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悪しき者は貪欲を誇る

今は心血を注いで技量の限りを尽くした傑作ではなく、どんないきさつでこの作品が生まれたかで評価される時代です。


何を撮ったのかではなく、誰が撮ったのか

例えば作品展などで評価の高い写真ではなく、たくさん売れている写真集を売っている写真家の撮った写真だと何となく「いい写真だ」と思ってしまう事はないでしょうか?これは自分の投稿でも度々言及していますが、絵を評価する場合でも似たことが起きていて、有名な画家の作品だからいい絵なんだろうと思ってしまうようなものです。

前回の投稿で引用した動画でも言われていましたが、パブロ・ピカソは実に大量の作品を作っていて、絵筆を使って描いた絵画作品だけで1万3500点。版画が10万点。挿絵3万4000点。彫刻300点。占めて合計14万7800点という何かバグってんのかと思うような数の作品を生み出しているそうです。

これだけあると当然ながら取り立てて見るべきところのない作品というのもあるはずなんですが、「ピカソ作」とサインが入ってるだけで100万円以上とかの馬鹿げた値段になってしまうんですねえ。

写真でも同じく、同じ富士山の写真でも有名な写真家が撮れば「作品」と評されているように思います。

富士山の写真を探したのですがありませんでした。
代わりに伯耆富士。大山の写真を載せときます。
こんな物でも「諸般の事情により偽富士にでっち上げられた伯耆富士」というタイトルでもつければ売れる?
SONY SLT-A77V Minolta AF 28-135mm F4-4.5 28mm SS=1/640 F=11.0 ISO=100

撮る人をアイドル化する

写真の何かが優れているかどうかではなく、人気のある人が撮ったから。という事ならいっそのことまず人気者を・・・アイドルを作ってしまい、それから写真でもなんでも売り出せばいいという手段が有効なのではないかと思います。

自分に当てはめて言えば、自分をアイドルとして売り出して、それで人気が出てから写真を出せば、内容はともかく「いい写真」として広まるのではないでしょうか。
(その場合、本当に自分がアイドルになりきれるのか?という問題はあると思います。精神を病みそうだ・・・)

本末転倒じゃないか。とも思いますが、現行の優秀なカメラを使って、一般的な写真撮影の技術を学んで撮れば、一定のクオリティをもった写真を撮ることは難しくはない時代ですから、何でもいいから他との差異を強調するしかないわけで、そのための手段の一つとして見ればなかなか有効な手段なのではないかと思えます。

Youtuberなんかにはそれを意識してやってるんだろうなと思える人もいて、参考になるといえば参考になる・・・のか?

(写真とは全く関係ない人ですが、「何としても登録者数50万人取る!!」と宣言して実際にやってのけた人の動画です。正直尊敬します。)

貪欲に溺れた先に

ここまで人気者になった人々・・・インフルエンサーと呼ばれていますが、あまりにも人気者になりすぎると、しばしば本人のコントロールを受け付けなくなり、制御不能になる可能性も高まる点は肝に銘じておかなければなりません。インフルエンザで死亡する人だっているのです。

そこまでいかなくても、Youtuberに限らず芸能人の振る舞いなどを見ていると、本人の本質とは関係なく、周囲の人々が勝手な虚像を作り出してそれに「使役」されるようにすらなります。

そうなってしまったら本来やりたかったこと。例えば写真を撮りたいという事についても周りから「イメージと合わない」などと言われれば許されない行為になってしまったりもするわけです。

今日ではインフルエンサーは、とくにクリエイターを目指す人においては是が非でも手に入れたい称号のようになっていると思いますし、望んでもなかなか手に入るものではないのも事実ですが、万が一手に入ったとしてもこれを乗りこなすのは相当の人格者というか、器量の持ち主でないと飲み込まれてしまうように思います。

そうならないためには中庸の精神でほどほどで満足するのが大事なのでは思う訳です。まあ、自分の場合はもう少し頑張れよとなるでしょうが。

何事もほどほどが最適という良寛様のありがたい書
心月輪
OLYMPUS SP500UZ 21mm SS=1/160 F=3.3 ISO=80

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