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幸田露伴の小説「道を尋ねて」

道を尋ねて

 善財童子が法を求めて諸国を修業しました時、妙門城のある河の河原で砂を集めて遊んでいた根自在童子というのに逢い道を尋ねました。この童子は数学に優れた者でしたが、善財にむかって、「これより南方に海別住という城があって、そこに弁具足という貴女がいる。その人にあって教えを受ければ利益が有るだろう」と教えてくれましたので、弁具足道女を尋ねると人々は直ぐに教えてくれました。やがてその家を尋ね当てて見ますと、立派な邸宅で、美しい土塀で四方を囲い、四面に皆それぞれ立派な門がありました。善財童子は慇懃に来意を通じて教えを受けることを乞いますと、案内されてその人に逢うことが出来ました。
 見ると弁具足道女は若く美しい気高い人で、華やかな飾りなどは一切身につけず、涼し気な清らかな服を着けて、髪も自然に任せて垂れて居りましたが、自然な容子の勝れた有様は、人をして敬重し愛慕するに足るものがありました。家の中は驚くほど広大で、端麗清楚で、数多くの人を入れて余りあるものでしたが、世俗の豪邸で見るような装飾や衣服飲食その他の煩わしいものは一切見えませんでした。ただ一つの小さな器(うつわ)が道女の前に置かれてありました。沢山の童女が道女に仕えておりましたが、何れも挙止は淑やかで、声も和らいで、慎ましやかに且つ温かな情を抱いているのが明らかに分かりました。道女の身からは自然の気のようなものが溢れ出ていて、これに接すると自然と身も心もやわらいで、瞋りの心も無くなり、怨みの心、慳貪の心、偽りの心、険しい心、下劣な心、高慢な心、ひがみの心、執着の心なども無くなり、平等の心や慈悲の心や律義な心が我が心に留まるようになる程でした。
 そこで善財童子は丁重に敬礼しまして、「願わくは貴女の得給えるところを教え示して給われ」と申しました。道女は率直にしかもゆったりと、「我は菩薩の無尽の福徳荘厳蔵解脱門を得て、能くこの小さな器の中から諸々の衆生の欲するところに随って、種々の甘美宜しき飲食を出し、その色合い、香気、味、さわり、悉く満ち足らしめるのである」と申しました。そしてまた道女は言葉をついで、我がこの器より出す飲食は、何百人何千人何万人の、十方一切の世界の衆生に対して、各々その欲するところに随って飢えを除き去り、身心を安楽にして、知恵を増長させる。そして、その飲食は極まり尽きるということ無く、減るということも無く、それのみならず飲食以外の種々の物をもこの小さな器から出して、怨親・貴賤・貧富の別無く、あらゆる人々の求めるままに与え満足させる。あらゆる世界の善道を修める者には皆我が食を提供する。人々は我が食を食し終わって善道を成就する。菩薩にも仏陀にも我は必ず我が食を提供する。さて菩薩も仏も皆我が食をきこし終わって、最も優れた道場にて魔軍を降伏し正覚を成し遂げられるのである。見給え、我が家の十千の童女眷属の数は量り知ることが出来ないほど多く、皆我と同類の修行を行い同一の願いを抱き、一念の間に於ても隈なく十方に至って一切の修善求道の人を成就し、又は悪を行って堕落し苦境に沈淪する者をも供養して満足させることを敢えてしている。しかも、我がこの器の中は減ること無く、まして尽きるということも無い。今から目前にてこれを見給え」と云いました。
 果たして驚くほど多数の人が四つの門から入って来ました。道女はいろいろこれに飲食を与えて諸々の人を喜ばせました。そして成程、その器の中から出るものは乏しくなることも無く、尽きるようすもありませんでした。道女は布施を為し終えて、善財に告げて、「我はただこのような事を知っているのみである。なお南方に行って大有城の長者を尋ねて教えを受け給え」と申しましたから、善財童子は非常に感動して、その恩を謝し丁重に敬礼をして弁具足の許を辞しました。無盡福徳のことを思惟し観察して、大いに得るところが有ったと申すことです。
 この無盡福徳蔵解脱門の修行を行い大願を同じくしている者は、十方世界の善道には勿論のこと悪趣にも充ち満ちている。上は仏菩薩から下は一切の衆生餓鬼をも供養しているとあるのですから、非常に多種多様な思惟観察が下せます。瞿曇(くどん・釈迦の俗名)が断食苦行の暁に、殆ど死のうとする時に牛酪を供養して道を成す助けをした一少女も、やはり弁具足道女の一類でありましょう。また今日(こんにち)様々な愚かなことや迷える心から悲しい罪を犯して刑務所に呻吟している者に慰藉の差し入れ物などをしている人達もやはり弁具足道女の同行者で無いとは申されません。そしてその小さな器は、成程小さな器でしょうが、無盡福徳蔵でありましょう。余り多く説くよりも、この話は人々が咀嚼して玩味される方が宜しかろうと思います。
(大正六年三月)

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