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あなたの6年間とわたしの6年間。


きゃらきゃら、と風に乗って楽しげな笑い声がこちらまで響いてきた。

信号を挟んだ道路の、十数メートル先の男女二人組。高校生...ではなさそうなので、勝手に中学生だろうと予想する。

二人は、腕を組んだり、手を繋いだりと、ひっついたりしているわけではない。
だがその空間は紛れもなく二人の世界で、カップルか、違ったとしてもそんな関係まで秒読みの二人なんだろう。

信号が変わり、少しずつ声が近付く。
「そんで、やまだっちがさあ、、、」

途切れ途切れに聞こえる声。こんなにも楽しそうに話題にのぼるやまだっちも、また幸せ者である。

しかし、ここはそう広くはない歩道。3人横には、すれ違えない。

かわいらしいカップルをしばらく生温かい目で眺めていたい気もするが、まじまじと見つめるのも、無粋だろうな。

歩道の端に立ち止まり、わずかに視線を落として二人が通りすぎるのを待つ。

その時、小さな声が耳をかすめた。

うさぎの耳が、かすかな音にもぴくりと反応するように、わたしの耳も職業病なのか、この言葉はよく拾うのだ。

碧魚先生?」

まさかの、わたしの名前が呼ばれた。

可愛いらしいカップルの彼女さんは、かつて担任していた子どもだった。
予期せぬ卒業生の教え子との出会いに大層驚き、咄嗟に口から飛び出した言葉は、

あらまあ、大きくなってぇ〜。」

.....わたしゃ、どこの親戚のおばちゃんだ。

いや、もはやある一定の年齢になった関西人は、しばらく会ってなかった子どもを見かけた際には、勝手にそう口走ってしまうという宿命なのかもしれない。

そういえば、去年の今頃彼女の弟くんが、
「お姉ちゃん、カレシできてんて〜カレシカレシ〜」
と、にへらにへら笑いながら、どこか発音に違和感のある「カレシ」を連呼していた気がする。

「Aちゃん!」

すぐに、ちゃんと彼女の名前が出てきた自分に、ほんの少し驚く。
今の目の前の子どもたちのことで必死で、さっぱり開けることのなかった記憶の引き出しも、まだ錆びてはいなかったらしい。


「男子がな、ドッヂボールのボール回してくれへんねん!」
ふくれっつらの涙目のAちゃん。

「昨日の漢字ノート、綺麗じゃない?」
「ほんまや、めっちゃきれい!頑張ったねえ。」
へへんと笑う、得意顔のAちゃん。

わたしの知っている彼女は、どちらかというと小柄な方だ。今も、とても身長が高くなったわけではない。そして化粧をして大きく見た目が変わったわけでもない。

なのに、次から次へと、脳裏に再生されたAちゃんと、目の前の彼氏さんの隣りで照れ臭そうに笑うAちゃんが、すぐには結びつかなくって
不思議な感じがした。

大人の階段に差し掛かかった彼女が、なんだか眩しく見える。

テストが大変で、クラブが楽しいらしい。

ーそして一緒にいたいと思える好きな人が出来て。

これまで、わたしの知らない間に、いろんな出来事や気持ちに向き合ってきたんだろうな。

6年という月日は、紛れもない「子ども」だった少女を「大人」に差し掛かる少女に変えるのに充分な時間だったようだ。


実は、Aちゃんが知らないであろうことがある。

あの頃、大学を卒業して、先生になりたてだったわたしは毎日のように悩み、時に一人で涙していた。

今も完璧な先生だとは、到底言えないが、
あの頃、決してわたしは、彼女らにとって良い先生だとは言えなかった。

授業も上手いと言えない。
生徒指導も上手くできない。
色んな抜けやミスもあった。

おまけに、「分かりません。」「出来ません。」なんて言って誰かに自分から、何かを教えてもらうこともあまりなかった人生だったので当然のことながら、周りの先生たちにも頼れなかった。

あの先生には、あんな強みが、あの先生にはこんな強みがある。
けれど、わたしには何もない。

なんで、わたしは先生をしているのだろう。

目の前の子どもたちに、「先生」なんて呼ばれる資格なんて、ないんじゃないか。
わたしなんかは、もう辞めて、他の人が代わりに担任になった方が、この子たちのためになるんじゃないか。

真剣に、そんなことを考える毎日が続く。

次々とやってくる仕事と、それに伴って積み上がっていくわたしの課題たちを必死にこなすことで、精一杯の毎日。


あの頃のわたしに、
放課後一人、誰もいない教室で涙でぐちゃぐちゃになっていたわたしに、伝えたい。

あの頃のわたしを慕って、6年経っても、ちゃんと「先生」って、声をかけてくれる子がいるよ。

わたしには何もない、って思っていたけど、
少しずつ わたしにしか出来ないことも、掴めてきた気がするよ。

Aちゃんの6年間と、わたしの6年間。

彼女が大きく変わった年の分だけ、
わたしも、ちゃんと前に進めた気がする。

足掻いて足掻いて悩んだ日々は、決して無駄になんてならなかった。
悩んで悩んで考えたことたちが、新しく学んだことたちが、一つ一つ経験となってきた。
子どもたちを見る目であったり、学習教材の向き合い方や活かし方であったり、相手にちゃんと届くための言葉であったり、色んなことを含めて、自分という器を深くしてきた気がする。


いや、目の前の彼らにとって、先生である前に、「かっこいい大人」であれるよう、進んでなきゃ、深まってなきゃ、毎日を精一杯生きる彼らに顔向けできないな、なんて思うのだ。

Aちゃん、わたしって気付いて、知らんふりすることも出来たのに、声をかけてくれてありがとうね。
去り際に見せた笑顔は、あの頃と変わっていなくて、なんだか胸がきゅうっとしたよ。
ほら、手をふって別れて、数分経つのに、しばらく頬が緩んだまま。



まだまだ今でも、悩むことはあるし、上手くいかないことだってある。

けれど、大丈夫。

今、わたしはちゃんと毎日笑って、また彼らと同じ年齢の子たちと向き合えているから。

明日も、そしてこれからも、わたしは、いつか大人になってゆく彼らの素敵な子ども時代の側にいたいと思う。



#エッセイ #先生  




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