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お母さんと息子だけの秘密にしよう

保育園からの帰り道、息子はとても機嫌がわるかった。
何を聞いても適当に返事をするし、何を言っても怒りだす。

たった数分前、保育園を出ようとした息子が、お友達に意地悪されるのを見た。
ふたりは何か言い合っていたけれど、内容までは聞き取れない。
わたしはそれをすこし離れた場所で、黙って見ていた。

わたしは息子とお友達との姿を見ていたことを、息子に話さなかった。
息子も何も言わないので、さっきのことは話したくないのだろうと思い、わたしから何かを聞き出そうとすることもしなかった。

だけど、息子はいつまでたっても不機嫌のまま。
お互いモヤモヤした気持ちのまま、帰り着く。

帰宅してからも息子の機嫌はわるい。
玄関に座り込んで「あっちに行って!」と怒ったり、持ち帰った靴袋を投げるようにして片付ける。

いやな気持ちを、ちっともひとりで抱え切れていない。

わたしにも経験があるから、よくわかる。こどもだった、経験。
いやなことがあっても、両親には言いたくないと思っていた。両親を困らせるからとか、悲しませるからとか、そんなのは小学生くらいになって思い込むようになった「後付け」の理由で、ただ単純に、いやなことを思い出したくないとか、そんな話をするのは恥ずかしいとか、いわば「自己防衛」のようなものだったと思う。

こどもだった頃の自分のことを思い出しながら、まだへそを曲げている息子に言う。

「息子がどうして怒っているのか、お母さんは知りたい。息子の楽しいお話も好きだけれど、そうじゃないお話もお母さんは知りたい。お父さんにも、保育士さんにも言わないよ。お母さんと息子だけの秘密にしよう。お母さんにだけ、教えて」

息子はポロポロと涙を流す。

「お友達に、意地悪されたんだよ」

わたしはそのちいさなからだを抱きしめて、いやだったね、悲しかったねと言う。
息子は黙ってうなずく。

「いやなことを思い出させてごめんね。だけど話してくれてうれしかったよ、ありがとう」

息子はまだあふれてくる涙をぬぐいながら、コクコクとうなずく。

「保育園に行っていると、いろんなお友達がいて、楽しいこともあれば、喧嘩をしたり、いやなことをされることもあるよね。息子がそれで悲しい気持ちになったときはお母さんやお父さんに、秘密でいいから教えてほしいよ。いつもすぐに何かをしてあげられるわけじゃないけど、こうやって、ぎゅってしてあげられるからね」

わたしの腕の中で息子はちいさく「わかった」と言った。

自分のやっていることはただの自己満足かもしれない。息子がきっと忘れてしまいたいと思っていることを、わざわざ話させてしまった。わたしは息子のすべてを知りたいと思うし、彼のこころをすこしでも癒したいと思うけれど、息子は自分のすべてを知ってほしいなんて考えていないだろうし、わたしに何かを求めているわけではないかもしれない。

だけど、彼の喜怒哀楽は、わたしにとってはどれも等しく大切だ。
いいこともわるいことも、起こる人生。彼のそのどの瞬間にも、同じように向き合いたい。

夜、息子を寝かしつけたあと、夫に話した。

「息子とは、息子とわたしだけの秘密ねって話したんだけど…」

そう言いかけると、夫が言った。

「ああ、お友達に意地悪されたって話ね」

「聞いたの?」

「さっき話してくれたよ。これはお父さんと息子くんの秘密ねって。でもお母さんにも秘密ねって言ったんだけどねって」

あんニャロー!!とんだ八方美人じゃねーか!!

だけど、それを聞いてすこし安心した。
息子は息子なりに、うまくひと付き合いしているように思う。わたしの前では感情的になって怒ったり泣いたりもするし、夫の前では飄々と秘密を暴露したりする。

親が考えている以上に、親のできることなんてすくなくて、こどもは自分の世界で成長していくのかもしれない。


「いやな気持ちも話してほしいって伝えたんだけど、話したくないこともあって当たり前だと思うんだよね。これって正解だったかな?」

そう言うと、夫は言った。

「正解か不正解かなんてわからないし、子育てにそんなものないと思うけどさ。おれは、素敵だなって思うよ。だからいいんじゃない?」

息子の言葉、夫の言葉、わたしの言葉。
わたしたちはこのちいさな家のなかで、それぞれの言葉に支えられたり、傷つけられたりしながら生きていく。お互いを信じ合って、いっしょに喜んだり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだり。

これからも、ずっとそうだといいな。

ずっと、ずっと。

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