COTEN RADIO[53]ゴッホ編 他人の人生を分かった気にならないことだ。
COTEN RADIOの視聴を続けて3年程になります。
COTEN RADIOは株式会社COTENが配信しているインターネットラジオ番組。進行役の樋口聖典氏、スピーカーの深井龍之介氏と楊睿之氏(通称ヤンヤン)が世界中の歴史を面白く語る、歴史キュレーションプログラムです。
フィンセント・ファン・ゴッホを取り上げた直近のシリーズを聴き終えて。
このゴッホ編では個人的に強烈に思い知ったことがあり、これはいつまでも食らっておきたいショックだったので、書き記しておこうと思います。
既に多くのリスナーの支持を得ている有名ラジオ番組ですが、まだCOTEN RADIOに触れたことがない方は是非どうぞ。
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画家ゴッホの企画展には、これまでにも何度か足を運んだことがあります。
ちょうど今年はゴッホアライブ東京展を見に行っていました。
ゴッホの展示を訪れるたびに彼の生涯や人物像の紹介はされているし、映画や書籍、美術史などに触れて、ある程度は知っているつもりでした。
ところがCOTEN RADIOゴッホ編を視聴したら、これまでの認識が見事にひっくり返った。
番組内でも言及がありましたが画家ゴッホを形容するとき、「狂気」「情熱」と言う言葉が添えられていることがあります。
あたかも芸術に身を投じて己の情熱を燃やし、その激しさのあまり心身共に病み、狂気の果てに自らを死に至らしめたかのような、劇的で破滅的なイメージです。これまでに私が持っていたゴッホ像はまさしくこれでした。
これがそもそも、全然違う。
ゴッホは芸術のために病んだのではない。
病んでいる自分を救うために芸術に縋ったのだ。
にも関わらず彼は救われず、作品だけが遺ったのだ。
なんだこれは。順序がまるで逆だ。
それに気づいたとき、出来事や心情の経緯を取り違えた誤りのフィルターで、人の人生を俯瞰して知ったつもりになるなんて、とんでもない侮辱だと自分でも驚くくらい衝撃を受けてしまいました。
人々に理解されず、世界に受け入れてもらえないことであんなにも苦しんだゴッホに対して、惨いことをしてしまったような気持ちになった。
後悔に良く似た、生々しくも痛い不思議な感慨でした。
このエピソードを配信してくれたCOTEN RADIOには感謝しかありません。
時代背景の説明や時系列順に整理された人生史を通して、人間ゴッホの生涯を鮮やかに描き出してくれました。
誰も何も言えない。言葉がない。
そんな今までにない雰囲気で迎えたエンディングでは、数多くのリスナーが絶句と言うにふさわしい心境を共有していたのではないかと思います。
私自身、ゴッホに対する解像度は爆上がりしたのに、彼の壮絶な人生に手向ける言葉が見つからないという、謎の状態に陥っています。
受けた衝撃の痕だけが生傷みたいに残っている。
我ながら奇妙な食らい方をしたなと思うのだけれど、おそらくこれは私自身が、他人の人生や生き方について話を聞く役を選んでいるから。
このエピソードから得た衝撃は、できるだけ生傷のまま取っておきたい。
誰も誰かの人生を、分かったつもりになってはならない。
誰だって自分自身の人生を、語り尽くせはしないだろう。
そして誰も誰かの人生を、完全に理解することは叶わない。
それでも人は、特別な誰かを探して旅をする。
ゴッホ編のエピソードを繰り返し聞いていると、彼の葬列に混じっている気分になります。
故人の棺の前に佇んで、心残りや後悔を噛み締めるあの感じ。
未だに言葉は見つからないけれど、ただ、彼を悼んでいる。
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