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何故書くのか?


 空に木々の梢が刺さっている、この木々は生きて来春になると、緑の葉っぱが出て来てコンモリとなるのです。
 そうやって自分に言い聞かせないと、枯れ木にしか見えない。
 見える木々全部枯れ木の梢、チクチク空に刺さって空が痛そう。

 毎日投稿にこだわっている訳ではない、書けなければそれでもいいと思いながら、夜が開けると何を書けば良いのやら(笑)と頭の中は何時も真っ白けの状態で有りながら、文字を打ち始める。
 行き当たりバッタリ、出て来る言葉を打ち込んでいる、これで良いのだろうか ? と思い煩う。
 noteに来てから時間の許す限り、投稿している方の文章に触れ、発信したい事や、言いたい事などに触れると、自分は発信したい事がないのではないか ? と考える時がある。
 文章を書き出したのは、つい15年程前からだし、その後、母の認知症の介護で全く書けなくなり、今思えば心は廃人の如し、文章や絵はもう描けない、書けなくなってしまったんだわと思っていた。
 認知症に付き合う為には、自分一人では非常に大変で、近くの家族の協力を得られなかったのも原因なのだろう。
 10年以上の歳月が流れたある日、母は脳梗塞で倒れ左半身麻痺となってしまった。
 施設に入る事になった母、未だ私の精神は濃霧の中を彷徨っていた。
 濃霧が晴れたのは、つい一年半前、併せても文章歴は3年位しか経っていない、文章のノウハウ等全くない、ましてや文法など全く分からない、今だに原稿用紙の書き方も分からない事が沢山ある。
 まさか文章等書くとは夢々思わなかった人生だった、の、半分以上を過ごして来た自分は、結局何も分からないのではないのではないか・・・と思う時がある。
 それでも、出て来た言葉や文章を書き連ねて行き、投稿すると自分の中の何か分からないモヤモヤがすっきりして気持ちがいい。
 私にとって行き当たりばったりの文章だけど、読んで下さる方にありがとうございます、と、頭を床に擦り付けている毎日を過ごして、それでも読んでくれた方がいると嬉しい、ニコニコ。
 毎日投稿で言葉を吐き出す行為は、私のストレス発散なのかもしれないな~と行き着いた。
 

 
 
 
 

 

#エッセイ

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