マガジン一覧

日記

ただ思いついた言葉を並べただけ

写真日記 LeicaQにて

こんな大雨の日に、何をしてるんだろう。真っ赤なレインコート、雨傘、カメラ。 青葉がひっくり返り、世界が濡れている。 艶や静けさを通り越して、山から湧き出た水が雨音と競い合うようにうねる。 「直情的」という言葉が頭をぐるぐるしていたけれど、なんの事かは分からない。ただ感情に直結した絵が出てくるからLeicaQが好き、みたいな事を思った。 写真は感情の蛇口かもしれない、とも思った。シャッターを切ると、蛇口を捻るように…… 上手く言えないから、いいや。 こんな雨の日の森に人は

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好きはすぐに迷うから

好きな写真を研究した事がある。 ノートに写真を貼り出して、どこが好きなのか言葉でなぞってみる。好きの解像度を上げるための所作。 日常で、自分が撮る写真以外に触れる機会はそう多くは無い。都会に出た時にタイミング良く催されている展示に足を運ぶでもしないと、SNSで画面上の写真を見る事が大半になってしまう。 オフラインでのコミュニティにも属さず、特定の交友関係もほぼなく、SNSでのリプライがつくことも滅多にないから、誰かと写真の話をする事もない。 そうしているうちに、だんだんと

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瀬戸内海と暮らす

特に旅という程でもない、車で1時間もかからない距離に瀬戸内海があって、それでも体感、倉敷に住んでいた幼少期より海までの距離は遠くなってはいるのだけど身に付いた習性なのか、陸より水が好きだからなのか、休みの度によく川や海に行く。 今日のお目当ては暑かったから宇野までおまち堂のかき氷を食べに。 玉野市の宇野港、瀬戸内国際芸術祭の島々に行くフェリー乗り場のある場所。 キャンプ場併設の温泉とか、近くにはデニムで有名な児島もあるよ。 船が好きです。いいよね、船。めちゃめちゃ船酔いす

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SNSと写真

ねぇあなたは何のために写真を撮るの?そこに明確な答えを持てる人はすごいなぁ…と思う。 仕事として、プロとして写真を撮っているわけではない、ただの趣味に理由なんて本当はいらないのかもしれない。あまつさえ評価なんて。それなのに時々SNSに載せた写真の反応の薄さに落ち込むことがある。 「伝わらなかったな」「わかってもらえなかったな」「下手なのかな」 SNSなんてなかった時代に写真を楽しんでいた人はどうしてただろう。 子どもの頃の写真はアルバムの中に大切に綴られて、私の記憶のない小

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漂う思考、音楽のとなり

音楽を聴いて思い浮かぶ思考をつらつらと。あたまの中身。

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こわかった

失いたくないと、いくら叫んでも今日のこの瞬間が明日には過去に変わってしまう事、たかが人間にはどうしようも無い。 世界に好きの総量が増えてしまうとき、嬉しさと同時にどうしようもなく悲しい。好きはもうこの両手に収まりきらないくらいに数も重さも増えてしまって、今では大切なそれを取りこぼさないように、指の隙間から漏れ出す好きを拾い集める日々だ。 それでも道中、物音も立てず落ちてしまったそれに気付いて振り返る事も出来ず、記憶からゆっくりと溶けだして消えてしまうものの多さ。 それを思

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体育座りとBGM

グラウンドいっぱいに広がる青空を眺めながら、人生にはドラマみたいにBGMが必要だよ 。なんでこの音楽は頭の中にしか聴こえていないんだろう。と思った。小学校高学年の頃の記憶だと思う。 体育の時間が嫌いだった。 身体を動かすのはあまり得意じゃない、とずっと思っていた。 「なんであんたは運動神経が悪いんだろうね。誰に似たんだろう。私もお父さんも足が速くて、中学の時には高跳で……」 体育の成績はいつも3か4。ほかの教科でほぼ5が並ぶ通知表の中に異質に混ざる3という数字は、母をイライ

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それは月明かりのように。

「君はひとりぼっちなんかじゃないよ」 それは質量と温度のない言葉だった。概念的に漂うだけの言葉の向かう先はどうも私を含まない外側の世界らしかった。 当たり前だ、私に向けられたものではなかったのだから。 世に蔓延る耳障りの良い、紙切れよりも薄い言葉。そんなものに救われる心も、何処かにはあるのだろう。ただ私には無味乾燥であるというだけで。 世界は生まれた時からなんだか他人行儀で、上手くそこに馴染むことが出来なかった。傍目に見れば特に決定的な破綻はなかっただろうし、ごく普通

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紫陽花を染める

(※この記事は2021年5月19日投稿の削除記事を再掲したものです) 雨上がりの午後、職場の庭で小さな子どもと手を繋いでアマガエルを探す。「なっちゃん、ほら、カエルさんいたよ」ツヤツヤ光るそれは、紫陽花の葉と同じ色をしてる。 手のひらにそっと包んで目の前に差し出して手品の種明かしみたいに披露する。わぁ!って言いながら指で恐る恐る触ってみるその指もカエル同様、とても小さい。愛おしいもの。 梅雨が運んでくるのはカビでも五月病でもない。そんな憂鬱ななにかじゃない。 空から細

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音楽と写真

写真のこと、それに伴う音楽のこと

諦観

写真は感情の発露だな、と思う。 記録的な意味合いが強いものもあるけど、シャッターを切る行為にはある種の衝動性が必要で、無意識下の行為ではなくて、視覚から指先へと一連の神経系の流れが生まれなければ撮れるものではないから、あながち間違いでは無いのだと思う。 写真に宿る感情として、好きな物が幾つかある。 そのひとつが諦観だ。 諦めと聞くとマイナスなイメージを持ちやすいけれど、ここで言う諦観というのは、上手に生きていく為のスキルとしてのもっと上手な諦観のとこだったりする。 例えば小

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動く小部屋

8月が去った。 9月の1日目は激しい雨で、朝から近所に落ちただろう雷鳴で目を覚ました。 今だって目の前では打ち捨てられたポリカスエットのペットボトルが護岸の端の水面で激しい雨に打たれて所在なさげに揺られていて、あれは青春とか夏の象徴みたいな飲み物だから秋の気配に馴染めなかったね、なんて思っている。 コロナ隔離期間は今日を含めてあと2日。だから本当ならまだ家に居なきゃいけないのだけど、多動気味で休みの日に家に居られた試しがないから、引きこもっている時間が長くなってくると精神が

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OPF 550-Lというフィルター

青色はお好きですか。  そう。 私も好き。 オールドレンズの懐かしさに胸が締め付けられるような絵は好きですか。   そう、それなら素敵なのがあるよ。 オールドレンズの曖昧で滲むような描写が羨ましくて、買おうか検討していた事があるんだけど、私はFUJIのAPS-C機だからオールドレンズの定番50mmでは75mmという何とも狭めな画角になってしまうし、レンズが増えるほど今大切に使っている子達の出番が減ってしまうから躊躇いがあって。 そんな時にとても素敵な写真を撮る写真家

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光る、水面

橋から見える夕暮れ時が綺麗だった。 XC15-45  1/1250秒  f5.6  ISO80  15mm 普段は通らない道を車を走らせる。この川、こんなに大きかったっけ…。そう言えばここも一級河川だったなぁと思いながら橋を渡りきる。下りたそばからUターンできる場所を探している。 はやく、今すぐに引き返さなきゃ。今美しいと思った光が変わってしまうその前に。 河川敷の駐車場の端、小高い丘のスペースに三脚に望遠を構えた老人が橋の方を眺めている。 ただのリサイクルごみを捨

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