戦後、日本の食と健康はこうして変わってしまった、、、学校では習わない食の黒歴史(前編)
はじめに
こんにちは!動ける&健康な身体をつくるトレーナー、坂下です💪
今回は日本の食の歴史と健康について書かせていただきます。
私が食事指導をするなかで、特に摂取に気をつけてもらっている食品に『牛乳・乳製品』や『小麦加工食品』があります。
砂糖や揚げ物などももちろんよくないですが、これに比べ小麦食品や牛乳はデメリットがあまり知られていないため、多く摂ることにつながりダイエットにも健康にもよくないです。
しかし、学校給食にまで出てきたパンや、健康食の代表的イメージの牛乳が健康に悪いの?テレビでもなんでも健康にいいと言ってるやん!と疑問におもう方も多いかと。
今回はこれらがどのように悪いのか?のまえに、なぜこれらが日本に広まったのかという歴史について書きたいと思います。
日本人はかつて『世界最強』のフィジカル能力を持っていた!?
開国以降、外国人たちが見たかつての日本人は、かれらが驚愕するほどのフィジカル能力をもっていたといわれています。
欧米人に比べ体格では劣るものの、身体能力や健康面においては他の追随をゆるさず、
日清日露戦争・2度の世界大戦でも人的戦力としては世界最強クラスとおそれられていました。
米、魚、野菜、発酵食品など、粗食といわれるような伝統的な食事をしていた日本人は、兵士だけでなく人力車夫や一般人も外国人たちがおどろくほどフィジカル能力がありました。
これは外国人たちが残した多くの記録からも知ることができます。
日本の食を変えてしまった『栄養改善運動』とは?
しかし、太平洋戦争に敗れた日本の食事は変わっていきます、、、。
アメリカによる日本への小麦戦略です。
●1946年 『ララ物資』として、小麦粉、脱脂粉乳、砂糖などの救援物資が輸入される
(ララ物資➜アジア救援公認団体またはアジア救済連盟 )が提供していた日本向け援助物資)
●1953年〜大豊作による大量の余剰小麦の処理にこまったアメリカは、日本への戦略的な輸出を開始。
●食料事情の悪かった日本はこれに飛びつき、学校給食などもはじまる。
●1956年〜5年間で2万会場、200万人を動員した『栄養改善運動』開始。
キッチンカーという車で、日本各地に小麦、脱脂粉乳、加工肉、乳製品、化学調味料、フライパンを使った油料理の実演。
●キッチンカーの資金援助はアメリカ。援助の条件は小麦と大豆を必ず使うことだった。
●日本政府も復興資金を手にするため、小麦食を奨励。油や肉や乳製品をとらないから体が大きくならないのだとの風潮もひろまり、
・米食をすると頭脳が悪くなる
・日本人は西洋人に比べ、二割方アタマが悪い
・ノーベル賞の受賞者が日本人に少ないのもそのためだ
・西欧の民族と肩を並べ繁栄していくためには米とのきずなをどこかで断ち切らなければならない
など、米食の悪口は某大学教授や政府関係者らによって意図的に広められ、アメリカの思惑通り、日本人の食事は急速に欧米化されていきました。
ちなみに米を食べるとバカになるという主張は、ビタミンB群が不足するというのが主な理由でしたが、小麦を食べたからとといって解決されないし、他の害が多くなります。
白米にはB群やミネラルがたしかに少ないですが、玄米を食べれば済む話。
要するに食もアメリカに占領されました。
急速な食の欧米化がもたらしたもの
長くなりますのでいったん終了。
次回は、食事が欧米化したことでどう変わっていったのかについて書きますm(_ _)m
最後まで読んでいただきありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?