見出し画像

未来小説  僕たちは捨てない戦士だ

〈オレの話〉

「おっ、その学生服なつかしいなあ。俺が中学の頃着ていたやつだろ。あの頃はみんな新しいの着て入学式に出るのがあたり前だったから、貧乏くさくて嫌だったけど、今思えば先を行ってたんだなあ、おれの母親は。」 入学式の朝、父は僕を眺めながらそう言った。貧乏くさい?そういう感覚が僕たちの生活をここまでダメにしたんだろう。2040年4月6日、僕は父のお下がりの学ランと姉の使っていた黒のリュックを背負って、中学校へと向かった。 入学式っていったって、目新しいものは何もない。学校の正面玄関に飾られた 祝 新入生の文字は薄茶けて、紙はヨレヨレに黄ばんでる。でもそんなことで何か変に思う奴なんてここにはいない。だってみんな新しいものなんて、ほとんど見ることはないのだから。 2030年、世界は生産という概念を慎重に扱うことになった。その10年前には当たり前に存在したデパートや家電店が瞬く間に消え、ネット上ではいくら規制しても新品と呼ばれるモノの値段に糸目もつけない消費者が買いあさり、そしてそれらが底をついたあたりから、流通されるものは全て中古品となった。食料だけは、必要な分のみ手に入るがその種類は限られ、生きていくのに必要なものに限られた。 持続可能性革命は、地球に住む人類の存続をかける大変な英断だったと当時のエコノミストたちは語るけど彼らが何を言ったって過去の罪は消せない。たった1世紀続いた大量生産大量消費のせいで、僕らは枯渇した資源をシェアしてシェアして、辛うじて生きながらえてる。
まあ、 でもそんなことはどうだっていい、僕が今一番気になるのは、今日の入学式でなるだけ多くの友達を獲得して、ネットコミュニティを作ること。僕は今、ほとんど家から出ない。いや僕だけじゃなくて、この地域のほとんどの人は家からあまり出ない。だから特別なこういう行事は、一生の中でそれほど多くない「知らない人と生で会う体験」になる。   

政治が大きく変わったのは僕が生まれた頃、ちょうど12年前。それまでのジイ様政治家がみんな死んで、そもそも無力な3世政治家は新しい波にいとも簡単に飲まれた。資本主義のメッキが剥がれ、世界に席巻した伝染病で医療経済が逼迫し、ゴミ処理代金の高額化が推し進めた捨てないムーブメントは、あまりも正当で、あまりにも合理的だった。

「捨てないこと」それはつまり買うのをとことん止めること。それがシンプルかつ世界中で可能なムーブメントだった。

単純に経済を回すためとは、とどのつまりゴミを出すこと。ゴミが出なくなったら、経済はほぼ回っていない。そんな資本主義経済。 大量生産 大量消費  海洋汚染  人体にまで入り込んだゴミがこの世界のシステムの過ちの象徴であり、「捨てない」は資本主義という根本的な地球のシステムエラーを解決する手立てとなった。

はじめに不買運動が起きたが、取捨選択がむずかしく、争いが絶えない。”捨てないこと“ が最も合理的な選択だった。”捨てない“ 生活にシフトする事は全てが自分の問題として返ってくる。世界中のゴミ屋敷がSNSでアップされ、私たちの暮らし方の誤りを世界中が認識していった。ある地域から始まったゴミ回収の高額有料化が広がり、いつのまにか当たり前に依存していた消費生活に、個々の工夫や我慢の情報交換が盛んに行われ、自然と助け合いのコミュニティがあちらこちらで生まれ、モノが必要な人に必要なだけ循環して届く様になった。

大量消費時代が終わるとほとんど全ての娯楽や教育はインターネットの仮想空間で代用し、環境を変化させることで十分満足が得られた。
自然災害で人間が住める地域は季節ごとに変化するのに合わせて、人の移動生活が始まった。災害時には、どこにでも逃げ込める。土地が個人の所有物ではなくなったから。こうして人が囲い込みをなくしていったのは、人類の必然だった。もう個人の資産を求めていけるほど、地球は寛容ではなくなってしまったから。

国家予算のほとんどをメンテナンスに使い、今あるものを使い回し、生産を最小限にとどめた。

2025年から加速化した自然災害で世界人口の2割が減り、世界全体が戦争どころじゃなくなったから軍事費は大幅削減、自衛隊は人命救助、そしてそれまでで無駄に生産された膨大な施設、設備は解体もしくは、再利用のために使われた。
核戦争で人類滅亡が当時の通説だったから、今の僕たちが存在するのは奇跡に近いのかもしれないけどもっと早く気づけよって僕は彼らに言ってやりたい。

まあこんな時代だから僕の学ランはかなりきてる。だって親父の入学式の時、すでに友達のお古だったんだから。
学校に入り、持って着た抗菌スリッパに履き替えると、入ってすぐの区画が僕のクラスだった。数人だけど、すでに人がいた。なんだ男ばっか。みんな少し緊張気味にこっちを見て、笑った。「こんちは」僕は最大限の社交性を発揮して挨拶した。てきとうな席に座って、まわりを見た。
真面目そう‥それが第一印象。みんななんか暗い感じ。でもなかなか会えない同世代。なんとかLINE交換はしたい。「みんなスマホ持ってる?」唐突だと思うけど、他に言いたいことが思い当たらない。隣のやつが「うん、交換する?」て言ってくれた。よかった。そしたらみんなスマホだして、すぐに全員のグループが出来た。「んじゃグループ名は一の一」僕が勝手に決めた。すると違う生徒が入って来た。ななんと女。ありがたい。しかもその子、まさにアイドルばりの笑顔で「ハロー」だって。多分80年物アイドルhakko系だ。やばい、横髪もクルンって外巻きだ。顔もめちゃくちゃ可愛い。
「何何ー、私も入れて〜❣️」すぐさま自分のプリクラがいっぱい貼ってある平成スマホ取り出して仲間入りした。「よろしくねー」
こうして待ちに待った入学式は、その後つまらない先生の挨拶と家庭での学習方法、コンテンツ紹介で終わり、それぞれ大人が監視する中、家へと帰った。

家に着くとすぐさまサイクルパワーマシンで自転車こぎだ。ある意味、これが僕に課せられた一番重要な仕事と言ってもいい。これで、僕が使う今日一日の電気の全てを賄ってる。しかも外出出来ない僕らは、この自転車で体力作りやストレス発散をしてしかもドローンを飛ばす電力も作れるから暇さえあればやってる。優良市民だ。そして隣の家の高齢世帯に配給されたお菓子なんかとこの蓄電ソケットを交換する。
おっ、早速グループLINEにメッセージが来た。ああ、最初に返事してくれたあいつだ。

「今日はお疲れ。今何してる?」
間髪入れずに返した。なるだけ生で話してる風に
「よっ、お疲れ!今サイクルやってるよ。お前は?」
「俺もだよ。この後、早速授業だよな。時間割見た?」
「まじ?まだ見てない。ちょっと見てみる。また後で」
「んじゃ」
こんな感じで、ちょこちょこやるのが、長続きの秘訣。義昌ならヨシって呼ぶかな。案外気が合いそうだな。
オンライン授業の時間割には、5時限目『自然と人類の関わり』 6限目『食糧危機』と書いてある。

僕らは、近い将来人類が生き残れるか否かの瀬戸際に立ち、この地球を生き抜くために先人が残したあらゆる知恵を、義務教育で無理矢理に託された世代だ。親父の世代までは基本科目は数英国社理だったけど、僕たちは小学校低学年でそれを終えて、高学年からはサバイバル野外生活とか救急看護とか、いざという日の準備に備えた。中学に入ると、専門分野に分かれIT、農業、建築、再利用、エネルギー利用、メンテナンス、ゼロカーボン機器開発、気候危機関連法規、貧困対策、医療、宗教、瞑想、ヨガ、心理などなど専門家の養成へと進んでいく。これは2023年から始まった気候変動教育(CCE)に基づいていおり、人間活動がもとで温室効果ガスが排出され、気候変動を引き起こしているということを事実として踏まえ、展開されている。

昔は自由だったと、よく親父はつぶやいていた。中高大と、受験だなんだと言っても、とりあえず与えられた勉強をひたすら解いてりゃそれで良かった。会社入ってからは、会社の業績を上げること、沢山給料稼いで、結婚して、子ども産んで家買って、車乗ってりゃ人生万々歳だった。お前達が可哀想だと嘆く。

そこで必ずどこまでもポジティブな環境アクティビストの母親が口を挟んでくる。
「あなた達は選ばれし戦士よ。あなた達が人類の行く末を全て決定するなんて、カッコいいじゃない。私らはそんな使命与えてもらえなかったから、つまらない人生を送るしかなかったのよ。」俺たちの気も知らないで。マイナス思考とプラス思考、どっちもなんだかムカつく。 俺らの生きる全ての目的は地球との共生であり、気候危機阻止だ。マイホームなんて欲しいとも思ったことがない。ただし、それがなんだと言いたい。

産まれて物心ついた時に、親が言った。「聡、お前は世界を救うヒーローよ。未来の人類が、本当の生活にたどりつくために、あなた達はここに生まれた。だから頑張るのよ。」
節の行事や、たまに配信される昔の映像番組。ドローン飛ばせば大抵の物は借りられる。だけど、基本、温暖化の脅威との戦いがいつも僕たちの頭にはある。いや、それだけじゃない、食糧難、水不足、伝染病‥数を挙げたらキリがない。僕たちは果てしなく広がる仮想空間を楽しみながら、厳しい現実に生きてる。
だけど、それが何だと言うのだろう。多過ぎる人口が減り、二酸化炭素排出はゼロに限りなく近づいている今、俺は新しい未来に大きな期待をしてる。俺らは限りなく自由だ。世界は新しい価値を見つけ続けて果てしなく広がる。

学校から配られた時間割。CCE中級レベル。小学校では昔の5教科がメインだが中学に上がると全教科がこれに関連していく。CCEなんて30年前にはなかった言葉だ。だけど、気候変動が徐々に問題視され始めた22年前、グレタトゥーンベリが14才の時に始めた学校ストライキが瞬く間に全世界に広がって、当時の人たちがようやく現実を見るようになったのは2025年。各国が法整備して教育に運用され始めたのが2030年。そう、地球温暖化が本格的に先進国の脅威になり始めた時期。もっと早く気づけよって思いたいけど、当時の権力者は年寄りばかりだったから、温暖化で死ぬのも寿命で死ぬのも一緒とばかりにあまり焦らなかった。ひたすら、核の脅威をあおり、原発やら、戦闘機に金を使って死んでった。ただ困ったゴミにしかならないそれらを大量に残したまま。


「おはよう」
突然、妹のカコが入って来た。あいつの起きる時間は4時と11時。お腹が空いて起きてくる。
「台所にお前のブランチあるから、先に食ってこいよ。」そう言ったのに、俺のお菓子を欲しがった。せっかく蓄電ソケットと引き換えに俺が手に入れたお菓子をそう易々とやれるか。「何と引き換えならくれる?」カコが聞いてくるので、「お前の飼ってるウズラ」って言ったら、「お兄ちゃんのバカ!」っ怒って出てった。
やっぱり俺は根っからの肉食男子、あのウズラが美味そうに見えてならならない。あいつだって産んだ卵は美味しい美味しいって、これ見よがしに食ってるくせに。


〈カコの話〉

カコはすごい。あいつは多分このまま行くと最優良市民として、特別な権限が持てるはず。生まれた時からそうだった。あいつは周りと何だか動きが違った。

今飼っているウズラも普通なら許されない。伝染病が発生したら、大変だからだ。でもカコは特別。自然をどこまでも理解できる頭脳を、ごく当たり前に持っている。だから何か異変があればすぐ勘付くし、対処も出来る。

カコが赤ちゃんの時、ほとんどの時間、水槽の金魚をじっと見ていた。金魚の動きがたまらなく好きだったんだな。人工的な映像は好まず、自然の生き物ばかりを追い、その生態をすぐさま理解した。そして今日もこれから愛するウズラのそばに行く。

カコは生まれた時から人とのコミュニケーションが独特だった。必要以外話さず、目を見ない。こだわりの強さ。一日中水槽を眺めていられる忍耐力?少なくとも俺には耐えられない…挙動を測り感情が動くリズムが水槽の魚の生態をかなりの確かさで理解出来ている分析力、そして心の充足度、さらに小食のカコはあまりエネルギーを必要としない。

俺みたいに学業成績よく、体力も愛想もいいっていう旧世代の生き残りは、まあ庶民中の庶民。

〈何でも屋のかっつんの話〉

「ピンポーン」

おっ、かっつんが来た。話は一時中断。

「かっつん、今行くー!」

「今日はこんな感じだけど、どーだろ?」

僕より10才も年上だけど、超フレンドリーなかっつんが持って来たのは、靴、書いてない所が結構あるノート、保湿クリーム‥

「マンガないかなあ。この前と変わんないなあ。あっでもこのはレコード欲しい。今何か持ってくる」

「作田さんとこが、フライパン欲しいって言ってたけど、ないかなあ?」

「じゃ、コレ出すか、かなり古いけど、まだ使える。」

「安さんとこで、手直しすればまだ充分使えそうだね。んじゃこれ、はい。」

「ありがとさん!後さ、水道のバルブ修理出来る人知ってる?そろそろ交換時期みたい」

かっつんは、俺らの地域で選任された何でも屋。彼の人の良さや、気配りを評価されて、この地区担当になった。俺らは今、地域の共同体ですべてのものが平等に分配され、必要なところに必要なものがいくよう、工夫して生活している。

捨てないムーブメントがそのまま、リサイクルを促進させ、物が自分の所にとどまると生活に支障をきたすので、どんどん循環していくようになった。当然、すべての物が自分の所有物という意識がなくなり、一過性のものとして、でも粗末に扱うことは決してしない。そんな昔の野蛮な時代は終わった。希少資源を回して回して僕たちは生きている。


超循環型社会


昔は資本主義とか社会主義とかってイデオロギーで国が動いていたけど、今は違う。僕たちはただの循環型社会を生きている。物も人間も。

物が循環するようになって、そして人もどんどん場所を動くようになった。定住という生き方を選択する人もいるけど、物を生み出さない代わりに、身の回りの環境変化や人との出会いそしてネットを通じた情報交換を生きがいに僕たちは暮らしている。

今ぼくは都会のど真ん中で、徹底管理された建物で生活しているけど、こんな生活を何年も続けたら心身ともに病んじまう。数ヶ月後には自然がまだ豊かに残っているコミュニティに移動する。やらなきゃならない基本の仕事以外は自由にしていられる。僕らの仕事は地域によって違うけど、基本は農作業と再利用と発電。自転車発電が各家庭に義務付けられた時は猛反対が起きたらしいけど、こんな社会になるとみんな時間をもて余すから、案外いいみたいだ。

自然が与えてくれるものに気づくと、自由な時間はいくらでも出来る。それだけでよかったんだ。僕らの仕事は、人間が過去に作り出したあらゆるもの、建物、機械、乗り物から衣服、化学薬品、汚染物質そんなものをどう生かし、どう処分するか、それが僕たち世代の課題だ。
もう使い回すしかないこれらをどう生かし、そして殺すか、それだけに生きてる。そう、まさに俺らは捨てない戦士だ。

生産という社会のあり方が変わってから、人間は時間を持て余すようになった。エネルギー産出力、エネルギー消費量がその人その人の表示データに載せられ、少ない人には多い人が補填し、助け合ってる。なるだけ人口が減らないことが大切だから。ドローンとエネルギー自転車が一人一人に与えられ、その日に必要なエネルギーを自分で漕いで生み出し、最低限必要な物はドローンを飛ばして手に入れるか近所で回し合う。子どもはオンライン学校で必要な単位を取得するけど、義務じゃない。大人の仕事が多少出来ればそれでいい。あとは自由だ。

自由な時間、都会ではみんな読書やゲーム、スポーツや映画を見たり、ヨガとかそれぞれの趣味で1日が過ぎてく。数ヶ月後には比較的気候が落ち着いてる地域に移動する事を楽しみに。そこで農作業をし、荒れた地を再生させる。




【続きはただいま作成中】