あずき

音楽のせいで生きて、音楽のせいで死にたい

あずき

音楽のせいで生きて、音楽のせいで死にたい

マガジン

  • 日記

    ただ思いついた言葉を並べただけ

  • 漂う思考、音楽のとなり

    音楽を聴いて思い浮かぶ思考をつらつらと。あたまの中身。

  • 音楽と写真

    写真のこと、それに伴う音楽のこと

最近の記事

好きはすぐに迷うから

好きな写真を研究した事がある。 ノートに写真を貼り出して、どこが好きなのか言葉でなぞってみる。好きの解像度を上げるための所作。 日常で、自分が撮る写真以外に触れる機会はそう多くは無い。都会に出た時にタイミング良く催されている展示に足を運ぶでもしないと、SNSで画面上の写真を見る事が大半になってしまう。 オフラインでのコミュニティにも属さず、特定の交友関係もほぼなく、SNSでのリプライがつくことも滅多にないから、誰かと写真の話をする事もない。 そうしているうちに、だんだんと

    • 音は心が住むところ

      寂しかった。この音の中に、私が住めるような隙間が見つからない。あわてて歌詞の中に居場所を探したけど、明るくて眩しい音に掻き消されて身の置き所が見つからない。 夜だからかもしれない、朝になれば。 目が覚めて確かめるようにまた足を踏み入れてた。何があっても受け入れたいから、真っ白な心を持って、まだ空白のわたしを用意して。 昨日よりすこし、音は仲良しだった。 笑った顔が見えたから、これでいいのかもしれない、と思った。いまは少し笑顔が遠くても、その軌道は真っ直ぐに離れていくわけ

      • 諦観

        写真は感情の発露だな、と思う。 記録的な意味合いが強いものもあるけど、シャッターを切る行為にはある種の衝動性が必要で、無意識下の行為ではなくて、視覚から指先へと一連の神経系の流れが生まれなければ撮れるものではないから、あながち間違いでは無いのだと思う。 写真に宿る感情として、好きな物が幾つかある。 そのひとつが諦観だ。 諦めと聞くとマイナスなイメージを持ちやすいけれど、ここで言う諦観というのは、上手に生きていく為のスキルとしてのもっと上手な諦観のとこだったりする。 例えば小

        • 瀬戸内海と暮らす

          特に旅という程でもない、車で1時間もかからない距離に瀬戸内海があって、それでも体感、倉敷に住んでいた幼少期より海までの距離は遠くなってはいるのだけど身に付いた習性なのか、陸より水が好きだからなのか、休みの度によく川や海に行く。 今日のお目当ては暑かったから宇野までおまち堂のかき氷を食べに。 玉野市の宇野港、瀬戸内国際芸術祭の島々に行くフェリー乗り場のある場所。 キャンプ場併設の温泉とか、近くにはデニムで有名な児島もあるよ。 船が好きです。いいよね、船。めちゃめちゃ船酔いす

        好きはすぐに迷うから

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        • 日記
          4本
        • 漂う思考、音楽のとなり
          10本
        • 音楽と写真
          5本

        記事

          こわかった

          失いたくないと、いくら叫んでも今日のこの瞬間が明日には過去に変わってしまう事、たかが人間にはどうしようも無い。 世界に好きの総量が増えてしまうとき、嬉しさと同時にどうしようもなく悲しい。好きはもうこの両手に収まりきらないくらいに数も重さも増えてしまって、今では大切なそれを取りこぼさないように、指の隙間から漏れ出す好きを拾い集める日々だ。 それでも道中、物音も立てず落ちてしまったそれに気付いて振り返る事も出来ず、記憶からゆっくりと溶けだして消えてしまうものの多さ。 それを思

          こわかった

          SNSと写真

          ねぇあなたは何のために写真を撮るの?そこに明確な答えを持てる人はすごいなぁ…と思う。 仕事として、プロとして写真を撮っているわけではない、ただの趣味に理由なんて本当はいらないのかもしれない。あまつさえ評価なんて。それなのに時々SNSに載せた写真の反応の薄さに落ち込むことがある。 「伝わらなかったな」「わかってもらえなかったな」「下手なのかな」 SNSなんてなかった時代に写真を楽しんでいた人はどうしてただろう。 子どもの頃の写真はアルバムの中に大切に綴られて、私の記憶のない小

          SNSと写真

          動く小部屋

          8月が去った。 9月の1日目は激しい雨で、朝から近所に落ちただろう雷鳴で目を覚ました。 今だって目の前では打ち捨てられたポリカスエットのペットボトルが護岸の端の水面で激しい雨に打たれて所在なさげに揺られていて、あれは青春とか夏の象徴みたいな飲み物だから秋の気配に馴染めなかったね、なんて思っている。 コロナ隔離期間は今日を含めてあと2日。だから本当ならまだ家に居なきゃいけないのだけど、多動気味で休みの日に家に居られた試しがないから、引きこもっている時間が長くなってくると精神が

          動く小部屋

          体育座りとBGM

          グラウンドいっぱいに広がる青空を眺めながら、人生にはドラマみたいにBGMが必要だよ 。なんでこの音楽は頭の中にしか聴こえていないんだろう。と思った。小学校高学年の頃の記憶だと思う。 体育の時間が嫌いだった。 身体を動かすのはあまり得意じゃない、とずっと思っていた。 「なんであんたは運動神経が悪いんだろうね。誰に似たんだろう。私もお父さんも足が速くて、中学の時には高跳で……」 体育の成績はいつも3か4。ほかの教科でほぼ5が並ぶ通知表の中に異質に混ざる3という数字は、母をイライ

          体育座りとBGM

          心のうねり

          好きに理由が必要ならば、幾らでも指先で手繰り寄せてここに記すのだけれど、ひとつひとつをあげてしまうときっとどれもチープに見えてしまうものだと思う。 宝石箱の中身がキラキラして見えるの、一つ一つの宝石は小さくとも、箱いっぱいに詰まったたくさんの輝きに心が奪われたら、その仔細まで目が行き届かなくなるのと似ている。 あまり見つめると、涙が出るので目を逸らしたくなるのかもしれない。 “ 好き ”という感情が好き。 無我夢中という言葉の通り、好きな物に心を奪われ、浸り、溺れている時

          心のうねり

          トラウマ

          たった4文字のカタカタはとても大袈裟に聞こえる。でもこの生きにくさを何と言っていいのか考えた時に、トラウマという言葉に収まるのだと思う。 リーガルリリーとPeople In The Boxと崎山蒼士。とても豪華な対バンがあった日だった。ボーカルのほのかちゃんの誕生日でもあるその日の企画は、私の大好きが全て揃っていて、東京だから行けないという事は理解していても「羨ましいなぁ」と思わざるを得なかった。 仲の良い人達が2人、そのライブに行くのを知っても、まだ「いいなぁ」と言える

          トラウマ

          それは月明かりのように。

          「君はひとりぼっちなんかじゃないよ」 それは質量と温度のない言葉だった。概念的に漂うだけの言葉の向かう先はどうも私を含まない外側の世界らしかった。 当たり前だ、私に向けられたものではなかったのだから。 世に蔓延る耳障りの良い、紙切れよりも薄い言葉。そんなものに救われる心も、何処かにはあるのだろう。ただ私には無味乾燥であるというだけで。 世界は生まれた時からなんだか他人行儀で、上手くそこに馴染むことが出来なかった。傍目に見れば特に決定的な破綻はなかっただろうし、ごく普通

          それは月明かりのように。

          OPF 550-Lというフィルター

          青色はお好きですか。 そう。 私も好き。 オールドレンズの懐かしさに胸が締め付けられるような絵は好きですか。 そう、それなら素敵なのがあるよ。 オールドレンズの曖昧で滲むような描写が羨ましくて、買おうか検討していた事があるんだけど、私はFUJIのAPS-C機だからオールドレンズの定番50mmでは75mmという何とも狭めな画角になってしまうし、レンズが増えるほど今大切に使っている子達の出番が減ってしまうから躊躇いがあって。 そんな時にとても素敵な写真を撮る写真家

          OPF 550-Lというフィルター

          光る、水面

          橋から見える夕暮れ時が綺麗だった。 XC15-45 1/1250秒 f5.6 ISO80 15mm 普段は通らない道を車を走らせる。この川、こんなに大きかったっけ…。そう言えばここも一級河川だったなぁと思いながら橋を渡りきる。下りたそばからUターンできる場所を探している。 はやく、今すぐに引き返さなきゃ。今美しいと思った光が変わってしまうその前に。 河川敷の駐車場の端、小高い丘のスペースに三脚に望遠を構えた老人が橋の方を眺めている。 ただのリサイクルごみを捨

          光る、水面

          紫陽花を染める

          (※この記事は2021年5月19日投稿の削除記事を再掲したものです) 雨上がりの午後、職場の庭で小さな子どもと手を繋いでアマガエルを探す。「なっちゃん、ほら、カエルさんいたよ」ツヤツヤ光るそれは、紫陽花の葉と同じ色をしてる。 手のひらにそっと包んで目の前に差し出して手品の種明かしみたいに披露する。わぁ!って言いながら指で恐る恐る触ってみるその指もカエル同様、とても小さい。愛おしいもの。 梅雨が運んでくるのはカビでも五月病でもない。そんな憂鬱ななにかじゃない。 空から細

          紫陽花を染める

          引き金に指をかける

          (※この記事は2021年5月16日に投稿の削除記事の再掲です) 海を、海を見に行こうと思った。 川も、海も、昔からずっと水中が好きだ。小学校のプールの授業が終わる前の5分間は必ず自由時間で、水の中に潜ってくるくると水中で前回りをした。ぼやけた水の鈍い音と、動きに合わせて煌めく水泡の光に包まれて、前世はきっとイルカだったんだ、なんて思っていた。 小型のカメラを携えて、海まで車を走らせる。音楽は何にしよう。〈 波よせて/クラムボン〉がいい。あれは夜の海の歌だけど、あの少年が

          引き金に指をかける

          乱立する私、音楽

          (※この記事は2021年5月21日投稿の削除記事を再掲しています) ねぇ、あなたは何人いるの?ひとり? わたしは、9人ぐらい。 【⠀解離性同一性障害 】通称、多重人格。それが私の診断名らしい。 自分でも「詐欺みたいな病気だな」なんて思う。自分のことなのにね。大学では臨床心理学が専攻だったから、それがどんな病気なのかは割と専門的にわかるのにね。 比較的軽症だから、記憶が飛んだりはしない。ほぼ。 朝、目が覚めて昨日の夜の憂鬱が不思議に感じる、あの感じ。 お酒を飲んだ

          乱立する私、音楽