編み込みと、あの子の笑顔。
読み進めていくうちに、ふいにぐっと目頭が熱を帯びたのを感じた。
年々涙腺が弱くなっていけない。
こないだの休日、久しぶりにカフェで小説を読んだ。数か月前に買い、しばらく本棚に寝かせっきりになっていたいわゆる「積ん読」の一冊となっていた本。
食いしんぼうの性なのか、タイトルであったり、ぱらぱらとめくったページであったり、美味しそうな食べ物や飲み物が出てきそうな気配を感じると、思わず手に取ってしまう。
そうして手に取ったこの「木曜日にはココアを」もその一冊である。
色、がテーマになった12からなる短編集だった。
まだ半分ほどまでしか読めていないが、どのお話もほっと心が温かくなるようなものばかり。そして、出てきた登場人物が、他のお話でも、視点を変えて、また出てくるのもとても面白い。
目頭が熱くなったのは、その中の一つ、保育園で働く「えな先生」が主人公としてでてくる「 伸びゆくわれら/pink」を読んだ途中だった。
(※以下ネタバレあり)〜*〜*〜*〜*
ピンク色のマニキュアを塗った、えな先生。
ある保護者には、我が子が、先生の真似をして爪に色を付けるようになったと批判され、とある保護者には、我が子が「えな先生みたいな綺麗な爪にするんだ」と噛み癖が治ったと感謝される。
ネイルについて、えな先生に注意したばかりのベテランの康子先生が言う。
そうなんだよなあ、良かれと思ってしたことが良くない方向に向くこともあるし、深く考えずにしたことが良い影響を及ぼすこともある。
康子先生の言葉に、うんうんとうなづく。
いやでも、先生という存在が、子どもたちにとって構成される世界においてより大きい、保育園や幼稚園の先生の方が、その傾向があるのかもしれない。
そしてお話の中で、えな先生はこう思う。
ふいに瞳が潤んで脳裏によぎったのは、あの子の笑顔。数年前に受け持った女の子、Sちゃん。
彼女は、ほとんど毎日のように学校に遅刻してくる子だった。
しかも5分や10分ばかりの少しの遅刻ではなく、1時間目が終わったあたりか、2時間目が終わったあたりに登校してくる。
なんでもお家の方が朝起きられない上に、下に幼い兄弟が多く、毎朝その子たちの世話もしているようだった。
「母親なんだから、やるべきことはちゃんとしてよ!」
最初わたしは、Sちゃんのお母さんに対して内心そう思っていた。
子どもを起こし、朝ごはんを食べさせて、時間に間に合うように、学校に送り出す。
自分が小学生のときも、自分の家も周りの家もそうだったし、それが難しい家庭があるなんて、想像すらしてこなかった。
しかし、ご家庭の事情や様子を知っていくにつれて、そうも言えない状況なんだな、と思わざるを得なかった。
「子どもの数だけ、家庭の数があるからね。」
Sちゃんのご家庭をどう支援していくか、60歳に近い大ベテランの先生がと話していた時、ぽつりと、その先生は口にした。
当たり前だと思っていたことが、当たり前でなかった家庭もあるのだとこのとき、初めて痛感することになった。
そして遅刻してくるとき、Sちゃんの髪の毛は、お世辞にも整っているとは言い難い状態、細い髪が絡まりに絡まって広がり、つまりは起きたての、ぼさぼさだった。
身だしなみを整える、それは男女問わず、ある一定の年齢になると身につける必要のある力だ。
年齢がもう少し上なら、
「ちゃんと自分でといておいでよ。」
そう言えるのだが、自分でするのはまだ発達段階的に難しそうだ。
本当は毎朝お家で身だしなみを整えてくる、ということをしてきてほしい。
けれど、まだ幼いとはいえ、この髪の毛がぼさぼさな状態が彼女にとって普通、となって欲しくないな、私は思った。
そこでわたしは、
「Sちゃん、ちょっとおいで。」
と別室に呼び、手ぐしでといて、そのときに持っていたヘアゴムで、Sちゃんの髪をくくることにした。
「お家にヘアゴムある?そう、良かった。今日は先生のゴム貸してあげるから、明日は自分のゴム、持って来てね。」
なんとか出来たポニーテール。
ほら、やっぱりぼさぼさより、こっちの方が可愛いよ。なんて言いながら。
翌日遅れてきたSちゃんは、やっぱりぼさぼさ髪で。
しかし昨日と違うところが一つ。
昨日わたしと話したことを忘れず、ちゃんと腕に二つのヘアゴムを付けてきていた。
その日は、持ってきた二つを使い、両サイドの耳の横でくくる二つくくり。
くくるうちに、今日は後ろでの一つの三つ編み、両サイドの三つ編み、その次はハーフアップ、、、などと、
普段自分の髪を含めて、ヘアアレンジすることなんてほぼないから、だんだん私自身楽しくなってきてしまった。
くるりんぱ(ハーフアップの間に隙間を作り、その間に髪を通す髪型)と三つ編みを組み合わせた髪型にしたときは、そうっと髪に触って、
「プリンセスみたい!」と喜んでくれたっけ。
ある朝のことだった。
「先生、おはよう!」
わたしはSちゃんの姿を見て、はっと息を飲んだ。両サイドの細かい編み込み。
Sちゃんの髪は、とっても綺麗に結われている。
わたしが普段くくる仕上がりとは、比べものにならないくらい、そりゃあ綺麗に。
「ママにしてもらってん!」
これまでのどの笑顔より輝く、うれしそうな笑顔。
お母さん、早起きしてくれたのかな。
何を思いながら、朝の忙しい時間に丁寧に細かい編み込みをしてくれたんだろう。
「やっぱり、ママ髪の毛くくるの上手だね。先生がしたのと全然違うよ。」
と声をかけると照れたようにはにかんだ。
翌日からSちゃんは遅刻せずに髪の毛も可愛くしてもらって登校・・・なんて上手いこと事が運ぶわけじゃなかったけれど、その日を境に少しずつ遅刻せずに来れる日が増えてきた。
ぼさぼさ髪を見かけることもほとんどなくなり、引き出しにしまった100均の櫛の出番もなくなった。
「先生、あの時はありがとう。」
それから、一か月後のこと。
たまたまSちゃんのお母さんが来校されたときに、呼び止められた。
一瞬なんのことだろう、と首をかしげていると、お母さんは言葉を続けた。
「S、毎日毎日、今日はこんな髪型にしてもらったよ、ってうれしそうで。
でもやっぱり、これは母親のあたしがやってあげやなあかんなあって。」
届いたんだ。
ちゃんとSちゃんを思う気持ちが届いた。
そしてお母さんは、それを行動で示してくれた。
正直余計なお世話かな、と思っていたけど、Sちゃんの髪をくくり続けてよかった。
試行錯誤で体当たりの毎日。
今、わたしが目の前の子どもたちにできることは何だろう。
その時感じたことが、本の向こうの「えな先生」の気持ちと、ぴたりと重なって共鳴する。
涙腺が弱くなるのは、きっと老化ではなく、進化だ。
年を重ねるにつれ、良いこともそして、ときには悲しいことや悔しいこともたくさん経験する。
その分、何かに触れたとき、きっと共感できることや励まされることが増えるのだろう。
ーじゃあ、涙もろいのも、悪くないのかもしれない。
そう思いながら、ぱたり、本を閉じる。
次は、どんな言葉に心動かされるのか楽しみにして。
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