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幸田露伴の小説「蘆声」

 今から三十余年も前の事であった。
 今において回顧すれば、その頃の自分は十二分の幸福というほどではないが、少なくとも安康の生活に浸って、朝夕を心にかかる雲もなく清々しく送っていたのであった。
    心身ともに生気に充ちていたのであったから、毎日毎日の朝を、まだ薄靄(うすもや)が村の田の面や畔の樹の梢を籠めている朝早くに起き出して、そして九時か九時半かという頃までには、もう一家の生活を支えるための仕事は終えてしまって、それから後はおちついた寛やかな気分で、読書や研究に従事し、あるいは訪問客に接して談論したり、午後の疲れた時分には、そこらを散策したりしたものであった。
 川添いの地にいたので、何時となく釣りの趣味を覚えた。何時でも覚えたてというものは、それに心の惹かれることが強いものである。丁度その頃は、一竿を手にして長流に対する味を覚えてから一年かそこらであったので、毎日のように中川べりへ出かけた。中川沿岸は今でこそ各種の工場の煙突や建物なども見え、人の往来も繁く人家も多くなっているが、その時分は隅田川沿いの寺島や隅田の地でさえそれほど賑やかではなくて、長閑(のどか)な別荘地的な光景を存していたのだから、まして中川沿い、しかも平井橋から上の奥戸・立石などと云う辺りはまことに閑寂なもので、水ただ緩やかに流れ、雲ただ静かに屯(たむろ)しているのみで、黄茅白蘆の中洲に時々水鳥の影を看るに過ぎない、というようなことであった。釣りも釣りでおもしろいが、自分はその平野の中の緩い流れの附近の、平凡といえば平凡だが、何ら特異なことのない和易安閑とした景色を好もしく感じて、そうした自然に抱かれて幾時間を過すのを、東京のガヤガヤした綺羅びやかな境界に神経を消耗させながら享受する歓楽などよりも、遥かに嬉しいことと思っていた。そしてまた実際に、そういう中川べりに遊行したり寝転んだりして魚を釣ったり、魚の来ない時は拙い詞の一句半句でも釣り得てから帰って、美しい甘い軽微の疲労から誘われる淡い清らな夢に入ることが、翌朝のすがすがしい眼覚めといきいきした力とになることを、自然と言わず語らずに悟らされていた。
 丁度秋の彼岸の少し前頃のことだと覚えている。その時分毎日のように午後の二時半頃から家を出ては、中川べりの西袋と云うところへ遊びに出かけた。西袋も今はその辺りに肥料会社などの建物が見えるようになり、川の流れの状況も土地の様子も大いに変化したが、その頃は辺りに何があるのでもない江戸側の一曲湾なのであった。中川は四十九曲りといわれるほど蜿蜒と屈曲して流れる川で、西袋は丁度西の方、即ち江戸の方面へ屈曲し込んで、それからまた東の方へ転じながら南へ行くところで、西へ入って袋のようになっているから西袋という名称も生じたのであろう。水は湾々と曲り込んで、そして転折して流れ去る、あたかも開いた扇の左右の親骨を川の流れと見れば、その蟹目のところが即ち西袋である。それで、そこは釣糸の垂れ難い地ではあるが、自然と魚の立廻ることの多い岡釣りの好適地である。またその堤防の草原に腰を下して視線を放てば、上流からの水は我に向って来、下流の水は我から出るように見えて、心地の好い眺めである。で、自分はそこの水際に蹲って釣ったり、そこの堤上に寝転がって、たまたま得た何かを雑記帳に一行二行記し付けたりして毎日を楽んだ。特にその数日というものは、そこで好い漁をしたので、家を出る時には既に西袋の景色を思い浮かべ、路を行く時には早くも雲影水光の我が前にあるような心地さえしたのであった。
 その日も午前から午後へかけて少し頭の疲れる難読の書を読んだ後であった。その書を机上に閉じてしまって、半杯の番茶を飲み終えてから、
「また行ってくるよ。」
と家内に一言して、餌桶(えおけ)と網魚籠(びく)とを持って、鍔広(つばびろ)の大麦藁帽を引冠り、腰に手拭、懐(ふところ)に手帳、素足に薄くなった薩摩下駄、まだ低くならない日の光がギラギラする中を、黄金色に輝く稲田を渡る風に吹かれながら、少し暑いとは感じつつも爽やかな気分で歩き出した。
 川近くなって、田舎道の辻にある腰掛茶店に立寄った。それは藤の棚の茶店といって、自然にそこにある古い藤の棚、と云ってもそれほど大きくもないが、それに店の半分は掩われているので人々にそう呼びならされている茶店である。路行く人や農夫や行商や、野菜の荷を東京へ出した帰りの空車を引いた男などがちょっと休む家で、いわゆる三文菓子が少しに、余り渋くもない茶よりほか何を提供するのでもないが、重宝になっている家なのだ。自分も釣の往復に立寄って顔馴染になっていたので、岡釣りに用いる竿の継竿とはいえ三間半もあって長いのを、その都度携えて往復するのは好ましくないから、この家に頼んで預けて置くことにしてあった。で今、行き掛けに例のようにこの家に寄って、
「やあ、こんにちは、また来ました。」
と挨拶して、裏へ廻って自分で竿を取出して玉網と共に引担いで来ると、茶店の婆さんは、
「お楽しみなさいまし。好いのが出ましたら少し御福分けをなすって下さいまし。」
と笑って世辞を言ってくれた。その言葉を背中に聴かせながら、
「ああ、宜いとも。だがまだボク釣師だからね、ハハハ。」
と答えてサッサと歩くと、
「でもアテにして待ってますよ、ハハハ。」
と背後から大きな声で、なかなか調子が好い。世故に慣れているというまででなくても、善良な老人は人に好い感じを持たせる、こう言われて悪い気はしない。駄馬にも篠の鞭と云うもので、少しは心に勇みを添えられる。もちろん未熟者と云う意味のボク釣師と自分から言ったのは謙遜で、内心で下手釣師と自分から信じている釣客はないのであるし、自分もこの二日ばかりは不結果だったが、今日は好い結果を得たいと念じていたのである。
 場所へ着いた。と見ると、いつも自分の座るところに小さな児がチャンと座っていた。汚れた手拭で頬冠りをして、大人のような藍の細かい縞物の筒袖単衣の裙(すそ)短かの汚れかえっているのを着て、細い渋紙色の手足を貧相にムキ出しにして、見すぼらしく蹲(しゃが)んでいるのであった。東京者ではない、田舎の此の辺の、しかも余りよい家でない家の児であると、一目で思い取られた。髪の毛が伸び過ぎて領首がむさくなっているのが手拭の下から見えて、そこへ日がジリジリ当っているので、細い首筋の赤黒いところに汗が湧き出てでもいるように汚らしく少し光っていた。傍へ寄ったらプンと臭そうに思えたのである。
 自分は自分のシカケを取出して、穂竿の蛇口に着け、釣竿を順につないで釣る準備をした。シカケとは竿以外の釣糸その他の一具を呼称する釣客の言葉である。その間にチョイチョイ少年の方を見た。十二・三歳かと思われたが、顔がヒネてマセて見えるのでそう思うのだが、実は十一か高々十二歳位かとも思われた。黙ってその児は真剣になってウキを見詰めて釣っている。潮は今ソコリになっていてこれから引返そうというところであるから、水も動かずウキも流れないが、見るとそのウキも売物のウキではない、木の箸か何かで明らかに少年の手わざで、釣糸に徳利結びにしたものに過ぎなかった。竿も二間ばかりしかなくて、誰かの用済みの竿を貰ったか何かしたのであろうか、穂先が穂先になってない、思うに頭が三・四寸折れてなくなって仕舞ったものであろう。
 この児は釣りに慣れていない。第一此処はウキ釣りに適していない場所である。やがて潮が動き出せばウキは錘(おもり)が重ければ水に撓って流れ沈んで仕舞うし、ウキが軽ければ水と共に流れて仕舞うであろう。また二間ばかりの竿では、ここでは鉤(はり)先が好い魚の廻ぐるところに達しない。岸近くに寄るホソの小魚しか鉤には来ないだろうと思ったが、それは小児の釣りなので、あれこれ言うにも及ばないことであると見過すべきなのでよいが、自分に取って困ったことはその児の居場所であった。それは自分が座りたい処である。イヤ座らなければならないところである、イヤ当然座るべきところである、ということであった。
 自分が餌を鉤に装いつけた時であった。偶然に少年は自分の方に顔を向けた。そして紅桃色をしたイトメという虫を五匹や六匹ではなく沢山、鉤に装うところを見詰めていた。その顔はただ注意したというほかに何の表情があるのではなかった。しかし思いのほかに目鼻立ちの整った、そして怜悧だか気象が好いかどうか分らないが、ただ阿呆げてはいない、狡いか善良かどうかは分らないが、ただ無茶ではない、ということだけは読み取れた。
 少し気の毒なような感じがしないではなかったが、これが少年でなくて大人であったなら疾(とっ)くに自分は言出すはずのことだったから、仕方がないと自分に決めて、
「兄さん、済まないけれどもネ、お前の座っているところを、右へでも左へでもよいから、一間半か二間ばかり退(ど)いておくれでないか。そこは私が座るつもりにしてあるところだから。」
と、自分では出来るだけ言葉を柔やさしくして言ったのであった。
 すると少年の顔に、明らかに反抗の色が上った。言葉は何も出さなかったが、眼の中には威をあらわした。言葉が発されたなら明らかにそれは拒絶の言葉でなくて、何の言葉がその眼の中の或る物に伴なうだろうか、と感じられた。仕方がないから自分は自分の意を徹すために再び言葉を費さざるを得なかった。
「兄さん、失敬なことを言う勝手な奴だと怒ってくれないでおくれ。お前の竿の先の見当の真直ぐなところを御覧。そら、あすこに古い「出し杭」が列んで乱杭になっているだろう。その中の一本の杭の横に大きな南京釘が打ってあるのが見えるだろう。あの釘は私が打ったのだよ。あすこへ釘を打って、それへ竿をもたせるとよいと考えたので、私が家から釘と金槌を持って来て、わざわざ舟を借りてあすこへ行って、そして考え定めたところへあの釘を打ったのだよ。それから此処へ来る度にわたしはあの釘へ私の竿を掛けてあの乱杭の外へ鉤を出して釣るのだよ。で、また私は釣れた日でも釣れない日でも、帰る時にはきっと何時でも、持って来た餌を土と一つに捏(こ)ね丸めて団子にして、そしてあすこを狙って二つも三つも抛り込んでは帰るのだよ。それは水の流れの上ゲ下ゲに連れて、その土が解け、餌が出る、それを魚が覚えて、そして自然に魚を其処へ廻って来させようというためなのだよ。だからこういう事をお前に知らせるのは私に取って得なことではないけれども、わたしがそれだけの事をあすこに対してしてあるのだから、それが分かった私に其処を譲ってくれてもよいだろう。お前の竿では其処に座っていても別に甲斐があるものでもないし、かえって二間ばかり左へ寄って、それ、其処に小さい渦が出来ているあの渦の下端を釣った方が得がありそうに思うよ。どうだネ、兄さん、私はお前を欺すのでも強いるのでもないのだよ。たってお前が其処をどかないというのなら、それも仕方はないがネ、そんな意地悪にしなくても好いだろう、根が遊びだからネ。」
と言って聴かせているうちに、少年の眼の中は段々と平和になって来た。しかし最後に自分は明らかにまた新らたに失敗した。少年は急に不機嫌になった。
「おじさんが遊びだといって、俺が遊びだとは定まってやしない。」
と癇(しゃく)に触ったらしく投付けるように言った。なるほどこれは悪意で言ったのではなかったが、自分を以て人を律するというもので、自分が遊びでも人も遊びと定まっている道理はないのであった。理性を失っていない自分は、一本打込まれたと是認しない訳には行かなかった。が、この不完全な設備と不満足な知識で川に臨んでいる少年の振舞いが遊びでなくてそもそも何であろう。と驚くと同時に、遊びではないといっても遊びにもなっていないような事をしていながら、遊びではないと高飛車に出た少年の、その無智無思慮を自省しない点を憫笑する心が起るのと殆んど同時に、少年にこのような言葉を突嗟に言わせたのは、この少年の鋭い性質からか、或いはまた或る事情が存在してそうさせるものが有ってなのか、と驚かされた。
 この驚愕は自分を当面の釣場の事よりは自分を自分の心中に起った事に引付けたから、自分は少年との応酬を忘れて、少年への観察を敢てするに至った。
「参った。そりゃそうだった。何もお前、遊びとは定(き)まっていなかったが……」
と、ただ無意識に正直な挨拶をしながら、自分はジッと少年を見詰めていた。その間に少年は自分が見詰められているのも何にも気が付かないのであろう、別に何らの言葉も表情もなく、自分の竿を挙げ、自分の座をわたしに譲り、そして教えてやった場所に立って、その鉤を下ろした。
「ヤ、有難う。」
と自分は挨拶して、乱杭のむこうに鉤を投じ、自分の竿を自分の打った釘に載せて、静かに竿頭を眺めた。
 少年も黙っている。自分も黙っている。日の光は背中に熱いが、川風は帽子の下にそよ吹く。堤後の樹下に鳴いているのだろう、秋蝉の声がしおらしく聞えて来た。
 潮は次第に動いて来た。魚はまさに来ようとするのであるが未だ来ない。川向うの蘆洲からバン鴨が立って低く飛んだ。
 少年はと見ると、干潮とは異って来た水の調子の変化に、小さな板錘と折箸のウキとではうまく安定が取れないので、時々竿を挙げては鉤を打返している。それは座を代えた為ではないのであるが、そう思っていられると思うと不快で仕方がない。で、自分は声を掛けた。
「兄さん、此処は潮の突掛けて来るところだからネ、ウキ釣りではうまく行かないよ。錘釣りにおしよ。」
「ウキ釣りでは釣れないかい。」
「釣れないとは限らないが、も少し潮が利いて来たら餌がフラフラし過ぎるし、釣りづらくて仕方がないだろう。」
「今でも釣りづらいよ。」
「そうだろう。錘を持っていないなら、此処へおいで。錘もあげようし、シカケも直してあげよう。」
「錘をくれる?」
「ああ。」
自分の気持も坦夷(たんい)で、決して親切でないものではなかった。それが少年に感知されたからであろう、少年も平和で、そして感謝に充ちた安らかな顔をして、竿を挙げてこちらへやって来た。はじめてこの時少年の面貌風采の全体を目にして見ると、先刻からこの少年に対して自分の抱いていた感想は全く誤っていて、この少年もまた他の同じ位の年齢の児童と同様に真率で温和で少年らしい愛らしい無邪気な感情の所有者であり、そしてその上に聡明さのあることが感受された。その眼は清らかに澄み、その顔は明らかに晴れていた。自分は小袋から錘を出して与え、かつそのシカケを改めて遣ろうとした。ところが少年は、
「いいよ、僕、出来るから。」
といって、自分でシカケを直した。一ト通りの錘釣りの装置の仕方ぐらいは知っているのであったが、錘がなかったためにウキ釣りをしていたのであったことが知られた。
 少年の用いていた餌は思うに自分で掘取ったらしいミミズであったから、いささかその不利なことが気の毒に感じられた。で、自分の餌桶を指し示して、
「この餌を御使いよ、それでは魚の中(あた)りが遠いだろうから。」
少年は遠慮した様子をちょっと見せたが、それでも餌の事も知っていたと見えて、嬉しそうな顔になって餌を改めた。が、僅かに一匹の虫を鉤に付けたに過ぎなかったから、
「もっとお付け、魚は餌で釣るのだからネ。」
少年はまた二匹ばかり着け足した。
「今まで何処どこで釣っていたのだい、此処は浮子釣りなんぞでは巧く行かない場所だよ。」
「今までは奥戸の池で釣ってたよ、昨日も一昨日も。」
「釣れたかい。」
「ああ、鮒が七・八匹。」
奥戸というのは対岸で、なるほどそこにはウキ釣りに適した池があることを自分も知っていた。しかし今時分の鮒を釣っても、それが釣りという遊びのためでなくって何の意味を為そう。桜の花頃から菊の花過ぎまでの間の鮒は全く仕方のないものである。自分には合点が行かなかったから、
「遊びじゃないように先刻(さっき)お言いだったが、今の鮒なんか何にもなりはしない、やっぱり遊びじゃないか。」
というと、少年は急に悲しそうな顔をして気色(けしき)を曇らせたが、
「でも僕には鮒のほかのものは釣れそうに思えなかったからネ。お相撲さんの舟に無銭(ただ)で乗せてもらって往き還えりしてあすこで釣ったのだよ。」
無銭で乗せてもらっての一語は偶然にその実際を語ったのだろうが、自分の耳に立って聞えた。お相撲さんというのは、当時奥戸の渡し守をしていた相撲上りの男であったのである。少年の話の中には裏面に何か存していることが明白に知られた。
「そうかい。そしてまた今日はどうして此処へ来たのだい。」
「だってせっかく釣って帰っても、今おじさんの言った通りにネ、昨日は、こんな鮒なんか不味くて仕様がないも少し気の利いた魚でも釣って来いって叱られたのだもの。」
「誰に。」
「おっかさんに。」
「じゃおっかさんに言い付けられて釣に出ているのかい。」
「アア。下らなく遊んでいるより魚でも釣って来いッてネ。僕下らなく遊んでいたんじゃない、学校の復習や宿題なんかしていたんだけれど。」
ここに至って合点が出来た。油然として同情心が現前の川の潮のように突掛けて来た。
「ムムウ。ほんとのおっかさんじゃないネ。」
少年はびっくりして眼を見張って自分の顔を見た。が、急に無言になって、ポックリちょっと頭を下げて有難うという意を表したまま、竿を持って前の位置に帰った。丁度その時、自分の鉤に魚が中った。型の好いセイゴが上あがって来た。
 少年は羨ましそうに私の方を見た。
 続いてまた二尾、同じようなのが鉤に来た。少年は焦るような緊張した顔になって、羨ましげに、また少しは自分の鉤に何も来ないのを悲しむような心を蔽(おおい)いきれずに自分の方を見た。
 しばらく彼も我も無念になって竿先を見守ったが、魚のあたりはちょっと途断えた。
 ふと少年の方を見ると、少年はまじまじと私の方を見ていた。何か言いたいような風であったが、話の糸口を得ないというのらしい、ただ温和な親しみ寄りたいというような微笑を幽かに湛えて私と相見た。と同時に私は少年の竿先に魚の来たのを認めた。
「ソレ、お前の竿に何か来たよ。」
警告すると、少年は慌てて向き直ったが早いか敏捷に巧い具合に竿を上げた。かなり重い魚であったが、引上げるとそれは大きな鮒であった。小さいフゴにそれを入れて、川柳の細い枝を折取って跳出さないように押え蔽った少年は、その手を小草でふきながら私の方を見て、
「おじさん、また餌をくれる?」
と如何にも欲しそうに言った。
「アア、あげる。」
少年は竿を手にして私の傍へ来た。
「好い鮒だったネ。」
「よくっても鮒だから。せっかく此処へ来たんだけれどもネエ。」
と失望した口ぶりには、よくよく鮒を得たくない心で胸がイッパイになっているのを現わしていた。
「どうもお前の竿では、わんどの内側しか釣れないのだから。」
と慰めてやった。わんどとは水の湾曲した半円形をいうのだ。が、かえってそれは少年に慰めにはならないで、決定的に失望を与えたことになったのを気づいた途端に、私の竿先は強く動いた。自分はもう少年には構っていられなくなった。竿を手にして、一心に魚のシメ込みを窺った。魚は型通りにやがて喰いしめた。こっちは合せた。むこうは抵抗した。竿は月のようになった。釣糸は鉄線のようになった。水面に小波は立った。次いでまた水の綾が乱れた。しかし終に魚は狂い疲れた。その白い平を見せる段になってとうとうこっちへ引寄せられた。その時私の後にあって玉網を何時しか手にしていた少年は機敏に突とその魚を掬(すく)った。
 魚は言うほどもないフッコであったが、秋下りのことであるし、育ちの好いのであったから、二人の膳に上すに充分足りるものであった。少年は今はもう羨みの色よりも、ただ少年らしい無邪気の喜色に溢れて、頬を染め目を輝かして、いかにも男の児らしい美しさを現わしていた。
 それから続いて自分は二尾のセイゴを得たが、少年は遂に何も得なかった。
 時は経たった。日は堤の陰に落ちた。自分は帰り支度にかかって、シカケを収め、竿を収めはじめた。
 少年はそれを見ると、
「おじさんもう帰るの?」
と私に力ない声を掛けたが、その顔は暗かった。
「アア、もう帰るよ。まだ釣れるかも知れないが、そんなに慾張っても仕方はないし、潮も好いところを過ぎたからネ。」
と自分は答えたが、まだ余っている餌を、いつもなら土に和(あ)えて投げ込むのだけれど、今日はこの児に遺そうかと思って、
「餌が余っているが、あげようか。」
といった。少年は黙って立ってこちらへ来た。しかし彼は餌を盛るべき何物をも持っていなかった。彼は古新聞紙の一片に自分の餌を包んで来たのであったから。差当って彼も少年らしい当惑の色を浮べたが、私にも好い思案はなかった。イトメは水を保つに足るものの中に入れて置かなければ面白くないのである。
「やっぱりおじさんがさっき話したようにした方がよい。明日またおじさんに遇ったら、おじさんその時に少しおくれ。」
といって残り惜しそうに餌を見た彼の素直な、そして賢い態度と分別は、少なからずわたしを感動させた。よしんば餌入れがなくて餌を保てないにしても、差当り使うだけ使って、そこらに捨てて仕舞いそうなものである。それが少年らしい当然な態度でありそうなものなのである。
「お前も今日はもう帰るのかい。」
「アア、夕方のいろんな用をしなくてはいけないもの。」
夕方の家事雑役をするということは、先刻の遊びに釣をするのでないという言葉に反映し合って、自分の心を動かした。
「ほんとのおっかさんでないのだネ。明日の米を磨いだり、晩の掃除をしたりするのだネ。」
彼はまた黙った。
「今日も鮒を一尾ばかり持って帰ったら叱られやしないかネ。」
彼は暗然とした顔になったが、やはり黙っていた。その黙っているところがかえって自分の胸の中に強い衝動を与えた。
「おとっさんはいるのかい。」
「ウン、いるよ。」
「何をしているのだい。」
「毎日亀有の方へ通って仕事している。」
土工かあるいはそれに類した事をしているものと想像された。
「お前のおっかさんは亡くなったのだネ。」
ここに至ってわが手は彼の痛処に触れたのである。なお黙ってはいたが、コックリと点頭して是認した彼の眼の中には露が潤んで、折から真赤に夕焼けした空の光りがはなばなしく明るく落ちて、その薄汚い頬被りの手拭、その下から少し洩れている額のぼうぼう生えの髪さき、垢じみた赭い顔、それらのすべてを無残に暴露した。
「おっかさんは何時いつ亡くなったのだい。」
「去年。」
といった時には、その赭い頬に涙の玉が稲葉をすべる露のようにポロリと滾転(こんてん)し下っていた。
「今のおっかさんはお前をいじめるのだナ。」
「ナーニ、俺が馬鹿なんだ。」
見た訳ではないが状態は推察出来る。それなのに、ナーニ、俺が馬鹿なんだ、というこの一語でもって自分の問に答えたこの児の気の動き方というものは、何という美しさであろう、我れ恥かしい事だと、愕然として自分は大いに驚いて、大鉄鎚で打たれたような気がした。釣の座を譲れといって、自分がその訳を話した時に、その訳がすらりと呑み込めて、素直に座を譲ってくれたのも、こういう児であったればこそと先刻の事を反顧(はんこ)しない訳にゆかなくもなり、また残り餌を川に投げる方がよいといったこの児の言葉も思合わされて、田野の間にもこういう性質の美を持って生れる者もあるものかと思うと、無限の感が湧起しないではおられなかった。
 自分はもう深入りしてこの児の家の事情を問うことを差控えるのが当然の礼儀であると思った。
「では兄さん、この残り餌を土で丸めておくれでないか、なるべく固く丸めるのだよ、そうしておくれ。そうしておくれなら、わたしが釣った魚をすっかりでも幾らでもお前のよいだけお前にあげる。そしてお前がおっかさんに機嫌を悪くされないように。そうしたらわたしは大へん嬉しいのだから。」
自分は自分の思うようにすることが出来た。少年は餌の土団子をこしらえてくれた。自分はそれを投げた。少年は自分の釣った魚の中からセイゴ二尾を取って、自分に対して言葉は少ないが感謝の意を深く謝した。
 二人とも土堤へ上った。少年は土堤を川上の方へ、自分は土堤の西の方へと下りる訳だ。別れの言葉が交された時には日は既に収まって、夕風が袂(たもと)に涼しく吹いて来た。少年は川上へ堤上を辿って行った。暮色は次第に迫った。肩にした竿、手にしたフゴ、筒袖の裾短な頬冠り姿の小さな影は、長い土堤の小草の路のあなたに段々と小さくなって、トボトボと行くその様。自分は暫く立って見送っていると、彼もまたふと振返ってこちらを見た。自分を見て、ちょっと首を低くして挨拶したが、その眉目は既に分明には見えなかった。五位鷺がギャアと夕空を鳴いて過ぎた。
 その翌日も翌々日も自分は同じ西袋へ出かけた。しかしどうした事かその少年に再び会うことはなかった。
 西袋の釣りはその年限りでやめた。が、今でも時々その日その場の情景を想い出す。そして現社会の何処かにその少年が既に立派な、社会に対しての理解ある紳士となって存在しているように想えてならないのである。
(昭和三年十月) 

訳者あとがき

 「ナーニ、俺が馬鹿なんだ。」と云う少年の言葉は美しい。孔子は「君子は諸(これ)を己(おのれ)に求む」と言われましたが、少年にして既に大丈夫の気概を持つ。露伴先生の感動は大きかった。以来三十余年感動は消えず、好短編となって世に遺されました。
       


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