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いくらでも自分の理想の世界は創り出せる話

思い込み、刷り込みの世界。
抜け出したら、見えていた世界の色が変わった。

今日は「いくらでも自分の理想の世界は創り出せる話」です。

思い込みからのレッテル貼り

ある日の仕事中。
会社で「働かない」で有名な人がいました。

どこの誰に聞いても
「○○さんは本当に働かない!」
と言われていたそうです。

みんなその人に困り果てていました。
わたしもその1人でした。

でも本当は「働かない人に困っている」と
思い込んでいただけだったのです。

当時、わたしは周りから毎日のように
その人の愚痴を聞かされていました。

なので、その人とわたしの関わりが薄くても、
その人のことを「働かない困った人」だと
思い込んでいました。

自分軸がぶれてしまっている時って
他人の言葉や周囲の状況に飲み込まれて、
影響されてしまうことありますよね。

他人を見るように、
自分を客観的に見ることが出来たら、
すぐに分かることも分からなくなる。

本当は「自分のこと」では無いのに、
無意識の中で、「自分のこと」だと
勝手に置き換わっていました。

なんなら、
わたしは関係ないのに、周囲が困っているから、
「その人を何とかしなければいけない!」
「その人を何とか働かせないといけない!」
とまで思っていました。

一瞬、尊い正義感のよう見えますが…
貴重なわたしのエネルギーが枯渇しそうです。

もちろん、
その尊い正義感が悪いわけではありません。

この状況を客観的に今のわたしが見た時、
一番違和感を感じることは、

その人は果たして本当に
「働かない困った人」なのだろうか?
ということ。

そして、
本当に「働かない困った人」なのかどうかさえも
わたしには「どうでもいい」ということです。

その人を「働かない困った人」と
勝手にレッテルを貼ったのはわたしです。

でも、「働かない困った人」ではなく、
「よく働くいい人」とレッテルを貼ったら?

なんだかポジティブな感じがしますよね。

これは、「よく働くいい人」とレッテルを
貼り換えたらいいというわけではなく、
「        」の中身はなんだっていいということ。

ここに意味はない、ということです。

見える世界が変わった瞬間

思い込み、刷り込みで貼られたレッテルの存在に
気づいてから不思議なことが起きました。

その人が本当はどんな人なのかは、
相変わらず「どうでもいい」です。

でも、仕事で関わる以上、
どうせなら「面白い」レッテル貼っとこうかな?
なんて思いついたのです。

そしたら、どんどんアイデアがひらめくのです。

働かないと言われているのに、
役職がついている。

働かないと言われているのに、
辞めないで済んでいる。

お金も地位もあるわけです。

そしたら、
「働くことが人生のテーマじゃないのでは?」
なんて思いついたわけです。

結婚して、お子さんがいるとしたら、
家族を養うため、守るために
この人生を生きているのかもしれません。

だとしたら、
そのために必要なお金と地位は与えられている。
仕事よりも家族の時間を大切にしているだけ。

そんな風に自分でストーリーを考えていたら、
なんだか面白くなってしまいました。

無理やりすぎるストーリーでも構わないのです。

わたしの中でその人は、
「家族を養い守るためにこの人生を生きている」
と勝手にレッテルを貼りました。

後日、その人から仕事の依頼が来ました。

いつもなら、

「うわ!連絡きた!!!」
「仕事押し付けようとしてきている!」
「こいつ、また働かない気だな!」

なんてこと思うわけですが…
その日はなんとも思わなかったのです。

むしろ、
「この人、いつも声がソフトだな」
「ごめんねありがとうがちゃんと言える人だな」
なんて思っていました。

この変化には、驚きました。
見える世界が変わった瞬間です。

「きっと家ではいいお父さんなんだ…」
なんてことまで想像できたんですから。

「どうでもいい」「意味がない」
ということに気づかなければ、
こんな体験は出来なかったわけです。

こじつけストーリーだったとしてもいい。
いくらでも見える世界は自由に変えられる。

だとしたら、少しでも面白い方がいいじゃない。

これが正しいとか、間違ってるとかはなく、
わたしのスタンスの話です。

本来は、何もレッテル貼らずに
ニュートラルでいることが大切だと思います。

いくらでも自分の理想の世界は創り出せる

それ以来、苦手だな…嫌だな…と思う人の
見え方がどんどん変わり出しました。

何もかも「自分の内側」次第なのだと、
改めて感じました。

見えていた世界の色がグレーから
カラフルになっていきました。

レッテル貼りは自分に対しても言えることです。

「あなたってこんな人よね」と言われたから、
「わたしってこんな人だ」と思い込んでる。

だから、
「こんな人」を演じ続けないといけない。
本当のわたしはそこにはいないのに。

そうやって、
自分で自分にレッテルを貼っているのです。

これを掘り下げて内観していくと、
意外と心の根深いところに辿り着くことも。

小さな頃に親に言われた何気ない一言だったり、
衝撃的な出来事をずっとひきずっていたり。

だから少しずつ自分と向き合いながら、
時には傷を癒しながら、
不要なものを手放しながら、
へばりついたレッテルを剥がしていくのです。

レッテルが剥がれた後、
出会うことが出来るのは、本当のわたし。

そして、
わたしの理想の世界なのです。

本日のこしょこしょ話

ついに春が本気を出してきて、
コートさえもいらなくなりましたね。
なんなら、汗ばむくらい…

衣替えが追い付かないです。
みなさま、いかがお過ごしですか。

「働かない人」シリーズ。
実は、まだまだ続きます。笑

わたし、この辺にトラウマやら怒りやら、
とても多いようです…
内観してても、何回も出てくるんですね。
じっくりじっくり浄化していきます。

話は変わりますが、
わたし、ドラマやアニメを見続けられたことが
あんまりないのです…

しかも、全くじっとしてられないので、
何かしながらいつも見ちゃう…

そんなわたしが、
久しぶりに最後まで見たドラマがありました。

「あのときキスしておけば」って作品。
(知っている方いたら嬉しい…!)

見終わった時に
「これこそ、愛だ!」ってなったんです。

ネタバレになるからたくさん語れないけど。

性別や年齢、地位、国籍、文化はもちろん、
同じ「人間」じゃなかったとしても、
生きてる世界線が違ったとしても、
愛は、とても深く尊く、自由なんだなぁ…
って見終わった時に感じておりました。

そして、主題歌もいいんです。
作品にピッタリすぎる…愛だ…
SUPER BEAVERさんの「愛しい人」。
ぜひ聞いてほしいです。

ひとり夜な夜なドラマを見て。
ひしひしと愛をたっぷり感じておりました。

愛のカタチって色々ですよね。
これが正しいとか、間違いとかなくて。

そこにあるのが、愛なのですね。

深いなぁ。
気づかないだけで世界は愛で溢れてますね。

すべての源は、やっぱり愛です。
なんだかきゅんとしますね。

愛というと、なんだか照れくさかったけど…
今や、愛について熱く語りながら
毎晩、お酒が飲めるんじゃないかな。笑

去年じゃ考えられないくらい、
また色んな事が変わり始めています。

ゆるく、休み休みやっていきましょ。

2024.4.21 mao

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