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夫婦って

夫婦って結局なんなんだろうね、というトピックスを最近よく見かける。
晩婚化、未婚率の上昇、出生数の減少、そういったことが近年ネットでもテレビでも多く取りざたされている。
セクシャルマイノリティの存在が一般化してきている、ということも影響しているかもしれない。
つまり、かつては「普通」であったこと、家族や夫婦の在り方みたいなものが、もう現代では常識ではない、通用しないようになったということだ。

そもそも恋愛パートナーを作らない人、欲しいと思わない人。
恋愛パートナーが欲しいと思っているけれど、なかなか巡り会えない人。
恋愛パートナーはいるけれど、結婚という手段を選ばない人。
恋愛はしていないけれど、パートナーを得るという意味で結婚を選ぶ人。
結婚はするけれど、子供は作らない人。
籍は入れないけれど、子供は産み育てるつもりだという人。
出産を希望しているけれど、なかなか子供を授かることができない人。
恋愛結婚して、出産も希望して実際に子供を産み育てる人。

ぱっと思いつく限りでも、これだけのケースが想定できる。
多分、もっと他にも様々なパターンがあると思うのだけれど、従来、いわゆる「普通」とされているのは、一番最後に記載したもののみだ。
「普通」は、適齢期になったら程よい男女は結婚に至り、結婚すれば子供を産み、夫婦で協力して、子供を立派な人間に育て上げる。
これが「普通の家族」と呼ばれていたものである。

けれど、もう、そんな時代ではなくなった。
恋愛と結婚が直線で結びつく、ということ自体が絶対的ではなくなってきたように思うし、結婚するかどうかと子供を希望するかどうか、というのもまた別の話であるように思う。

じゃあ、結婚するメリット、動機、理由って何?
子供が欲しいと思う、その気持ちの出所は?何故産み育てたいの?
家族って何?夫婦って何?
そういった疑問が生じるのは当然のことであるように思う。

現実的には、「できるならしたいけど経済面で問題が・・・」というケースがかなり多いように思うのだけれど、今回はお金の話は一旦置いておくとして。
私が思う、「夫婦って何?」ということについて少し書き記したい。

まずは私の立ち位置について少しだけ説明したい。
私はアラサー既婚者で、新婚で、妊娠出産を希望しているけれどまだ妊活には入っていない女性である。
まだ妊活を始めていない理由としては、あまりに新婚すぎるので数か月くらいは夫婦二人でゆっくり過ごしたい、というものと、できることなら子供を早生まれにはしたくないから時期を調節している、というものの二つがある。

念のため言っておくけれど、これは、早生まれの赤子を否定したいということではないし、早生まれの方たちを侮辱したいわけでもない。
純粋な私の好み、というか、我儘みたいなものだ。
子供は授かりものだから、実際に厳密に生まれてくる時期を指定できるわけではないし、タイミングなんて誰にもわからない。でも、妊活を実行するにあたって、ある程度の指標や計画はあった方が行動しやすい。その程度の感覚である。実際そこまで重要視はしていない。

それはそうとして、私の今の状況は、世間一般(大多数)の感覚として、どの程度「普通」のものなのだろうか?

私と夫は恋愛結婚だ。これは「普通」に該当するだろう。
でも、日常の中で自然に出会ったというわけではなく、婚活アプリでお相手を探して、という形だったので、かつての感覚では多分「普通ではない」。
妊娠・出産を夫婦ともに希望している。これは「普通」なのかな。
けれど、今現在は、子なし夫婦で妊活もしていない状態だ。これは夫婦の形としては「普通ではない」かもしれない。

あくまで旧態依然な考え方であるところの「普通」であるけれど。
例えば、子を持たない家族や、妊娠しようとしていない女性は「未熟」であると言う人がいるかもしれない。「普通」ではないのかもしれない。
けれど、例えば結婚や出産を希望していない女性と比較すると、私は世間一般では「普通」の女性であるのかもしれない。

「普通」という言葉の、いかに浅薄で滑稽なことか、ということなのだけれどね。

まあ、とにかくそんなような立場にいる私が思う、「夫婦って何?」ということなのだけれど。
まず、恋人と夫婦が決定的に異なるのは、家族であるかどうかという部分である。と、私は思う。
事実婚というケースもあるにはあるけれど、基本的には、恋人というのは家族ではないと私は思う。限りなく親しい他人であるとは思うけれど、一緒に暮らしていて、一緒に生活していても、それはどこか家族とは違うコミュニティのように思えてしまうのだ。

夫婦になるということは、家族になるということだ。
家族というのは、生活の共同体であり、運命の共同体であり、精神的にも法的にも「ひとかたまり」とされる関係性であるように思う。
もちろん異論は認める。あくまで私の中では、の話だ。

恋人が夫婦になるかどうかは、つまるところ家族になりたいかどうかだと思う。
ただ側にいるだけでなく、この人と家族になりたい。
そう思うから、恋人たちは、籍を入れて夫婦という形になるのではないかと思うのだ。

そして、そこには、子供の有無は一切関係ない。
子供がいてもいなくても夫婦は夫婦だし、家族は家族だ。
子供を希望するかしないかは別として、「夫婦」=「お父さんとお母さん」ではないと思うのだ、絶対に。
家族であることに人数の要件はないと思うし、遺伝子を残すかどうか、とかも全然関係はないと思う。何人であろうと、「ひとかたまり」。それが家族であって、その家族の基盤にいるのが夫婦であると思う。

雑すぎる説明図

つまり、私にとってはほとんど、夫婦=家族、ということだ。
子供はいるかもしれないし、いないかもしれない。それはどちらでも構わない。
そして、家族というのは、上でも述べた通り、生活の共同体であり、運命の共同体であると思う。そういう「ひとかたまり」の単位として、家族という言葉がある。

夫婦というのは、共に生活して、共に生きる二人であるということだ。
それは物理的な話ではなく、別に別居婚でも構わない。
二人の意識として、気持ちとして、そして客観性を持った(法律で担保されている)関係として、「共にある」。
これが夫婦というものであると思う。

だから、子供がいるかどうか、子供を希望するかどうかは関係がない。
ただ、「共に生きること」。これが、夫婦であり、家族であると思うのだ。

共に同じ目標に向かうとか、共通の抱負や希望がしっかり存在するとか、二人で協力して色んなことを達成するとか、そんなものは別になくったっていいと思う。
ただ、一緒に生きていればいいのだ。共にあればいいのだ。二人が、毎日、生活を重ねていけばいいのだ。
他の誰でもなく、家族と。家族として。

それが、私が思う夫婦であり、私が結婚により手に入れたかった関係なのだ。

なんかね。
夫婦=お父さんとお母さん=一緒に頑張る戦友、みたいな構図、ちょっとうんざりしちゃってね。
家族として、ただ側にいるだけでもいいじゃんって、そういう話でした。

ではでは、今回はこのへんで。


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