女教師(担任)は、、、、<短歌>


○女教師(担任)は それでも立つも 教壇に

                 「苦き思い出」 やがての感想

※わたしが小学生の頃。4年生ぐらいだったかな?
子供たちの間で、ローラースケートが、物凄く流行ったんです。
特に、近所の○○ちゃんは凄く上手でして、いつも練習をしていました。
可愛らしい、お上品な感じの子でしたがー。
酷く影が薄かった。雰囲気からして、薄幸そうでしたね。立体感がないというか、なんかね、薄っぺらい。
夏でしたかしらん?
その日も一人で、練習をしているのをわたし偶然、見掛けたんですけど、影。
コンクリートの地面に映る、彼女の影が透明なんです。薄い灰色。
黒いはずじゃないですか。真夏の暑い時間帯なんだし。なのに彼女は、薄い灰色。半透明でしたね。
(・・・・・・・・・)
びっくりと不思議な感情で、暫くその影を見ていたのを覚えています。

そうこうしている内に、○○ちゃんは、頭を打ってしまったんです。
ローラースケート中に、コンクリートの床にぶつけてしまって。知ったのはずいぶんと経ってから。
「入院していたらしいけど、今、自宅養生なんだって」
「ずっと行ってないらしいよ、学校。ゆける状態でもないらしい」
「どうなんだろうねぇ」
「う~ん。早く良くなるといいけど」
井戸端会議と母のおしゃべりを通じ、耳学問的に得た知識です。

そんなこんなから、1ヶ月前後。
「××先生が、みんなに言ったんだって!<○○ちゃんは、もうダメかも知れない>って」同じクラスの子が、親に言ったらしい。
担任の先生です。
「えっ?そんな事言うの?あの先生」
子供以上に、保護者が敏感。広まってから、一週間もしない内。3日ぐらいの間(ま)だったかな。
○○ちゃん、他界。朝、布団の中で冷たくなっていたんです。
                    
葬儀の時、勿論、××先生も弔問に来ていたんですがー。
「あんなこと言うから、他界しちゃったんじゃないの。ねぇ」
「わざとらしく、ハンカチなんて握っちゃって」
「泣いてはいるけど、完全演技」
 白い目で見られ、保護者からは、避難の嵐が待ち受けていました。

(余程、○○ちゃんが嫌いだったんだろう)
(だから平気で、みんなに向かって言えたんだろう)
子供でしたが、当時のわたしの思いです。同じことを今も、思います。
翌春。××先生は、他校に移動となりました。


「いじめ自殺」。
報道されるのを聞く度に、その後の担任。
意地悪な見方をすれば、一応のマスコミ対応は、学校がとってくれる。
学校側が、庇護してくれる。守ってくれる。
年代の公表すらはあるにせよ、氏名・その他の公表は全くされない
教師は今後、どうするのだろう?
     
今迄通りの生活を続けてゆくのだろうか?
何十年か後。いや、一寸、先。
5年か6年の月日が経ち、マスコミも完全に忘れかけた頃、
「苦い思い出」としてしまえばいい、とでも思っているのでしょうか?
    
「良くあることですし」
「たまたま報道されてしまっただけです。気に病むこともない」
「一人の生徒の自殺にばかり、気を取られていたら、教職なんて務まりません。我々が後はどうにかしますから、いつものようになさって下さい」
そんな話が裏では、なくもないような気がしますよね。 
関係者の会見も、いつも淡々としていますもんね。

<了>
     
     
    


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