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差別じゃ無いけど、『区別』され育ってきたプライドがない私


今日は障害当事者の方々の話を聞くと言う
勉強会でした。

毎日、支援という形で接する事はあっても
お一人お一人個人の想いや
辛かった、きつかった、楽しかった等の
感情を含めた話を聞く機会は
なかなかありません。

私は就労移行支援なので、
雑談中に聞く事もありますが
A型、B型就労で働かれている方々は
お仕事中に話す、と言う事は
ほとんどありません。

こんな状況になる前は
年に数回の会食だったり
新年会、夏祭り、忘年会と
沢山のイベントがあり、その時に聞く機会があったのですが、
今は皆無状態です。

差別していないとキッパリ断言できる人って
そうそう居ないよねと言う話になりました.

私も意図的に差別する事はありません。
けれど
自分の中にある差別性はあると思っています。

昔は優生保護法ってやつで
学校に無理に来なくて良いですよとか
障害のある方達にとって
一見配慮している様で
実は排除していたと言う過去があります。

そこから、
今は障害の有無のボーダーラインを超えて
どんな人でも
その人に強みが生かされ発揮出来る場
活躍出来る場があるという考えに移行しつつ
あります。

1980年代、
まだ車椅子でバスも電車も利用出来なかった時代
障害のある方が声をあげる事は
理解を求めると言うより
強い姿勢で時には攻撃的にならざるを得ませんでした.
何か自由を求めた時、
社会だけでなく
家族や自分の身近な人が
愛と正義の名の下に反対されるのですから
情に訴える事は出来なかったのだそうです。

私は父子家庭で
差別とまではいかずとも『区別』されて来ました.
同級生がお誕生日会をすると言っても
『Noriちゃんは大変だから良いわよ』と
やんわり断られてしまう。
私は行きたいと思っていても
祖母の介護もあるし
家の事もしなければならないと言う事で
気を使ってくれたのでしょうが
私は疎外感を感じるだけでした.

また母子家庭ですら
あまり世間に知られないようにと
ひっそりしていた時代に父子家庭なので
祖母も出来るだけ私には目立つ事を控える様に
そう話していました.

学業特待生として進学する時も
銀行に就職した時も
家庭調査が入るのではないかと
それでダメになってしまうのではないかと
祖母がヤキモキしていた事を覚えています。
また何か表彰されると言う時も
出来るだけ目立たない様にと
釘を刺されていたことも。
祖母としては父子家庭だと言う事を
出来るだけ隠したかったのでしょう。

私たちがいろんな研修会や勉強会に行くと
『自分の事が好きか』と言う事を問われます。

いろんな自分がいて
時にウンザリもするし
もう嫌だと投げたくもなるし
でもそれでも
そんな自分でも仕方ないか、と言うか
それが私なんだよねと受け入れられる事で
自分が好きかどうかが変わってくると思います。

自分の事が好きでなければ
人の事も大切に思う事など難しいし
好きになる事も難しい。

私は自分の今までが
色んなことがあったけれど
その積み重ねが今の私を作っているので
好きだと言う事が出来ます。

今だに重度の身体障害者の方が
駅でタバコを吸っていたら
『頑張って』とお金を貰うそうです。
聞いて本当にびっくりしましたが
何を頑張るんだと、
何を頑張る必要があるのかと思いますが
まだまだ社会の認知としては
そんなものなのだなと痛感します。

目に見えない障害になればなる程
周りの理解を得られ難くなります。
それは私も経験者していて
パニック障害にしても
『気の持ち様』とか色々と言われました.

決してそんなんことは無いのですけれどね。

差別が生まれる一つとして
障害が身近に無いと言う事もあるでしょう。
私も祖母の介助、介護を長年してきて
全く抵抗はありません。
自分も精神を病んだので
精神障害の方に対して
怖い、とか何を考えているか分からないと言う
気持ちもありません。

親が何気に
子どもに話す言葉が差別に繋がっていたり
見た目で〇〇さんは・・と言う事も
ルッキズム差別の種を巻いているのかも知れません。

私は以前の教育委員会の仕事を通し、
今の障害者福祉の仕事を通して
子ども達を色んな所に連れて行って
色んな人たちと会って来ました。

その中には重度の身体障害の方もいます。
電動車椅子の方もいます。
発達で多動のお友達もいます。

私たちが障害の有無問わず
共生の社会をこれから考える時
いかに色んな人たちと出会い、関わり合うかを
考えなくてはならないなと思いました.

私も職員と言う私でなく
1個人としてどう関わり合うのかを
見つめ直す機会にもなりました.

障害があるから特別ではありません。
出来ること
出来ないこと
それは障害関係なく誰でもあること。

生産性と言うのは
必ず社会にとって
何か経済的な益を生むだけではなく、
地域社会に共に生きる存在としてもあるのでは無いかと思った1日でした.

ソファーに座ると右から娘が
左から末っ子の🐕が寄ってきます。

そんな風景を見ながら
『誰の人生を生きるのか』を
強く考えてしまいます。

土曜日でしたが
良い勉強会でした( ´ ▽ ` )



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