ココア=西洋汁粉(!?)

亡母。約10年も他界した亡母が好きだった飲み物に、ココアがある。好きを乗り越え、偏愛した。

毎度毎度、季節にになると購入しては、美味しそうに飲んでいた。森永のミルクココア。薄いキャラメル色の缶に入った、高級品である。今でも売っているけれど、格段に高い。「昭和初期」「山の手」「マダム達の、お洒落な会話」「お三時」。見る度、わたしが思うイメージだ。

粉ココア。カカオマスと呼ぶに相応しいこの商品は、鍋に入れ、牛乳を注いで混ぜあわせ作る。毎回毎回、行平鍋を使い、実に丁寧に作る。ご機嫌だ。「お姉ちゃんも」。初めて奨めたれたのは、4歳ぐらい。社宅に住んでいた。「え~っ、でもぉ、、、」。夏にアイスコーヒーと出会って以来、飲み物=+コーラか、カルピス。以上に何かを加える気などない。「そぉ?じゃっ、お姉ちゃんの分もママ、飲んじゃおっと!いっぱいのめる。あ~っ、嬉しい」言いながら、湯気を軽く吹いただけで、一口、二口と飲み進めた。

生前の雑談から手繰り寄せると、小学生の時、お友達の家でご馳走になって以来、ココア・ファンに亡母はなった。高学年とも言っていたから、5、6年生だろう。

昭和18年生まれ。戦後と共に育ちがあった。皆々、生きるのに必死。ボロゾーキンみたいな灰色の日々は、戦後5、6年。昭和25、6年ぐらいまで続いただろうか?昭和29、30年辺りで、どうにか脱・ボロゾーキンの世の中となり、明るい兆しも見えだした。昭和18年生まれの子供は、当時、12歳前後。「小学校の高学年」手繰り寄せてる亡母の記憶と一致する。

<もはや戦後ではない>昭和31年のフレーズの一年前。とはいえ、まだまだ、庶民は大変だった。ココア=「何じゃ、それ?」。想像すらもつかない飲み物だ。なのに何故(なにゆえ)、某母は飲んだか?飲む機会を得たのだろう。実はお嬢で、、、なぁ~んて嘘。ンな訳ない。わたし以上の(?)庶民である。心の、ともい、ココアの友。ココアをご馳走してくれたお友達の家が、たまたまお金持ちだったのだ。素晴らしい。

偶然かとも思うけど、「西洋汁粉」。小学生だった亡母が、ココア・ファンになった頃、ズバッと言い当てた作家がいる。三島由紀夫だ。「潮騒」(新潮文庫他)は、昭和29年に初版が出た作品だ。ちょいと忘れてしまったけれど、登場人物が「西洋汁粉みたいなもんや」と伝える場面がある。=ドロドロしてる?昭和18年生まれの亡母が、仮に11歳。小学5年生の時に出会ったとしたら、ドンピシャ年譜と相成る。

んが、「ドロドロしてる」訳の分からない飲み物・西洋汁粉に以来、亡母は生涯、虜となっていったのだ。まるで、タピオカドリンクに眩暈を起こす、ギャル?あの世でもきっと飲んでいるだろう。

序でを言えば、「西洋どらやき」ワッフルについて山本有三が、代表作で書いている。


〇濃き滋味も 「西洋汁粉」と 筆三島 かつての認識 今昔(こんじゃく)ココア

○天の世も 飲むはココアぞ 亡き母は 一族巻き添え 今日も雑談

                  <短歌は2首とも なかむら作>

              

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