「感性」だけは、育てられない。


とみに最近思うけども、「感性」。感受性だけは、育てられない。どうこしても、無理なのではなかろうか?

例えば故・遠藤周作氏。お母様がバイオリンを弾いていらした。1日に何回も練習。短いフレーズでも、ご自分が納得される迄、ひたすら練習。ただただ練習されていた。冬になると、指先から血が滲む事もあった。その姿を見ていて、少年・周ちゃん。後に日本を代表する作家となる少年は、(凄い)この世で一番、芸術家が偉いんだと思ったそうである。

この思い。感性は強制されたものではない。少年・周ちゃんの心から自然と湧いて出たものだ。その時の思い、感覚を後々迄。ずっとずっと大人になり、壮年を迎え、晩年に差し掛かっても氏は忘れずにいた。「感性」曰く、思う所だ。

「こうすれば、このように育つ」「これを見せれば、触れさせればきっと」やたらブームであるけども、単に吹き込まれているだけかも知れない。




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