くま

フォトギャラリー写真、使わせていただいてます。いつも素敵な写真をありがとうございますm…

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最近の記事

自分の「論理的思考」の正体はNi+Fiだった

これまで、自分のことを割と論理的な人間だと思っていた。 なにか行動を起こす時は必ず目的を見据えていないとやる気にならないし、相手が不愉快になった時はその理由を洞察して同じ轍を踏まないように行動しようとするし、人に何かを説明する時はまず全体像を伝えてからそこに至る筋道を順序立てて話す。 これをTi的な論理的思考だと思い込んでいたのだけれど、最近、どうも違うっぽいことに気がついた。 Ti的な論理的思考では、既知の前提から段階的に推論を積み重ねて結論に至る。しかし自分の場合、

    • Tiという心理機能が根底で無条件に信頼している論理って「弱肉強食」なんじゃないだろうか、と思い至った

      • 映画『わたしの見ている世界が全て』 いま見返してみたら主人公がザ・ENTJな性格で面白かった。「成功って何?」って質問に対して「自分が正しいって周りから認められること」って言うあたりとか、まさに。良い悪いじゃなく、本当にそういう判断軸を重視して動いてはるんやな、と凄く納得できた。

        • 5億年ボタンの異空間に一番耐性ありそうなMBTIタイプってなんだろう。 変化の無い外界と孤独な環境に耐性が無さそうなE型とFe持ちを除くと、残りは ISTJ・INTJ・ISFP・INFP・ISTP・INTP の6タイプ。ISTPかINTPあたりかなあ…

        自分の「論理的思考」の正体はNi+Fiだった

        • Tiという心理機能が根底で無条件に信頼している論理って「弱肉強食」なんじゃないだろうか、と思い至った

        • 映画『わたしの見ている世界が全て』 いま見返してみたら主人公がザ・ENTJな性格で面白かった。「成功って何?」って質問に対して「自分が正しいって周りから認められること」って言うあたりとか、まさに。良い悪いじゃなく、本当にそういう判断軸を重視して動いてはるんやな、と凄く納得できた。

        • 5億年ボタンの異空間に一番耐性ありそうなMBTIタイプってなんだろう。 変化の無い外界と孤独な環境に耐性が無さそうなE型とFe持ちを除くと、残りは ISTJ・INTJ・ISFP・INFP・ISTP・INTP の6タイプ。ISTPかINTPあたりかなあ…

          TP型への感謝の伝え方がむずかしい

          INFPである自分にとって、「感謝」という行為は以下2つの要素で構成されている。 「ありがとう」という自身の気持ちの発散 自身のことを好きになってもらうための手段 なので、感謝の気持ちを伝えるにあたっては、どんな風に伝えれば相手が快感を得られやすいかという観点を重視したい。快感を得られるものに好感を覚えるという生物的本能をハックしたい。 その上で難しいなあと思うのが、TP型への感謝の伝え方。 対FP型(Fiユーザー) やろうとしてくれてありがとう。 あなたの気持ちが

          TP型への感謝の伝え方がむずかしい

          「客観的」ってなんなんだろう

          税務の仕事をしていて思わず「は?」と言いたくなるルールがある。 例えば、消費税法における"課税売上割合"の計算。 意味合いの詳しい説明は省略するが、基本的に"課税売上割合"の計算結果が大きいほど納税者有利となる。 分母と分子の大小関係としては、必ず 分母≧分子 となる。問題は、分母=分子=0 の場合にどうなるか。このケース、実は条文上では定められていない。代わりに、国税庁からこんな見解が示されている。 というわけで、0÷0=0という扱いになる。は??? いや、これが

          「客観的」ってなんなんだろう

          INFP、TeよりTi鍛える方が手っ取り早い説

          自分はINFPなのだけど、こちらの記事で書いた通りTi機能がかなり強い。 これって、Teの代替として習得したものなんじゃないか?という考察。 周知の通り、FiとTeは真っ向から相反する心理機能である。強すぎる主機能Fiを、劣等機能Teでうまくバランスを取る…というのがMBTI的なセオリーなのだろう。 ここに、INFP特有の弱点が存在するのではないかと考える。INFPは自身の感情について、「持っている」ものではなくただ「在る」ものと捉えているように思う。なので、世間体や社会

          INFP、TeよりTi鍛える方が手っ取り早い説

          「ついでにやっといて」←これ

          「ついでに」という言葉について。 日常の中で「ついでにやっとこう」と思うことはよくあるのだけれど、自分ではない他者から「ついでにやっといて」と言われると無性にイラッとする時がある。 言う側としては、「ついでに」という言葉を使うことで頼み事がしやすいのだろうな、と思う。ついでだから大して手間にはならないでしょ、という免罪符的な使い方。 でも、「ついでに」という感覚は極めて主観的なものなんじゃないか? ゴミを捨てに行く人に「ついでにこれも」とお願いする時の「ついでに」は、

          「ついでにやっといて」←これ

          挨拶を無視され続けた末に、ストーカーの思考を理解してしまった

          俺は集合住宅に住んでいるので、他の住人と顔を合わせることが頻繁に発生する。エレベータで乗り合わせたり、エントランスですれ違ったり。その際、相手が誰であっても基本的にこちらから挨拶の言葉をかけることにしている。 ほとんどの人は挨拶を返してくれたり、こちらを見ずとも軽く頭を下げてくれたりする。一方で、こちらからの挨拶をあからさまに無視する女性がいた。 何度も無視されるうちに気がついたことがある。それは、こちらの挨拶をちゃんと聞いてはいるのだということ。挨拶の言葉をかけた瞬間、

          挨拶を無視され続けた末に、ストーカーの思考を理解してしまった

          Ti(内向的思考)とNi(内向的直感)がめちゃくちゃ強いINFP

          mentuzzleさんの16タイプ心理機能診断を初めてやってみた。その結果がこちら。 Te(外向的思考)が低すぎて草。社会の規範に迎合する気があまりにも無さすぎる。(そして改善する気も微塵も無い) しかしそれ以上に驚いたのが、Ti(内向的思考)の高さだった。INFPにおける劣等機能の裏側なので、てっきりほとんど使っていないものだと思い込んでいたが、まさか主機能のFi(内向的感情)並みに強いとは思わなかった。 でも、言われてみれば確かに心当たりはある。昔は「感情ありのまま

          Ti(内向的思考)とNi(内向的直感)がめちゃくちゃ強いINFP

          「筋を通せ」という言葉のニュアンスを、MBTIの心理機能的に分類してみた

          「筋を通せ」という言葉には、過去に何度も振り回された。発言する人によって、あまりにも言葉の意味が違うように感じるからだ。 最近になって、その違いがようやくちょっとわかった気がする。MBTIの心理機能的に分類すると、大体3通りのニュアンスに分かれるように思う。 ① Ti or Fi=自身の行動原理を一貫させる 思いつきで行動するのではなく、常に自身の信念や論理に基づいて行動するべきだ、という意味合い。 ② Te=世界の道理に沿う 既に決まっているルールがあるのだから、それ

          「筋を通せ」という言葉のニュアンスを、MBTIの心理機能的に分類してみた

          "感謝"と"責任追及"、実は表裏一体?

          「責任の追及は、個人ではなく仕組みに対して行うべきだ」という言説を聞くことが、ここ最近多くなった気がする。 この言説自体にはおれも賛成なのだけど、ニュースは常に個人への責任追及の話題でいっぱいで、その結果SNS上では行き過ぎた誹謗中傷が飛び交う世紀末と化している。責任追及自体の是非を問うような風潮は、ほとんど見られないように思う。 ふと思ったのが、"感謝"と"責任追及"は表裏一体の関係なのではないか?ということ。 ・感謝 人に対して「ありがたいな」と感じて、それを表現す

          "感謝"と"責任追及"、実は表裏一体?

          「嘘を吐くのもひとつの手段」と思える今が、結構幸せ

          昨日、実家で夕ご飯を食べていた時のこと。インターホンが鳴ったので出てみたら、プロバイダ切替の営業さんだった。「電線の工事が終わって通信速度が上がったが、いまお持ちのルーターだと残念ながらその性能を100%発揮できない。その切り替えのご案内に伺いました」という感じの、ありがちなトークスクリプトを披露してくれた。 しかし驚いたのは、その営業さんの話し方や雰囲気。若くて男前で、喋り方がハキハキと気持ちが良い感じだったのだけど、「切り替えないと絶対損ですよ!?」みたいな押しの強さが

          「嘘を吐くのもひとつの手段」と思える今が、結構幸せ

          哲学対話の開催をやめた理由

          1年ほど前から今年の5月まで、「はじめての哲学対話」「大阪ゆる哲学対話」等の名前で哲学対話を主催していた。が、今年の5月をもって開催をやめることを決めて、先に11月まで予約していた会場もすべてキャンセルした。 おれはなぜ哲学対話の開催をやめたんだろう。面倒、億劫、飽きた・・表面的な理由はいろいろと思いつくが、根本の理由は「他者とはけして相容れない」ということを1年かけてようやく納得できたから、というのが大きいと思う。 この納得を得ることが本来の開催目的ではなかったのだけど

          哲学対話の開催をやめた理由

          感情から怒りが消えると、後には「暇」だけが残った

          振り返ってみると、小さい頃から俺は自分の「怒り」の感情に苦しめられていたと思う。 周囲の理不尽に対する怒り。自身の不甲斐なさに対する怒り。思い当たる怒りはたくさん出てくるけれど、その怒りをうまく利用できた記憶はあまり思い出せない。大概、自身の怒りに翻弄されて、当たり散らかすかのごとく行動することが多かったように思う。 そんな俺のここ最近の行動方針は、専ら「怒らないこと」であった。俺の人生における苦しみの元凶が怒りなのだったら、それを無くしちゃえばええやん!と。(なんとも単

          感情から怒りが消えると、後には「暇」だけが残った

          「舐められてる」という感覚

          職場にKさんという先輩がいる。あまり雑談的なコミュニケーションを取ることがなく、かといって全く口を利かないわけでもなく、必要最低限の連絡を取るだけの「仕事だけの付き合い」といった感じの関係性の先輩である。 最近、そのKさんが持っている仕事で、途中自分が作業を加えるものがあった。「仕事回ってくる予定がわかったら、大体で大丈夫なので教えてもらえたら助かります」とか、「有休予定してるんですけど、日付ズラせるのでまた教えてください」とか、手を変え品を変え先のスケジュールを聞き出そう

          「舐められてる」という感覚