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終わりのない個人への責任追及

「責任の追及は、個人ではなく仕組みに対して行うべきだ」という言説を聞くことが、ここ最近多くなった気がする。

この言説自体にはおれも賛成なのだけど、ニュースは常に個人への責任追及の話題でいっぱいで、その結果SNS上では行き過ぎた誹謗中傷が飛び交う世紀末と化している。責任追及自体の是非を問うような風潮は、ほとんど見られないように思う。


ふと思ったのが、"感謝"と"責任追及"は表裏一体の関係なのではないか?ということ。

・感謝
人に対して「ありがたいな」と感じて、それを表現する行為

・責任追及
人に対して「何してくれてんだ」と感じて、それを表現する行為

ポジティブかネガティブかという違いはあれど、いずれも仕組みではなく個人の行動や結果にフォーカスが当たっている点は共通している。


つまり、個人の行動や結果を中心に捉える"感謝"という概念が存在する限り、二元論的に"責任追及"という概念が生じることは避けられないのではないか?と思った。

特に、"感謝"が社会によって奨励されるような環境である場合、自分の意図しない"感謝"を強制される場面もあるわけで。その反動として"責任追及"の衝動が溢れ出てくるのは、ある意味必然であるように思う。


一方で、環境に強制される"感謝"と、自分の内から自然に湧き上がってくる"感謝"は、全くの別物だと個人的に考えている。ここに現代の誹謗中傷問題を解決するヒントがあるのではないかな、と思う。

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