アンチ「人生100年」~自覚をしよう「生あるものは死す」~

わたしはアニメが大好きだ。とて、昭和アニメ。「鉄腕アトム」(昭和38年)から「キン肉マン」(昭和58年)辺りまで。『闘将!!拉麵男』(たたかえ!!ラーメンマン)は、何となくだが主題歌程度は知っている。(二十歳を過ぎてアニメもないわよねぇ)思い卒業。自然と離れた。が、年齢を問わずに楽しめる「おじゃ丸」と「はなかっぱ」(共にNHK Eテレ)は日々是、必見。おばあの悩殺シーンがたまらない、「ぜんまいざむらい」(今、やってるの?)も懐かしい。

殊(こと)、熱く熱く語っしまう。懐かしさの余りに、どうにかかなりそう。狂わんばかりに熱中できるのは、やはり学童期前後。6歳ぐらいまでに本放映されていた番組の数々だ。今年(令和4年・2022年)は、日中国交正常化から50年目と、何かと報道されているが、ズバリどんぴしゃ!今から50年前の昭和47(1972)年。わたしは、6歳であった。「あさま山荘事件」の報道が毎日、テレビで騒がしかったのを記憶している。「第一次石油ショック」に「パンダ初来日」にも近しい年だ。ビートルズが日本に来日、昭和41年(1966)生まれだ。

そして昭和47年は、カラーテレビまんが(現在のアニメーション)全盛期と言って良い。今でも大好き、大・大ちゅきで、強く印象に残っているのが「ど根性ガエル」と「おんぶおばけ」。前者は又の機会とするが、「おんぶおばけ」の第一話には、自覚しなければならない言葉がある。「人間はいつか、必ず死ぬ」。ニコニコ動画で閲覧する度、貴重な思いを改める。

「人生100年」昨今、やたら吹き込まれている。保険会社の営業トーク必需品(?)。「先立つものがないと、困りますよね」興味を持たせ掛け、「ですから当社の、何とか保険に是が非でものご加入を!」後は契約あるのみだ。

真面目な話、そんなに生きてどうするのか?「不老不死」を実現したいか?冗談だろう。確実にわたしは「アンチ人生100年」だ。

「形あるものは壊れ、生あるものは死す」。終わり(死)があるから、始まり(生)がある。だから一生懸命になろう、何かを頑張ろうと思うのではなかろうか?ゲームの中なら、1回死んでもボタンを押せば生き返るけど、人生はには終りがある。「人は死ぬ。必ず」

成長過程で子供に教え、自覚させておきたい。大人もだ。死ぬから生は意味がある。たかだか50年前の常識が、なぜ覆されてしまったのだろう?こんにも「否定」される世になって来たのか?様々な分野での発展と進歩が大きかろう。いい大人でも、家族が死んでいるのに「生き返る」だのと言い張る例が時折、ニュースで流れるが、悪しき影響だ。

わたしも何度か、身内の死に直面した。特に父の時は、喪主でもあり、大変だった。しかしその度に「死」を思い、考え、身近なものとして捉えられたのは幸いだ。

〇諺を 「酷」に「アンチ」と 世ぞしかし いづれ「やはり」と  史への感情<短歌 なかむら>




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