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家族団らんに憧れていたら会食恐怖症になった【日記】

 以前から自分が会食恐怖症であるという事は自覚していた。

人と向かい合って食事がとれない、他人の咀嚼音が怖い、特に口の中に入っていく様子が怖くて仕方ない。自分がモノを食べているという概念、またそれを見られる事が苦痛であり食事という行為によって生まれる恐怖を挙げだしたらきりがない。

幸か不幸か、恋人にもこの特性があった様で交際を始める前から、二人で食事をとる際には大抵横並びで座るか、咀嚼音が気にならない様に音楽をかけるなどしていた。

この症状について私はHSPである事が主な原因であると考えていたのだが、先日新たな原因について考える事があった。

 鬱状態から抜け出せず、精神薬と自傷で自我を保つ日々を送っていた矢先の事である。

ある日の夕食の席で、急に体調を崩してしまい叔母の手料理を食べきる事が出来なかった。その日から会食恐怖症らしき症状が顕著に表れ始めたのである。

食事中にまた体調を崩してしまうのではないかという不安感、それに伴う緊張感、目眩、冷や汗、腹痛、一口食事を口にしただけで吐き気に襲われるなど。

なんとか口に詰め込み、味もろくに感じられない速度で水と一緒に流し込み食事を終わらせ息も絶え絶えに自室に戻るという日々を3週間近く送っていた。

このままではいけない、せっかく毎日メニューを考え時間を割いて手料理を振る舞ってくれている叔母に申し訳ない、と頭では分かっていたが逃げるようにしてその場の緊張感をやり過ごすしかなかった自分に心底絶望し、罪悪感から顔を背ける様に叔母に症状を打ち明けた。

自分の力ではどうする事も出来ず、私はまた逃げたのであった。

しかし、叔母はそんな私を諭すように温かい言葉をかけてくれた。私はてっきり根性でやり過ごせという旨の返答が帰ってくると予想していた為、全く予測していなかった展開に面食らった。


母子家庭且つ叔母の家に居候する形で育った幼少期。小学生、中学生、高校生と傍目には何不自由なく暮らしていたように映っていたのかもしれないが母の手料理をよく思い出せない。これはもしかするととても悲しいことなのかもしれない、と感じたのは最近になってかあらである。

母も叔母も仕事が忙しく、尚かつ自身も勉強に明け暮れていたのでろくに料理を習おうとしなかった為に夕食は出来合いの惣菜を買ってきて貰うか、レトルト食品である事が多かった。それでも母と一緒に食事をとれる事が嬉しかった。

しかし、心の奥では暖かい手料理や家族みんなで食卓を囲む夕食、所謂家族団らんのテンプレートの様な風景に憧れていたのかもしれない。

年末なんかにはみんな集まって食事する機会もあり全くの個食というわけでは勿論なかったのだが、離婚していた父への恋しさのせいか、小説に出てくる様な幸せの具現化の様な家庭像に憧れていた欲張りな私は、日常的に団らんがある日々を常に求めていた。

叔母の仕事が休みの日には、毎回食べきれない程の豪華な料理を振る舞ってくれ週2.3回の華やかな夕食を心待ちにしていた記憶がある。せっかくの休日にもかかわらず毎回料理を作ってくれて、少し申し訳ない様な気持ちにもならない事は無かった。

食後みんなの食器を洗う事で自分の中でその感情を軽くしようとしてみたりもした。どこまでも私は卑怯で薄情だ。

それでも母は、「毎回あんなに作らなくてもいいのに。」と小さい声で言ったり食事中明らかに不味そうな顔をする事もあった。後で聞いた話だが、叔母もそのことに関しては認知していた様だった。

また、私に関してそれによって食事の雰囲気を壊してしまうのが怖くてしきりに美味しい、美味しいと言っていた様に見えていたらしかった。

すべて見透かされていた事に驚いていたが、その様な経緯で食事及び家族団らんに執着してしまう様になった事は明らかである。

絶対に残さないようにしなければ、綺麗に食べなければ、最後まで美味しく食べなければ‥と無意識のうちに自分に枷を付けていた。


これは私の勝手な推測だが、母もきっと叔母がそうするように毎日豪勢な手料理で夕食の席を彩りたかったのだろうと考える。

離婚していなかった何年かは母も毎日夕食を手作りしていたという様な話も聞いたことがある。(あまり好評ではなかった?とか)

こうして叔母の料理に毒づいていたのは、美味しい料理で喜ばせたかったという感情から派生したものだったのかもしれない。そう考えると、おふくろの味を求めてしまう事が悪いことの様に思えて仕方ない。

母には母の事情があり、私には私の事情があったというそれだけの事である。


そして先日、自分の中での近郊が崩れる出来事、つまり食事中に体調を崩し食事を中断してしまうという出来事が起こってしまった。恐らくこれが原因で会食恐怖症のような症状が悪化したのである。

そんな私に対し叔母は、食べられない時、食べたくない時は食べなくて良いし、部屋で一人で食べても良いし、逆に食べないといけないという様な気を遣われる事の方が苦しいと話してくれた。

叔母はこの症状や気質を、治さなければならない病気ではなく単純に人としての個性の一つであると捉えている様だった。叔母の意見や考えを知れた事で以前より少しばかりは心に余裕を持って食事をとれるようになった気がしている。

叔母と私は考え方のタイプが真逆である。叔母は根っからの体育会系で、私はインドアネガティブ思考だ。そのお陰で叔母と意見交換をする事で発想の転換に繋がる。

そしてまた、叔母は私に書くことで報われるという事を身をもって教えてくれた人である。

自分の感情や考えをアウトプットして、得体の知れない不安や恐怖に包まれたモヤモヤした状況から脱却する術を身に付けられるようになったのも偏に叔母のお陰であるといっても過言ではない。

私の文章を、私が紡ぐ言葉を初めて肯定してくれた人である。

会食恐怖症も、極度のHSPも治さなければと思うとどうあがいても自責の材料にしかならない。

自分の生きやすい環境で生きる為には嫌な事と必ずしも闘わなくても良いのかもしれないという事を学んだ。時には避けたり、周囲に頼ったりしながらなんとか自分の人生を生きたい。

そして願わくば恋人と共に自分の求めていた家族団らんを実現させたいと考える今日この頃である。

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