じゃむパンの日
ひらがなで「じゃむパン」。なんでひらがななんだろうと思ったのが、この本を手に取ったきっかけだった。
京都府出身の著者が各社新聞や文芸雑誌に連載していた短編エッセイをまとめた一冊。京都弁で軽快に書かれた、クスッとなるユーモアあり、たまにじーんともくるお話が55篇はいっている。
ひとつの篇がほぼ2~5ページ分と短いため気楽に読めるのがいい。
表題作の『じゃむパンの日』を読んだ時、この本は短編の物語がつながる小説なのかと思った。そう感じるほど物語じみていて現実味がない文章だった。でも読み返してみたら「」の会話部分はいたって日常的な内容で、彼女の心の声の部分が自分には非日常的に感じられたのだと気付いた。
それほど彼女の頭の中は自分では考えつかないような豊かな発想で満ちているのだと、本を最後まで読むと実感するのである。
読みながら、「ポーレチケってなんやねん」とか「これはいけずやなぁ」と使ったことのない方言まで出てくるほど彼女のクセのある話に引き込まれていった。
エッセイの中の会話と地の文は関西の小気味よい言葉で綴られているものが多い。家で、病院で、お店で、はたまた遠い札幌の地でさえ関西の人がいてしゃべれば何故か面白くなってしまう。東北の地で生まれ育った自分にはそういう空気感や人柄がとてもうらやましく憧れるのだ。
話の最後にはオチもある。まるで新作落語のようである。
この面白さはぜひ読んで感じてもらいたいのだが、個人的には〈君の名は〉と〈しょうちゃん〉がお気に入りだ。
日常の風景がよくみると実に豊かで面白いのだという目線をもらった。
そして本の後半には、翻訳家の岸本佐和子氏との"交換日記"が掲載されている。一度も会ったことも話したこともない二人がまるで友人のように手紙をやりとりしている。芸人並みのエピソードネタの応酬はもはやエッセイの篇を超えてくる面白さである。
替え歌の『さそり座の晶子』はメロディーに乗せて歌ってみてほしい。見事に京都のやっかいな女を歌っている。
こんなユーモア溢れる作家を知らなかったとは。読み終わってから彼女について調べてみると、2017年に42歳の若さで急逝していた。
非常に悔しい。彼女の新作小説もエッセイも読めないのか。
それでも彼女が遺した数少ない物語と文章は私たちにユーモアを届け続けてくれるだろう。
出典:『じゃむパンの日』赤染晶子
palmbooks
(余談:近頃自分は京都ととても縁がある。仕事で出張にいったり、会ったことはないが気の合う友人ができたり、京都というキーワードが生活の中でこれまでになく現れるのだ。京都のしっとりと落ち着いた雰囲気、音感がいい方言とクセのある言い回し、今まで特別感じてはいなかったが最近は自分にしっくりきている。今回のこの本も京都に引き寄せられているのだろうか。とても素敵な京都にまた出会わせてもらった。)