見出し画像

わたしのいちばん最初のお仕事。

社内経理のOLからコピーライターになって、いまはライターをしながら職探しをしているのだけれど、振り返れば、いちばん最初の仕事はイタリア料理店の雑用だった。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

中学生のとき。母親がはじめたイタリア料理店でお手伝いをしていた。配膳、皿洗いなどがメインで、お客さまと話すことはほぼなかったように思う。

シェフのおじさんは料理がとっても上手で、彼のつくるイタリアン以上においしいお店は未だにない。わたしにとっては。

手打ちのパスタ、生地からつくったナポリピザ、ときにはジビエも使ったメイン料理、デザートの数々。せまい厨房から多彩な料理が出てくることに、いつも驚いていた。

ただ料理は最高だけど、人間としては、中学生のマセて生意気盛りのわたしからすると、頼りなかった。もじゃっとしたヒゲに丸メガネで、「ヒヒッ!」といたずらっぽく笑うおじさん。幼稚に見えたし、下ネタを言うし、ちょっとしたことですぐ落ち込んでいた。

ランチで決まったメニューをずうっとつくっているのに飽きたときなんて、厨房でこんな感じだった。

「もう、おれ、こんな料理つくるのイヤだ……おいしくなさそう……」
「そんなことないよ、おじさん。おいしそうだよ。厨房暑い? 飲みもの注ごうか?」

といった調子で、ちょっと芸術家肌だったのかもしれない。いま考えると恐縮だけれど、わたしは彼のお世話してあげなきゃと思っていた。

まかないを食べるときも、おじさんは子どもみたいだった。

「もう、イタリアンには飽きたよ! 日本食が食いてえ〜」

と嘆きながら、じぶんがつくったパスタを食べていた。わたしにとっては、どれも最高においしくて、ハムスターみたいに頬張っていた。

でもほんとうにおいしい料理をつくるおじさんだった。単身イタリアで修行した、たたき上げの料理人。イタリア語もわからぬまま飛び込んで、苦労もしたと話していた。その後、日本のホテルなどでも働いて、母と店を出すことに。

「むかし『料理の鉄人』に出ないかって言われたけど、おれガラじゃないから断ったんだよ」

なんて笑って言っていたけど、「そんな有名番組、嘘だあ」とは思わないくらいには、料理はおいしかった。

そんなおじさんと、母と、わたし。それから、そのときどきのシェフやお兄さんたち。

わたしは、人が足りない休日にお手伝いすることが多かった。あとは、夏休みなどの長期休み。人が足りないわけだから、だいたい母とおじさんとわたしの3人だった。

母は、じぶんの娘だろうが容赦はしないタチだった。

「ちゃんと床にモップかけて。腰を入れて。しっかり磨くんだよ」
「トイレ掃除は念入りに。男性は立って用を足すから、壁に飛ぶこともあるの。だから、床だけじゃなく、壁の下のほうもしっかり雑巾で拭いて」
「椅子の脚と、椅子に座ったお客さんが蹴る足元の部分の壁も拭いてね」
「シルバーは熱いうちに、この専用のナプキンで拭いて」
「グラスは曇りのないように。ちゃんとかざして確認すること」
「サラダの葉っぱは、芯は入れちゃダメ。氷水でシャキッとさせて。虫食いなんかの悪いところは目で見てちぎって」

……思い出しても、なんか……うん。バイトでもない中学生の娘に対して、まあまあスパルタだった。もう小学生のころから別居していて、お店で会う時間しかほぼない母。スパルタでも一緒にいて役に立てるのがうれしかった。ごくたまに、おこづかいをもらうこともあったなあ。

もうずいぶん前に、母はお店を閉めてしまった。いま、おじさんは料理人をしていないらしい。前から腰を痛めていたしなあ。残念だ。

振り返ると、このいちばん最初の仕事のときに学んだことが、未だに活きてると感じることがある。スパルタが活きてる。ちょっと懐かしい。

あなたのいちばん最初のお仕事は、なんですか?

さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。