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映画『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』



2017年のイギリス・アイルランドの映画。

『籠の中の乙女』や『ロブスター』を監督したヨルゴス・ランティモスの作品の割にはファンタジー感は少ない。
しかし、現実的な設定、描写であるが故に忍び寄る恐怖と狂気を感じざる得ない。
比較的有名な映画なので、主なストーリーの流れは検索したらすぐに上がってくるだろうから割愛する。

催眠的な心理的要素と呪術的なオカルト要素が存分に描写されているように感じられる。

医療ミスで父を失った少年マーティンが心臓外科医スティーブンに同情を引いて取り入ったのは想像も容易だが、この少年マーティンの心の内にある企みも気になるところ。
もしかしたら、意図的に実父を医療ミスで失うように工作し、心臓外科医スティーブンの息子になろうとしていたのではないかとも思えてしまう。自分の母と心臓外科医スティーブンに関係を持たせようとしているシーンからも想像できる。

スティーブンがマーティンの異常性に気付き距離を置き始めた時にマーティンの言った言葉がじわじわと実現する。

「先生は僕の家族を1人殺した。だから家族を1人殺さなければならない。誰にするかは自由だ。でももし殺さなければボブもキムも奥さんも病気で死ぬ。

1、手足の麻痺

2、食事の拒否

3、目からの出血

4、死

先生は助かる。安心して。」

スティーブンの息子ボブの体調に異変が起こり始めた後だっただけに大きな心理的ショックがあったに違いない。その後の彼の様子を見ても顕著である。

この言葉は催眠や洗脳をするには充分だろう。オカルト的な要素で言えば言霊とも捉えることができる。
この言葉さえ放ってしまえば後はスティーブンがこの現実を実現させてしまうのである。
息子ボブの次は娘キムまで同じように原因不明の病状に襲われてしまう。

しかし、スティーブンの妻・眼科医アナだけは予言通りの病にはならず、健康のままである。
恐らく、この妻はサイコパス傾向があるのではないかと思う。合理的で無駄な感情移入はしない。
息子ボブが亡くなっても次に子供を産めば良いと言う台詞からもそう思う。
スピリチュアルな観点からするとこのような人は同情や共感から受ける厄災や呪詛を受ける事はありません。
彼女は知的なので根拠のない催眠や洗脳も受ける事はないでしょう。

ラストシーンでの息子ボブを亡くした後も家族揃って以前と同じように仲良く過ごすこの一家の様子を見たマーティンの方がある意味ショックだったのではないかとも思えてしまう。
息子の死は罰にはならなかったのだと。
そして、この家族の方がもっと恐ろしい存在ではないのかと。


普通の人間の怖さを感じた作品。
心理的オカルトを求めている人には最適な映画。
分かりやすいホラーやオカルトのような演出がない部分は個人的にはとても気に入ったが、ホラーやオカルト好きには物足りないかもしれない。

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