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箱庭療法の記録とその後

箱庭療法に興味のある人も多いと思うので、私が昔やった時の日記をシェアすることにした。



2024年の自分の思うところも、後半に記した。


箱庭療法 2008/01/10



東京某所の個人セラピールームで、箱庭療法をした時の記録。

1回だけやってみた


左上は、海のイメージ。

最初は、大洋に向かっていく黄金のイルカと、海岸に打ち上げられた大きな魚。砂山をのぼる蟹。海岸に落ちいてる光り輝く貝殻の配置だった。

その下の大木の下には剣士と、智慧の書をもった魔法使いがいて、死神を倒しにかかろうと身構えている。

木の上には賢い黄金のふくろうがいる。

剣士たちの前にはつまらないケンカをしているオウムとトカゲがいる。どさくさにまぎれて、死神を倒そうという魂胆である。

そのさらに下には、ピラミッドを壊そうとしているキドラ(8 つ頭の蛇)がいて、文化遺産を壊されてたまるか!という意思で、最新の兵器、戦車と戦闘機で倒しにかかるというストーリーを表現した。
このキドラは、なんなく武力の前に倒されてしまうという設定。


中央は、サンタが喜んでいるところ。

いやいやながら必要にかられてやっていた仕事(あみもの)をほったらかしにして、放ったらかしているうちに、勝手に見事に咲いた花を見て、歓喜している様子。


その下のロボットは最初の段階では電池切れで倒れていただけだったが、後から子供達が来て、遊んでもらって嬉しくなって倒れこんでいるというふうに変っていった。


右下は、現在の我が家の表現になってしまった。
子供達がいて、ほんわかしていて食事も豊かにあって豊かで温かい感じ。木で囲っているゴルフバックは昔の実家の象徴。

よく考えずに直観で作ったが、閉鎖感がでている。だが、カンペキな閉鎖ではない。


猿と蛙と蟹のストーリー

左上の端には、最初は傷ついた猿がいた。

猿はサル山で酷い目にあって、尻尾をもぎ取られてしまい、その痛さから、世界を拒絶して、このすみっこに留まってじっとしていた。そうしている限り、平和で何者にも脅かされない。だけど、外の楽しいことも見えてこない。

そんな猿を尻目に、好奇心旺盛な蛙は外の世界をのぞきにいこうとする。

その猿のもストーリーが展開していくうちに、変化がでた。

まず、海のほうから蟹が来て、猿をいきなりチョキンとはさみでつっついた。すると猿は、激怒して、蟹を追いかけて海岸まで来る。

そこで、広い大洋を見て猿は深く感動する。

蛙に励まされ、砂に埋もれて遊ぶことに。ここで猿は、やっと開放感を味わって、人生に”楽しい”を発見する。


猿にあう以前、蟹は、砂浜に打ち上げられた今にも死にそうな魚が死んだ後、それを食べて成長した。この蟹は、つい最近生まれたものである。


この箱庭から、別のストーリーも読み取れるので、一旦、次のストーリーに話を切り替えた。


「死神がいなくなると、この世界はどう変るか?」という話。

死神がいることにより、この世界は平和なように見えるが、いたるところに対立や戦いがあった。この死神がいなくなるとしたら、不動明王の守る岩の後ろに追いやられるのが一番だろう。

この死神が、追いやられるには、どういう過程をたどるかというと、まず、神の化身である金のふくろうが、不動明王に剣士たちのことを知らせに行く。

不動明王はマントラを唱え、剣士と魔法使いに強烈な力を送る。その力により、剣士と魔法使いは、死神を岩の後ろに封印することができるようになるのである。


真ん中の、鳩は、賢い鳩で先祖代々、世界の平和維持のために「3人集まれば文殊の智慧」ということで話し合いをしている。実は、ふくろうが不動明王に応援を頼みに行ったのは、この鳩の提案を受けたからであった。

この世界から対立がなくなり、平和になると、鳩たちの仕事が無くなってくる。そしたら、鳩はこの世界の外の世界の平和を助けるために旅たつこととなる。

箱庭の全体像からすると、私の外面(箱の右半分)は結構閉鎖的であるようなイメージが集中しているとのこと。

・・・納得。

また、敵は外ではなく、内面(左半分)に集中していることにも気づく。

全体的には、豊かである。

死神が岩山の奥深くに封印されるところでは、不動明王(仏教の神)が出てきているので驚いた。仏教の教えを活用してゆけば、私の抱える問題が解決できるという、示唆だと受け取った。

私は、中央の「やったー!」と喜んでいるサンタに、一番思い入れがある。

これらが何を語っているのかは、いずれ近いうちにわかるだろう。

(完)


2024年の自分が見て思ったこと



日記は「これらが何を語っているのかは、いずれ近いうちにわかるだろう」で締めたが、全然わからなかった。

全体的に、ほんわかしているイメージなのは、家族とうまくやっていたからだろう。リーマンショック前、かつ東日本大震災よりもっと前なのも大きいと思う。この2つを経験した後なら、こんな箱庭にはなっていないと思う。

2008年当時は、私は仏教にはあまり興味なかったが、箱庭のストーリーの「不動明王」のくだりだけは、未来を予言していた。

この箱庭療法の12年後。
私はお寺で勤行をするために、お寺の近くに引っ越してきた。「仏教の教えを活用してゆけば、私の抱える問題が解決できる」と、今は信じている。活路を見出すってやつ?
その志向性は、2008年には心の片隅に生じていたのだろう。


結局、箱庭は面白かったけど、これをやって神経症的な症状が緩和するということもなく、明確な示唆を得られたわけではない。一度ではなく何度もやっていけば、いろいろな気づきが得られそうだ。



箱庭は「無意識の中で様々な表象が、どのように遊んでいるのかを垣間見れるスコープ」だと思えば楽しいかも。


今の私は、どんな箱庭を作るだろうか・・・?

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