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幸せになりたければ、蜂を撮れ。

蜂はスピリチュアル的意味で「神の使い」「幸運のシンボル」とされているとのことで、これを写真に撮れるとしたら少なくとも「自分は運がいいのだ」と思えるようになりました。


神への言葉として始まった絵画

諸説あるとは思いますが、世界最古の絵画とされているのは、世界遺産として登録されているスペインのアルタミラ洞窟の壁画であるとされています。

アルタミラ洞窟の壁画 WIKIより

これは最も古いもので18,500年前のトナカイやイノシシの絵で、何のために描かれたかという点については推測の域を出ないのですが、恐らくより多くのトナカイやイノシシが採れるように祈願したもの。具体的に言えば沢山の獲物を取って皆が幸せに生きられるように神に祈るために描かれた絵だったのだろうと推測されています。

想像力豊かな研究者によれば、この絵の前で槍を構えて狩りのデモンストレーションのような儀式を行い、ここからダンスや音楽も始まったという人もいます。

つまり、絵画の始まりは祈り - 幸せに生きられるように祈る気持ちが具体的な形となって現れたのが絵画や彫刻で、その対象となるのは人間の力を超えた自然現象 - それを具象化した神に対するもの。だったのだろうと思われるわけです。

精神を喚起する装置としての写真

この神への祈りの言葉として絵画はそのまま信仰心の現れ - 人間の精神に力を与えるものとして発達していき、やがて宗教画として成立していくことになる訳ですが、こういう人々に信仰心を与えるメカニズムを利用したい「人間」 - 王侯貴族などの支配階層の人間たちが信仰心ならぬ忠誠心を高める装置として絵画を利用するようになり、これが王族の肖像画になったと思われるのです。

使い方の是非はさておき、絵画が神への言葉だったという考え方に基づけば、それの代替手段としての写真はどうでしょうか。人の手で描く。人の手が入り過ぎてしまう絵画に対して、写真は自然を含めた現実世界 - 神が作り給うた自然や現実世界に基づいた写真は神への言葉としてよりふさわしい資質を備えているように思えます。

もちろん、自分の精神を思い通りに描き切る技術があるのならば絵を描くことは自分の精神を具体的にビジュアルにして自らの信じる神への言葉とすることが出来ると思いますが、そういった技術がない大半の人々においてはカメラという装置を通して生成できるビジュアルは神への言葉としてより有効に機能しうる存在ではないでしょうか。自分はみすぼらしいほど脆弱で人知を超えた偉大な力で生かされ続けられていると信じているならば。

蜜を集める蜂の暗喩

アルタミラ洞窟の壁画はそこに住んでいた古代人がより豊かな暮らしを、幸せを神に求めて祈りを捧げた結果でした。

自分にはアルタミラの古代人のような絵心もなく、人を撮る勇気もありませんが、それでも神様が自分の目の前に見せてくれている現実世界をありのままに写し取る光学機械を手にしていて、幸いにもそれなりに使いこなす事が出来ます。

何度も花を撮ることを繰り返していると偶然ミツバチを撮ることが何度かあったのですが、後に蜂は神の使いとされ、特に蜜を集めるミツバチは恋愛の成就や豊かさの象徴だと知りました。

こういった話は前に書いた閻魔様の話に似ているのですが、写真を撮る対象についての背景というか暗喩を踏まえて撮るようにすると、写真に撮る意味にもそれなりに重みが増して来るだろうと思う訳です。

そして、現代において写真撮影は誰にでもできる事・・・選ばれた人々だけのものでないものだからこそ、人それぞれの神への言葉を綴ればいいと思うのです。

自分はミツバチを撮ることで豊かさへの祈りとしますが、これを読んでくれている皆さんはそれぞれに思う神への言葉を写真の形で暗示や比喩として綴れば・・・極論すれば写真ですらない何かであってもよいと思うのです。

例えば今だったら、ヒマワリは「願望」という花言葉がある。という事を知っているだけでも撮り方が変わってくるのではないでしょうか。もっと単純に自分にとっての憧れの人を写真に撮るでもよいでしょう。(自分は人が撮れないので無理ですが)

技術的ハードルが低い分、他の分野の何かとコラボレーションし易いというのは写真の利点の一つだと思うので今回のような観点から自分勝手なコラボレーションを色々試みて見るのも写真の楽しさでだろうと思います。

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