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「『共に生きる社会』を目指して」出展作品2019

  『限界を見た』  ※一部編集有り
 

 前に見たときは眠っていた葉が生き生きと茂っている。分厚い窓ガラスの向こうから聞こえてくる冷たい木枯らしの音とは変わり、今日はセミの声ともに。

「**(本名)ちゃん、診察だよー。」

 私は精神科に二度入院を経験した。病名は付けられたことはないし、今は薬すら処方されていない。だが、家出や自殺未遂など、当時はこのような選択肢しかないように思えるほど辛かった。私にとって入院病棟はすごくありがあたい逃げ場だった。
 
 病棟には様々な患者さんがいた。日常生活動作ができて、コミュニケーションがとれる人もいた。けれども、意識がほぼ無い人や、意識はあるが、言動が例えるなら、原始時代の人間か、あるいは故障したAIのような人もいた。当時、十七歳の私にはかなり衝撃的で直視できない環境だった。しかし、少しずつたくさんの患者さん達と仲良くなっていった。絶対に交わることのない各々のレールを走ってきた人達が、病気によって進路が変わり、奇跡的なタイミングでここで出会った。退院前夜は、みんな深刻な事情を抱えているが、ひとときでもこうして共に笑い合える真珠のような日常を壊したくなくて泣いていた。そんな患者さんたちとはいろいろな話をした。その度に、私の概念は次々と塗り替えられていった。とてもリアルな声だった。その中には医者や看護師にも言えない悩みもあった。そしてそれは、病気に関わるとても重要な内容であることが多かった。これが私がこの身で体験した事実一だ。
 
 時は変わって一度目の退院後、デイケアサービスを利用していた。そこでは多種多様な活動をしていた。しかし、違和感を覚えた。「病人だから」というフィルターを通された難易度の低い課題で満足していたら、一生そのレベルより上へいけないのではないか。患者によっては良いハードルなのだろうが、逆にストッパーになる患者もたくさんいる。まさに私がそうだった。これが事実二だ。
 
 それに加えてやはり、国の社会保障金で簡単に作られた羊羹よりも、自分で頑張ってバイトしたお金で買ったこだわり抜かれたタピオカドリンクのほうがおいしい。これが最後の事実三である。
 
 この三つの事実から導き出されるのは、患者の幸せを追求する医療や福祉には限界があるということだ。例えば、道端で白杖を持った人に親切心で話しかけたらどうなるか。おせっかいだと感じ、気分を害してしまうかもしれない。さらに目が見えない分、突然話しかけられたら、驚いてその拍子に怪我をしてしまう可能性もある。

 しかし、この「福祉の限界」は「自立の一歩」ととらえることはできないだろうか。白杖の人がそうなるのも、自分でできて、助けが無用という事実があるからだ。つまり自立しているからである。心の病を負った人も、悩みは自分で解決し、自分の力で這い上がり、幸せは自分で掴み取らなければならない。
 
 だが、決して医療や福祉を否定している訳ではない。これはあくまで、患者と医療・福祉は適切な距離感が必要であるという話だ。最悪なのは、患者が依存してしまい、自立できなくなるケースだ。それを避けるためにも、どこまで支援できるのか、それがどのような支援か、必要な支援か、本当に必要な支援は何かを考え、自立を促すことだ。
 
 患者を無理なく社会の中に独り立ちさせるまでが医療・福祉機関の役目であると私は考える。それが患者と医療・福祉の理想の関係であり、すべての人がこの社会で共に生きるとうことなのではないだろうか。



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