地域に「どこでも街灯」を

様々なニュースが流れる。「ここら辺は、何時になると真っ暗に」レポーターの声と同時に、言葉通りに。軽く照明が消されただけで、画面は真っ暗。何も見えなくなる場面にも屡々(しはしば)、テレビ通じて我々は遭遇する。「まだ午後の7時前なんですが」その中から声。「行方不明」「殺害「衝突事故」といった類いの現場中継だ。

聞く度に(あーあ)。日本全国、全ての地域に街灯が点滅していればと思う。私見だが、駅前周辺及び、中心地域、人口が多い地域しか街灯は設置されていない。わたしの住む埼玉県北本市でも、少し郊外にゆくだけでも十分とはいえない。グリコピアがある地域周辺になると、お粗末としか言えない設置数だ。田園風景が広がっているのだから、何とかすればいいのにと思う。直ぐに暗闇となろう。幸いわたしの住む地域はそれなりにあるが、少し右へ走り、左を歩けば、それなりとは言い難い。

犯罪の温床のひとつが、暗闇だ。狙いをつければ後を追い、暗さを味方に(?)目的を果たす。ならばどこもかしこも街灯だらけ。灯(ともしび)だらけにすれば良い。何となくだが11月頃から12月。クリスマスが近づくにつれ、事故や事件は少なくなっているように思う。日没が早まるのと、クリイル(クリスマス・イルミネーション)が各家庭や商店街で行われるからだ。犯罪者をやりにくくしている。(こうピカピカしてたらなぁ)やる気を失せさせる。

応用させればいい。クリスマス並みにしろとは言わないが、せめて街灯を各地域、今の3倍増やす。そうするだけでも効果的だ。遅くなったら、タクシーはたまた家族に迎えに来て貰う向きがあるけど、このご時世、タクシー代も馬鹿にはなるまい。家族に迎えに来る意思はあっても、車を処分、免許返納してしまったの図&一人暮らしの人も案外多い。

何故、提唱するのか?経験からだ。黒一色に墨が混じった空間を歩いた故だ、怖かった。音がない。全くない。門かまえの中に「音」。「闇(やみ)」漢字の意味を初めてわたしは知った気がする。

亡父が初めて手術した日。最終電車ぎりぎりに乗車。地元駅に到着したのは、夜中一時に近かった。冬。駅から15分程度の我が家。が、何もない。一応、街灯は数メートルごとに設置されてあるけど、そこに辿り着くまでが、恐怖の連続であったのだ。懐中電灯を持参しておらず、荷物だけが大量にある。コートの襟を合わせに合わせ、(あの電柱までゆけば、街灯がある)(二本先に、希望がある!)何度、自分を励ました事か。

安全・安心を確実とする為にも、街灯は必要だ。日本全国津々浦々、「どこでも街灯」をお願いしたい。




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