トラウマ

たった4文字のカタカタはとても大袈裟に聞こえる。でもこの生きにくさを何と言っていいのか考えた時に、トラウマという言葉に収まるのだと思う。

リーガルリリーとPeople In The Boxと崎山蒼士。とても豪華な対バンがあった日だった。ボーカルのほのかちゃんの誕生日でもあるその日の企画は、私の大好きが全て揃っていて、東京だから行けないという事は理解していても「羨ましいなぁ」と思わざるを得なかった。

仲の良い人達が2人、そのライブに行くのを知っても、まだ「いいなぁ」と言えるだけの余裕があった。前の日に「どんなだったか教えてね」と言えるぐらいには。当日の朝にその日のレポを楽しみに仕事に行けるぐらいには。

ここ半年で1番と言えるくらいの激務だった事は多分関係ない。自分が担当していたから重大な事故の発生を未然に防げた日だった。心から「この子の送迎が私でよかった」そう思って帰路に着いた。

開いたTwitterのタイムラインを見て心の雲行きが怪しくなった。この人も行ってるの?この人も?え、この人ってこのバンド好きだったっけ…?この人も行ってる…あれ……この人も…

観測史上最大の人数だった。「みんな」と言えてしまうくらいに多くの人がその企画に行っていた。

「自分以外、みんな」

そう思ってから涙の予感は凄い速さで襲ってきて、心の奥から心臓を押し流す。指の先がじんじんと痛む。何がこんなに泣けるのか分からないままに視界が滲んで嗚咽がこぼれる。

家に帰ってご飯を作って……作っただけだった。胸がつかえてとても食べられない。ベッドに逃げ込んで布団にくるまってただ何も出来ずに泣いた。Twitterはログアウトした。

泣きながら気付く。頭の中で繰り返していた言葉が『私だけ仲間はずれ』『私なんかいなくてもみんな楽しそう』だということに。

「羨ましい」でも「私もライブ行きたかった」でもなかった。感情がズレている。これは今私が感じている疎外感なのか?ここまで大きな感情に流される程の事なのか?

思い当たったのが『トラウマ』だった。刺激されたんだ、この状況に。

虐待はもとより、禁止と制限事項の多い家で育った。友達と遊ぶ事、家の目の前の公園に遊びに行く事、玩具を買ってもらうこと、お菓子を食べる事、テレビを見る事、漫画を読む事、ゲーム、買い物。おおよそ「勉強」に分類されそうな事以外全てにおいて、強い禁止、制限があって、全てが許可制だった。許可は母の気分次第で出たり出なかったりして、そもそも許可を求める段階で大抵の事は母の機嫌を悪くした。

機嫌が悪くなると言葉と身体的暴力が始まるので、そのうち私は許可を求めるのを諦めた。怒られたくない一心で、何も望まなくなった。勉強と、ピアノと、読書。それだけが唯一「いつまでやっていても怒られない、正しい余暇の過ごし方」だった。

子どもの順応性とは凄いもので、当時それを辛いと思う事はあまりなかった。ただ「皆はしてもいいけれど、私はダメらしい」というだけ。窓の外の公園でみんなが遊ぶのを眺めながら「一緒に遊びたいなぁ、でも私はダメなんだって」と思いながらカーテンにくるまって開いた本の中の物語に逃げ込んだ。放課後の遊びの約束も、お泊まり会をするから来ない?という誘いも、流行りの玩具の話題も、テレビの話題も、ゲームの話題も、どれも「みんなはよくて、わたしはダメ」だった。それが普通だった。なんで私だけ、とは思わなかった。「あんたが遊びに行くと迷惑をかける」と母からよく言われていたから、盲目的に「自分は居ると人の邪魔になるらしい」と思って納得していた。

世界は「みんな」対「私ひとり」だった。子どもの私の世界はずっとそんな風だった。

だから構図が似ている状況に、過去の傷が騒ぎ出したんだ。「みんな行ってる。わたしだけ。」と。泣いているのは今この私じゃなく、本当は一人でずっと寂しかった過去の私。仲間はずれみたいだ、と思った寂しさ。私がいない方が皆楽しいのだ、と知った時の絶望的孤独感。私は必要じゃないんだ、と知った時の悲しみ。その全部がないまぜになって「あの頃とてもつらかった」と叫んで泣いているんだ。

わかったからって、痛いものは痛いから、しばらく落ち着くまで丁寧にまた気持に蓋をする為の時間がいる。

トラウマと呼ぶには、あまりに軽いとして、長引く痛みの重さなんて、誰にも計れないでしょう、とも思う。

痛い、痛い、痛かった、という事で何が変わるのかなんて自分にも分からない。ただ、世界に吐き出す以外、今は術がない。

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