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夢叶う、奏でる。

熱闘続く甲子園、我が母校・仙台育英が決勝進出しました!
決勝進出は過去2回ありますが、どちらも準優勝。
今年こそ優勝してほしいです!

さて、私の甲子園の思い出を語ろうと思います。

私は在校中、2回甲子園に応援に行くことができました。
1年生のときに3回戦敗退、2年生のときは2回戦敗退でした。

在校当時、国語の先生が女性で初めての野球部部長になられたので、「明日試合なので、自習になります」ということがよくありました。

私は野球の応援をしたいがために育英を受験しました。
仙台の公立高校は当時男女別学で、女子校に行きたくなかったのもありました。
公立の受験をすすめる先生や両親には「一女(いちじょ、宮城県第一女子高校)じゃ甲子園に行けません!」と何度も言いました。
入試の成績が良く「授業料免除するので育英に来ませんか?」とのお誘いをいただいたので、両親や先生を説得して育英に入学するのを許してもらいました。

入学前から吹奏楽部に入ることも決めていて、入試のときに提出する作文で「吹奏楽部に入って、自分の楽器を持って甲子園に行きたいです」と書いたことを今でも覚えています。

甲子園へは仙台からバスで。
片道15時間くらいかかったと思います。
一般生徒が男女別のバスで赴く中、吹奏楽部は男女仲良く1台のバスで行きました。
バスの中では寝そうな先輩を見つけては、応援歌を歌って寝かせないようにしてました。

「甲子園に着いてからの朝のお弁当は美味しくない」と先輩に言われていたので、吹田のサービスエリアでカレーうどん(朝から!)を美味しくいただきました。

2回戦に勝つと宿泊となり、負けるまで仙台には帰れません。
宿舎で洗濯をし、食事はいつも鍋物。
吹奏楽部の先輩と同席になったクラスの友達が、ありったけの具材を鍋に放り込まれて席を立たれたこともありました。
試合のない日に清水寺・薬師寺・奈良の大仏・平等院を訪れたりもしましたね。

道中、「新しい応援歌を演ってほしい」と野球部の人が吹奏楽部のバスに乗り込んできたこともありました。
吹奏楽で一番小さい楽器・ピッコロの先輩が演奏して作って、なんとか試合に間に合いました。
ピッコロは譜面台より軽く、カバンに収まるミニサイズなのでバスの中でも吹くことができます。

私が一番好きな応援歌は「燃えろ!」という、初回と9回に演奏していた曲です。
「レミッミッミソーミソーミッ レミッミッミソーミソーミッ シーラーソー
♯ファー ミミミミミッ ミッミミミッ(ハイッ)!ドンドンドンドンドンドンドンドン……」と始まって、「(もえろ〜〜〜な・な・せ!)ドンドンッドドン ドンドンッドドン ドンドンッドドン ドンドンドンドン……」と、1番から9番の選手の名前を呼んで、最後に「(もえろ〜〜〜い・く・えい!)」で締めます。
他の高校が演っているのを見たことも聞いたこともないので、どうやら育英オリジナルだったようです。

第1試合の前の、自分たち以外誰もいない甲子園球場に入れたことも思い出深いです。
甲子園球場は凄く大きくて、試合が始まったら歓声がこだまするのが信じられないくらい静かでした。

今、在校生として甲子園で応援ができるって奇跡に近いんだなと改めて思います。
コロナが落ち着いたら、また応援に行きたいです!

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