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料理好きが振る舞う、超次元の"ゲテモノ料理"

先日ニュースになった、東京ビッグサイトのデザインフェスで売られていた臭いマフィンのお店をGoogleで調べてみたら、評価⭐︎一の口コミ投稿が多く「岩のようだ」「こんなに不味いマフィンは食べたことがない」「一口食べて吐き出しました」など、散々な書かれようだった。

なぜ、こんなボロクソな感想をもらっても、店主はマフィンを作り続けたのだろうか?

お菓子作りが好きなら、数こなせば、それなりに上達するはずである。
それが沢山作っても上達しないのである。
・・・謎である。


不味いものが出来続けて、不評が増え続ける。

お店をしていればプレッシャーを感じるし、第一、自分が作るものが不味すぎたら悲しい。




理解できないけど、そういえば、似たようなケースが過去にあったことを思い出した。


私が高校生の頃、たまに夕飯を振る舞ってくれる近所のおばさんがいた。
彼女は「料理が得意。作るのが大好き」なので、「多くの人に振る舞いたい」「食べて喜んでもらいたい」気持ちが強かった。
それで私も、たまに家にお呼ばれした。

それなのに、どうしてなのか。

出てくる料理は、どれも「未知」「謎」「ゲテモノ」。
普通の食材で作っているのに「どうしてこうなった?」という仕上がりになってしまうのであった。

一言で言えば「料理がド下手くそ」なのであるが、このおばさんの料理は、普通のヘタクソを超えて、一口食べた人を未知の領域に引き摺り込むほどのパワーを持っていた。


過去の思い出というより、ほぼ怪奇話であるため、ここから先は『未知の世界への冒険』なのだと、覚悟を決めてから、読んでいただきたい。



謎メニュー1.ほうれん草と卵、"未知のもの"になる

私が初めて食べたおばさんの料理は、茹でてクタクタになったほうれん草に、卵らしき白と黄色の謎なフワフワが、まとわりついたものであった。

見た目からして、食べたくない雰囲気を醸し出している。


これが何という料理かわからない。
和食か洋食か、判別もつかぬ。

塩、こしょう、バター、何らかの味がついていれば、とりあえず和か洋かくらいは判別がつくだろう。
意外と美味しいかもしれない、と期待して一口食べた。

・・・なんと調味料一切無しなのか?

まったくの無味であった。
フワフワに見えていたものは、実はボソボソであり、触感も、視覚も、味覚も、全部期待を裏切られた!
かろうじて認識出来たものは、ほうれん草のほのかな苦味のみ。

この「ほうれん草と白と黄色の何か」は、和食でも洋食でもない、おそらく「前人未到のジャンル」の食なのだろう。


この時から私は、おばさん家の食卓で、未開の地に舌を踏み入れた「冒険隊の隊員」になってしまったのである。


冒険は続く・・・。

謎メニュー2.すり潰された白い何かと、コーン粒の屍


別の日に出てきた一品は「すり潰された白い何か」と、同じお皿に置かれた「千切れ飛び、とっ散らかったままの無惨なコーン粒の屍」という、前衛的なアートな"何か"であった。



白い何かは「ポテトサラダ」なのだそうだ。
では、ポテトサラダの味がするのだろうと思ったが、私の知っているポテトサラダの味はしなかった。

またもや調味料を忘れたのか。
不思議なことに、じゃがいもの素材の味すらしなかった。砂のようである。
「これが、あの"無味乾燥"ってヤツか」

またしても私の味覚は「あなたの知らない世界」に連れていかれた。

そこで「概念になる前のもの」に遭遇したのだろう。

人間の味覚では、解析不可能なことだけは理解できたが、意識がボーッとして、現実世界に戻るのに時間がかかった。



冒険は続く・・・。

なんと次は、時空すら超えてしまうのである!

謎メニュー3.太古の鮭の化石


メインディッシュで肉が出てきたことはなかったが、鮭は出てきた。普通にグリルに入れるだけで、焼き上がる紅鮭である。

しかし、料理好きのおばさんの手にかかると、スーパーで売っている紅鮭も、違うものになってしまうのだ。
これはもう、スーパーマジックとしか言いようがない。


出てきた鮭は、「流木」もしくは「鮭の化石」か。


水分が極限まで無くなり、カチカチになって、箸でつつくとコツコツと音がした。
身はほぐせないが「割る」ことは可能だった。
割って食べたら、煎餅というより、カチカチの干し肉のようであった。またもや塩味はない。

化石になる前の鮭のフレーバーが、空気中にうっすら漂う。それが微かに感じられる。

これが"味"か。


どうして・・・
どうして焼くだけでこうなるの・・・?

普通のグリルでしょ?
何が違うの?
入れ方・・・???



・・・とうとう冒険も、クライマックスに差し掛かって来たぞ。


謎メニュー4.愛の灰色ホワイトシチュー


ホワイトシチューを差し入れで貰った。
満面の笑みで、鍋ごと渡してきた。
おばさんの得意料理なのだそうだ。
自信作である。

お鍋の蓋を開けると、ホワイトシチューなのに完全に灰色であった。
お鍋が悪いのか、何が原因なのか?
白い要素は、完全に消失していた。

シチューといえば野菜や肉の具が入るものだが、そういうものもすっかり溶けたのか、混沌とした灰色のぬかるみしか確認出来なかった。

味は、やはりホワイトシチューでも、ホワイトソースでもない、クリームでもない、絵の具やペンキでもない、ドロドロの、ほんの僅かな塩味と、野菜の出汁というより"確かにそこに在ったはずの、存在の微かな痕跡"みたいなものの複雑なミックスなので、ご飯に合うとか、最早、そういう次元のものではなかった。



・・・申し訳ないけど捨てるしかなかった。


このような、前衛芸術(アヴァンギャルド・アート)の様な料理は、他にも沢山あったけど、そのどれもが奇妙奇天烈摩訶不思議であったため、私の脳が(有害認定したのか)記憶を削除してしまったらしい。

確かに見たのに、食べたのに。
これ以上は思い出せない。


このおばさんはヘルパーの様な仕事をしていたらしい。料理を他人に食べてもらうのが大好きだったので、訪問介護先のお宅で料理を振る舞っていたら、客から「もう来ないでくれ」と言われたそうだ。

おばさんは気分を害したものの、自身の料理の腕は微塵も疑わず、その後も、ずっと他所の人の分まで、得意の料理を作り続けたんだとさ。

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