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吉田A仮名(ええがな)
2022年12月30日 16:52
人間、平穏に過ごすのが一番でやんす。平穏あっての笑顔でありゃあす。 まあしかし、人と人との繋がりなんてのは怪しいもんで、平穏なうちが花と申しゃあすか、平穏なんてのは張子の虎で、見た目と中身はぴたりと合うようにはできてやしやせん。ぴたりと合うには、それ相応の時間を要するもんでありゃあすが、時間を経たとて、ぴたりとはなりやせん。 なんでも人が人を見る目には各々勝手の了見ちゅうもんが入りやすんで、
2022年12月30日 16:39
電車は万人が利用するがゆえに公共。公共は万人即ち雑多なバリエーションの思い思いを受け付ける。ゆえ、まことに公共はふところが深い。したがって、電車は有形無形、有象無象の諸人こぞりて、身の用心。各々心に棍棒を構える。 ぼく自身も満員電車に乗ると、ひどく倫理的になる。つまり、心に棍棒を構え、不快な魑魅魍魎に用心する。公共機関の宿命だ。満員電車では、立ち又揺れる諸人が押しつ押されつ怒気を伝播していく
2022年12月30日 16:21
豆腐破壊魔だ!豆腐破壊魔が出た!! 落語には「豆腐の角に頭ぶつけて死ね」というギャグがあるが、「豆腐破壊魔」という言葉にもこのギャグと同じ洞察が含まれている。「豆腐」という食卓のやさしい固体に対し、「破壊魔」はバールでウインドウを破砕していくような暴力を思わせる。「豆腐破壊魔」と言葉を並べると、柔らかい豆腐に常習的な暴力が加わる実感がある。ここには、「破壊魔」が「豆腐」を修飾するように働き、そ
2022年12月26日 12:49
風習を知らない、慣習を知らない、常識を知らない。ゆえに、限界を知らない。 人は年月を重ねるとともに世間に擦れ、普通的な振る舞いが何たるかを知る。しかし、普通だと評される人物でも、へんな考え・習慣の一つや二つは身に付けているものだ。当人は自身のへんな所に気付かない。それゆえ「あれはこういうものだ」と自前に発明する。 俳人小林一茶は五十過ぎまで童貞で、結婚を機にセックスを覚えたという。俳人は女体
2022年12月26日 12:47
淡々と、淡々と、毎日コツコツ、ヌーの群れのように。ヌーの群れは先頭と全く同じ道。どれだけ曲がりくねっても、全くの不合理な道筋でも、先頭の道を大道とみなす。我々凡百の人間はヌーの根性で生き、鈍重な頭であやふやな理を結び合わせる。大道に適う我が身を自己肯定の基礎として、淡々と、路傍に咲くささやかな花を摘む。 花を摘む。くさい花を。くさい花が呼んでいる、キンダチ姿のくさい花、狂おしい、毎日コツコツ花
2022年12月26日 12:45
あゝ、心はいつも理路整然の直線を進むわけではなく、現実の確かな流れの中で変容し、心の働きは目や耳で感触される万象とともに移ろう。理想と現実のギャップ。男と女のハザマ。任侠と人情のせめぎ合い。理と理のぶつかるところに悲劇や喜劇、涙や笑い、バラエティー豊かな孤独などが生まれ、人間のイノチが悶える。理とはなんぞか。理とは、日常他人が期待する我々の役割、暗示されたる他人のマゴコロ、記憶と経験のケモノ道、
2022年12月25日 22:22
まさしく、言葉は狂的な速度で現実を捨て去る。「犬」という言葉は現実の犬ではなく、感性的な雑感を排したところの「犬」であり、現実の犬に対する心の機微は括弧付きの「犬」には込められない。括弧を察してくれ、と言うのは到底無理であるから「コリー」だの「ポメラニアン」だのを連れ出す訳であるが、どれだけ言葉を尽くしても現実の犬には届かない。さりとて、言葉は現実未満であるとも言えず、人に伝わらないわけでもない