書くこと」が大好きなのだ。
言葉が好きで、文字が好きで、日本語が好きで。
深くて、美しくて、甘くて、夢のような世界。字書きはそういう世界だと思う。
書く、という行為については、以前別の記事でも触れた。

それはそうとして、私は他人の記事を読むのも大好きだ。
とりとめのないこと、しょうもないこと、声を大にして言いたいこと、ただの日記や独り言、などなど。
正直、記事は長ければ長いほど嬉しい(面白い文章であることは大前提なのだが)。読んでいて楽しいし、純粋に「もっと聞きたい!」と思ってしまう。
そういうこともあって、私の書く記事はそのほとんどがかなり長めなのである。
これが「面白い文章」であるかどうかは・・・そうあるように心がけてはいるが、まあ、どちらとも言えないな。精進します。

みんながnoteに書いてくれるようなことは、日常生活ではあまり話題に上がらないような題材が多いように思う。
ネットの匿名性の、良い側面というか。
顔も名前も知らないからこそ、誰にも言えない悩みを打ち明けたり、ちょっと過激な愚痴を言ってみたり、上手くいかない話、失敗した話、周りにばれたら困るような趣味嗜好の話、などなど。そういうことを、誰に遠慮することもなく書き綴れるのだと思う。
かく言う私も、自分がオムニセクシャルであるという話だとか、自分の親についての話だとかは、リアルの知り合いに面と向かって話すことはできない(知られたくない)。
けれども、だからこそ、そういった話題で語ったり、そういう話を聞いたりしたいと思うし、noteではそれが叶うと思っている。

それはそうとして、冒頭に戻るけれども、特に「これを伝えたい!」っていう強いテーマや野望のない人間が、週に20000字くらいコンスタントに書き続けているのは、やっぱりちょっと異常なようにも思う。
「よくもまあ飽きもせず」という部分もあるし、「よくそんなにつらつらと言葉が出てくるね?」というのもあるのだが、一番は、「暇なのか?」というところである。
大抵の人間は、日常生活ではしなければならないことがいっぱいあって、仮に「書きたい」という欲が日常的に生じるとしても、どうしてもその優先順位は低くなってしまうようにできている。
もっと重要な、優先しなければならない事柄が、たくさんあるからだ。

・・・念のため明言しておくが、筆者は別にニートではないし、なんならフルタイムの正社員だ。
日常生活でしなければならないこと(例えば家事とか)の時間を削ってまで書いているわけではないし、誰かに「そんなことしてないで」と言われるほども熱中したり、それで日常生活に支障をきたしているわけでもない。
朝、家を出る前のちょっとした時間とか。通勤時間とか。お風呂を上がってから寝るまでの間の微妙な時間とか。
そういう隙間時間で、ぽちぽちと文字を打っている。
筆が速いというのも、記事量産の要因の1つではあると思うけれど。

で、そこまでして、隙間時間を見つけて(あるいは潰して)まで文字を書きたい、という欲があることが、異常というか少数派なのかもしれないな、と思う。
もちろん、子供の頃から趣味で書き続けている人や、書くことで救われている人はたくさんいるだろう。でも、世間一般で言えば、大半は、こういうふうに文字を紡ぐというのは「大変」で「面倒」で「何のために?」ということなのではないだろうか。
文字を書くということについて、できれば避けたい、極力したくないと思っている人もいるだろう。

でも私は書きたいし、書くのを我慢できない。
脳内でなんらかの快楽物質がどばどば出ていて、ある意味依存していて、中毒なのかもしれない。
でも、書くの、楽しいじゃん。楽しいよね?
こうやってだらだら書いているだけでもうすぐ2000字なわけじゃん?
普段は字数なんて気にして書いていないけれど、別に、たくさん書くことは難しいことじゃないと思う。
ただ、好きな言葉を並べているだけだ。

うーん、でも、ふと思ったのだけれど、「書くのを我慢できない」とは言ったけれども、実際に書けない日々が訪れたとしても、別に私は死にはしないし、そんなに苦しまないとも思う。
たとえば出産とかで、ぜっっっったいに書く時間を作れなくなる日が訪れると思う。でも、その時私が絶望するかと言われれば、しないと思う。
だって、アウトプットができなくても、「頭の中で常に書き続けている状態」は変わらないと思うからだ。
綺麗な文学とかでなくて、きちんとした推敲がなされてなくて、走り書きの日記みたいな内容でも、私は頭の中で言葉を紡いで、文字を並べ立てて、パズルやゲームのようにして遊ぶだろう。
物理的に「書く」(今は書くというよりも「打つ」だけれど)ことがなくても、結局は、文字を書いて記事を作るというスタンスは死ぬまで変わらないように思う。

それが、「書く人間に生まれて」だと思うし、そういう星の元に生まれた人間の習性なのだろう。

さて、今回は少し短い(当社比)が、このあたりで終わっておこうと思う。
ネット小説にしろこういう記事にしろ、1コンテンツあたりで読者が最も読みやすいと感じるのは2000字程度らしい。
それ以上長くなると、目が滑るし、疲れるし、飽きる。らしい。
つまりいつもこんな筆者の(クソ)文章を最後まで読んでくれている方は大変稀有だし、奇特だし、ありがとうございますというわけです。

ではでは、今回はこのへんで。





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